早稲田大学ツアー 62016/10/30 23:59

前回に続きまして、早稲田大学ツアーです。14号館の思い出の階段近くの窓から外を眺めました。ここは非常に高いので、キャンパスを一望するにも良い場所です。
手前の屋上が相撲を練習していた場所、中央の巨大な建物が、最初の集合場所で旧校舎にかぶさるよう建設された3号館、右端に少しだけ写っているのが法学部8号館です。8号館は、院生のころウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世が大学に来たとき、並んで見ました。事後のアンケートに答えると抽選で本が当たりましたが、なぜか当選して「夢はかならずかなう」という本をもらいました。本は読んでいません。読もうかな・・・どうして読んでいないんだろう・・・。
14号館6階には端末室がありまして、MNCの管轄でしたので、私はここで働いていました。ここといえばボヤさわぎ。仕事も終わりで、勤務報告書を書いているときに端末室で火が出ましてね、ボヤですんだのですが、消防車が来て現場検証するやら大騒ぎ。私も現場関係者として検証が終わるまで残されましたが、貴重な経験でした。でも二度とごめんですね。火事だけは勘弁です。
一度門の外に出ると、すぐ近くに最近できたばかりのasicsのお店があります。入ってみましたが、ユニフォームのレプリカが中心で、私にはあまりお世話になれるものがありません。もうちょいいろんなものがあるかと思っていましたが、服はなぁ、そんなもの着てやっていることもないしなぁ。
大学の周囲は稲門会の旗でいっぱいです。1339もある稲門会、ここに来ているのはその一部と言っても、旗だけ見ると、いろんなところがあります。こういうところからまた仲間が増えるのもよいのだと思いますが、千葉の稲門会は見つけられませんでした。四街道にもあるらしいんですけど、普段何をしているのか気になる稲門会です。入ろうかとも考えています。何となく、単なる飲み仲間ではないかと予想しております。それでもいいのかな。
5月3日には入れなかった、文学部です。戸山キャンパスといって、早稲田キャンパスとは別にありますが、馬場下交差点を右に行くか左に行くかの差だけで、距離は離れていません。現在は旧記念会堂を壊し、新しく早稲田アリーナというものを作っているため、その周辺が工事で入れません。が、文学部の象徴、校舎に入るまでのスロープは健在です。
スロープ脇には必ず立て看板が並んでいます。大学の案内からサークルが立てたものまで、ここの看板が消えることはありません。サークルは演劇系が多いです。どうしてこう、演劇系のサークルは怪しいのが多いんでしょうか。個人的には、怪しいものやっているより、もっと演劇から離れた人を引き付けるようなものを作ってもいいと思っています。私は演劇映像専修にいたけれど、確かにそこが怪しい人の集団でしたが、だからといってそれを周囲に押し付ける必要はないですね。
校舎はリフォームされていて、中はすっかり整備され、きれいになっていました。外壁も修理されています。私が在学中のとき、36号館という新しい校舎ができ、そちらはよかったのですが、旧校舎はぼろくて授業でも語学ぐらいで、あまり使われなくなっていました。今くらいに整備されれば、これはいいですね。でも、耐震性などは変わってないと思われますので、いずれ建て替えもありうるのではと思います。
交流会をやったカフェテリアです。外の席だけでなく、中もあります。また、階段を上って上の方にはホール型の巨大教室もあります。文学部ではありましたが、ここで食事することはあまりありませんでした。生協よりも周囲の商店街を利用することが多く、使っても早稲田キャンパスをメインに使っていました。メニューはそれぞれ場所によって違います。文カフェはラーメンが充実していました。
校舎が交差する文学部の広場です。昔よりすっきりしました。掲示板の位置も一箇所にまとめられ、大学院や教員の研究室が入る建物もリフォームされていました。全体的に、学生の休める場所が増えたと思います。この戸山キャンパスには二つの学部しか入っておらず、その点は広々とキャンパスを使える利点があります。36号館ができてから教室に余裕もでき、学習環境は充実していました。生協は本が中心で、多くの専門書をそろえていたことも魅力です。でも、私は早稲田キャンパスを中心にしていることの多い人間でした。授業はこちらですが、3年のときから始めたMNCの仕事の関係で、早稲田キャンパスへ行くことが増えました。広く大学を使える方が、いいようにも思っていました。
教員の研究室が入る建物です。こうして見ると新しいようで、窓と外壁をリフォームしているだけです。建物は当時と変わりません。耐震性はどうなんでしょうかね。昔は高校の校舎がただ上に伸びているだけという感じでしたが、これなら少しは大学らしいかな ? 廊下にダンボールを山積みにしている教員が当時は多く、それが見えたのですが、今は禁止されているみたいですね。そもそも、窓がこんなに大きくありませんでした。右の大学院の棟も、一階の部分がまったく違う造りで、当時は外の通路だった部分が、建物の中に取り込まれてロビーになっていました。

私が大学にいた時期は、こうした校舎の整備が始まった時期であり、少しはその恩恵を受けられました。今はきっちりしていていいですね。でも、ボロの校舎もそれはそれでよかった部分もあります。時代を感じられること、昔からここでやっていることを感じられたのはいい点でした。36号館ができると、ボロなんとかせいやという思いになっていきますが、やっぱり大学もこのままではまずいと思っていたことがわかりました。
文学部にいた割に、そこの校舎での思い出があまりないのは、私の大学の生活スタイルもあるし、文学部への帰属意識の低さもあります。正直言うと、自分が文学部出身であることは、いまだ抵抗感を感じます。どちらかと言えば、芸術学寄りでした。なぜ演劇であるのか、なぜ映像であるのか、そういうことが学問の中心でした。それでも満足できず、情報通信がもたらす学術分野への変化に興味がうつり、やがては文学部の敵対勢力となっていき、最終的には行き場を失います。しかし、押し寄せる時代の変化に対応せず、旧来のままの学問しかしないやり方には迎合できませんでした。でも、大学は結局、新しい変化に対応するため、学部再編をすることになりました。当時笑い者だった私のような考え方を受け入れざるを得なくなったのです。やっぱりな、と思いつつ、内側からの意見は理解されにくいものだとも思っています。文学部と関係ない大学院に行って、私は受け入れてもらえました。なので、今になっても文学部に対していい思いはありません。でも、学んだものは有効に使うべきだと思っています。
そんな中でも、早稲田の魂は共有しているんですよ。だから早稲田にいられたんです。それと、今ならもう少し違うやり方でアプローチできるかなと思います。と、こんなことばかり話してもよくわからないと思いますので、とにかく有意義な大学人生を過ごせた場所だということで、締めくくりたいと思います。