入院騒動終わる2012/02/22 23:50

やっと入院騒動が終わりました。ワンフェスからゆっくり休む間もなくどたばた生活でしたが、ひとまず落ち着きそうです。もう体の疲れたとか、肝心の休みたいときには通り越して、分散された長い休みとなり、気持ちの切り替えとかまったくなし。ワンフェス終わったらいろいろやりたいことあったはずなのに、よくわかんないうちに次なる現実が迫っております。
まあ、ある意味今までの生活と違って新しくやることができたのだから、それはそれでいいんですけどね。この新しいやるべきことを、生活の中でどう組み入れていくのか、その体制が整うまではどうしようもないのだと覚悟を決めました。本格的な小物売りを始めて一年も経たないうちに、自分たちでも予想すらしていなかったところまできてしまったので、急な展開についていけないのは仕方なきことでしょう。さらに私はこの小物売りをしながら生活費を作っているのだから、ある意味仕事でございます。月給換算にしてはあまりに安いですが、稼ぐ方法もなく、ただ病に打ちのめされていた日々に比べれば、今の私はずっと幸せなのです。これがいつまで続くのかよくわからないとしても。

いつまで続くか心配するより、長く続けられる方法を見つけ出す方が生産的ではあります。それに、このワンフェスで係員出すぐらいの行列を作っておきながら、次のワンフェスを初心者気取りで参加するのはいかんでしょう。やはりかなりの人が来ると予想し、それに対応できる準備を整えなくちゃいけません。
実は私、自分のことを受け入れてもらい、評価されることに慣れていません。それはですね、大学からその先まで、重要なときにとても寒い扱いを受けてきたことに起因します。
みんな気持ち悪いくらい私を褒める、よく勉強しているとか、広い分野にまたがる知識の多さとか。でも、一方で私の学問の姿勢や理論をまったく評価してくれない、というより、理解してくれない。就職活動すれば、最終面接まで必ずの如く進み、みんな褒めるくせに、最後はどこへ行っても口を揃えてあんたはこんなところにいちゃいけないと、もっと高みを目指せと言って断る。Web の仕事を始めても、みんな能力や実力を認めるけど、最初に雑用バイトで入ったから給料が上がらない。業者で100万かかる仕事がバイトの仕事になり、内での身分はバイトなのに、代表で出張に出ることもあればシステム設計もするし、担当箇所と交渉に出ることもある。仕事は職員並みなのに、身分は上がらず、大学院生になってから給料まで下げられる。
そうやって、ほめながら受け入れてもらえないことを繰り返されると、いずれ褒めてもらえることもすべてウソになります。ああ、口だけだなって。それが初めて形で結びついたのが大学院なのに、悲しいかな一年しないで病に負け、いろんなものが失われて、どーんと落ちて。
それでもわらにすがる思いで何かを必死にやっていたら、私の作ったものを好きだと思ってくれる人ができてきたようです。とてもうれしいですが、一方で長きに渡り「ほめられる孤独」にさらされてきた私は、事態を素直に受け入れることができません。でも、何のしがらみのない人たちが、素直に喜んでくれるのは、それが表面のお世辞じゃないこともわかるんですけどね。ま、こういう過去の重荷が、今は慢心せず精進できるいい力にもなっています。

本当は、ワンフェスみたいな場でお客さんといろんな話がしてみたいし、フィギュアに小物を買ってみる人達ともっと話がしたいのです。私の中からいらない疑心が消えるように。夢ですよ。なくても私は動けるから。

ボソっと暗い話をしました。眠い、薬が効いておる。

今があって未来は生まれる2010/03/01 00:50

前市長が病に倒れ、辞表を提出しての市長選、5人の候補者で激戦となりましたが、私も支持した佐渡市長が新市長に決定しました。やはり政策面で非常にしっかりしていたのと、前市長が始めた改革路線をそのまま引き継ぎ、さらに良い方向に進めていくという部分も大きかったと思います。

さて、地元の事情はそこに住む人でないとわかりませんが、今回の市長選ではいろいろ感じることがありました。新市長の掲げていたことは、広い面で通じる言葉に言い換えると、今あるものを大切にし、充実させ、そこから生まれてくる新しいものを大切にしようという考えです。 そのような考え方は、きっと多くの人の生き方にも共通するものがあるでしょう。私は、まさにそれによって生きているようなものです。私の昔話をちょっとしましょう。興味ある人だけ見てください。

私は病で、体の自由がききません。なので、定職もなければ日常生活でも多くの難儀を抱えています。昔からこうではありませんでした。今の病気になる前は、大学院博士課程前期で基礎研究を積み、博士課程後期で研究が一定段階まで進んだら、教授と共に起業するか研究所を設置して、世界のデジタル化された文化遺産を多くの研究者が自由に使え、共に研究し、発表できる情報基盤を作っていく予定でした。

私は文学部にいたので良くわかりますが、文学部は研究分野でデジタルデータをうまく活用しきれていません。その一方で博物館などの文化資産を抱える機関では、資産の長期保存や多目的利用を目標としたデータベース作りを進めています。しかし、それを誰がどうやって使うのかまでは考えられていないのが現状です。なぜなら、先のビジョンまで持って作らないからです。データベースがあればとりあえずいい、そんなところで止まっているのです。
文学部から大学院で情報通信工学の分野に移ってきた私は、この点に注目しました。電子情報を作る側と利用する側、双方の立場から今あるものを活かせる新しい情報基盤を整備すれば、互いに資産を活用できると考えたわけです。さらに、そこにゲームで培った遊び感覚や直感的な利用方法まで加えれば、多くのシーンで情報資産を生かしていくことが出来るでしょう。著作権の発生しない古典籍は、運用対象にぴったりでした。
この研究を大学院の枠を超えて多くの先生方が高く評価してくださり、別件でコンピューターゲームに関する知識と研究を評価してくれる先生もいて、大学院は非常にいい状態で進んでいました。しかし、それも病魔の兆しが見え始めたころからずれはじめ、研究はできなくなっていきました。時間だけが経過する中、ついに風邪が原因で病が表面化、同時期に進んでいた図書館での学術情報検索システムの研究も完成直前に頓挫、私は高く評価されつつも、なにひとつ社会的評価をなされぬまま研究の世界から身を引き、今は何もできず黙っているだけです。

文学部時代の私も多種多方面の知識と技術を高く評価されていましたが、その評価は決して「同じ線」からのものではありませんでした。つまり、文学部の人間がわかり得ないことをしているという、「違うものをみる」評価でした。みんなほめる、でも誰もわかってくれない、そんな状態でした。しかし、本当は文学部の人間は私を理解するべきでした。なぜか、それは私の研究が、文学部の行き着く20年、30年後の難題に立ち向かうための提案だったからです。誰もそんな未来は見ていません、それを見通せる知識を持っていませんでした、教授レベルであってもです。こちらは文学部でやることをこなす上で、さらに他の分野のこともやっていたのですから、知識の基盤が違います。それを全部関連付けて見る私に、文学部の人はついてきてくれませんでした。

卒業から数年後、大学に戻ってきて独立系大学院(下位組織に学部を持っていない)に入りました。普通、大学院は学部の延長上にあります。ところがこの独立系大学院というのは、学部を持っていないため、いろんな学部の出身者を集めて構成されるという特徴があり、人材の色が豊かになるのです。
(注. これは早稲田大学内部での用語だと思われ、一般的ではない。早稲田の文学部の場合、文学研究科という大学院があるが、私は学部学生のときですらなじめなかったので、大学院は同じ早稲田でも別のことができるところを選んだ。なお、私が入った国際情報通信研究科は内部がさらに分かれており、文系学部出身者で工学系に進む人はまれである。多くの文系学部出身者は情報社会科学に進む。多彩な出身が集まるとはいえ、基礎知識を持たねば専門性の高い大学院の授業は受けられず、文理の壁を超えるものは少ないのが現実である。)
いろんな分野からの出身者を歓迎するというだけあって、私のやってきたことが初めて本当の意味で評価されだしました。ひとつの分野からでは決して見えないことをやっている人間を、歓迎してくれる世界があったのです。
学生として私の研究姿勢は、今まであることを結びつけながら、新しいものを生んでいくことでした。ひとつの分野から見えない世界を別の世界からのぞき、互いを近づけていく、そこにはひとつではできなかった多くのことがあります。未来は今あるものから生まれる、それを信じていたのです。

病気でやれることが限られている今も、私は変わりません。今あるものを大切にしています。今あるものは何でしょう、私は多くのものを失ってしまいました。でも、自分という心は生きています。学問の世界のことだけが私ではありません。趣味に興じたり、ちょっとしたときに感じること、つらいこともたくさんあるけれど、過去があるから今があり、社会的な立場は失っても、自分の中に残したものは残ります。ちょっとしたことを大切にしながら、自分ができる範囲内のことをこなしつつ、そこから見えてきたものを充実させていく、それは私自身の力になるものです。
今あるものを大切にしないと、次がないのです。私はプラモが好きです。ひいて造形が好きです。好きだから、知識や技術を増やそうとします。そうしているうちに自分自身が充実し、そこに引き寄せられた新たな人の輪が広がり、知識や経験を使ってこんなblogも作っています。

今あるものを大切にし、そこから生まれてくるものを充実させていく、ふとしたところでつながっていました。病気の私がこれからどうなっていくかわからない、だからこうして、大事にしてきたやり方をしっかりこなしています。次なんてあるのか、意味はあるのか、効果はあるのか・・・今ここにそんなつまらない理屈はいりません。自分を信じ、次を意識している限り、私は生きています。だったらそれでいい、いろんなところで、いろんなものがつながって、未来が生まれていく、私はそれを信じて生きてます。

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私の目指すのは、自分の考えたことを「なぜ」「なにが」としっかり整理して、いろんな考え方があることを人に理解してもらいたいことです。それにはやっぱり適当な書き方では伝わらないだろうし、ただおもしろおかしくでもいけないと思います。お遊びのときはお遊びですが、まじめなときはまじめです。
なので、かるーく読みながら、ふーん、そうなのかと納得していただけるとうれしいですね。本当は、他の人はこういうときどんなことを考えるのかな~って知りたいときもありますけど、返ってくることは期待していません。同じくらいの土俵でコメントできないのでしないと思われていることはよくわかってます。まあ、近づきがたい空気さえなごめばいいんですが。

平山郁夫先生死去2009/12/02 20:44

ふぅ・・・はぁ・・・・

平山先生が亡くなられたそうです。直接教えを請うたことはないのですが、大学関係で影響が大きい方だったので、大変衝撃です。

平山先生、この数ヶ月、政府は予算削減のため、というより選挙対策で公約実現のため、文化、教育、科学、スポーツ分野を中心に予算削減計画を立てています。理由は「効果が不透明」だそうなんですが、どう思われていましたか。この世界で効果とは何でしょう、そもそも、一朝一夕で効果が出ると思われますか ?
私は、そんな即物的な考え方より、先生みたく、長い目で将来を育てるためのお金を大事にするべきじゃないかと思うのです。教育にかけた予算が本当に意味を発揮するのは、その人が社会で活躍できるようになってからでしょう。教育にお金をかけるのは、どこの親でもそうですけど、明日のテストでいい点を取るためじゃなくて、子供が大きくなってからのことを考えてです。未来への投資をしないで、どうして未来があるのでしょうかね・・・。

先生は、過去から未来へ、時間と人のつながりを大事にする人でした。そして常に追いかけていました、日本に根付いた文化の原点を。今ふと思うと、あのお方と同じだったんですね。どうして気付かなかったんだろう。

人はいつか死ぬものなので、いずれ来たることなんですが・・・このやるせなさはどこに持っていけばいいんだ !
ヤケで神姫をやってみたら、通信が止まりました。

情報の理解と自己形成2009/08/08 14:46

物事を見る目は二つある。主体視と客体視である。確かに、自分以外は他人なのだから当たり前といえば当たり前だ。他人から見ても立場が逆転するだけで、やはり同じことが言える。

仮に二人の人間AとBが、あるものXについて語り合っている場面を想定してみよう。AはXのことが好きだという。BはXのことが嫌いだという。この二人がこのままどんなに話し合っても、何も進まない。人はこれを「平行線」と呼ぶ。

平行線になる理由は、AとBが共にXについて主観視をしていたからである。さて、重要なことに気が付いて欲しい。私は「主体視」と「主観視」、二つの言葉を分けて使った。ものを見るとき、「主観的と客観的」、「主体的と客体的」、この二つの見方を混同してはならない。二つを混同する者は、情報操作にだまされてしまう可能性があるからだ。

先程とは別に、人格A(法人および個人の場合がありうる)がある雑誌Xについて、酷評していたとしよう。「雑誌Xは読むに耐えない、その情報は実にいい加減だ」そう人格AがマスコミかWebを通じて公表した。酷評の理由は、人格Aが法人だった場合の例として「Aが作った製品を他社製品と比較し、低い評価をつけていた」、人格Aが個人だった場合の例として「自分の好きな作品について、いいことを書かれていなかった」としていた。

この情報を個人Bが見たとしよう。個人Bは、雑誌Xについて客観的な情報が欲しかったため、雑誌Xについての評価を探していた。
個人Bが「観と体」の違いをはっきりとわけて捉えていた場合、人格Aの情報は「人格Aによる主観的な客体視」と区別が付き、これは情報として有効でないと考えるだろう。
個人Bが「観と体」の違いを混同していた場合、「人格Aによる客観的情報」と捉え、その情報を信用するだろう。

「主体視と客体視」は、それが単に自分か他人かという点にしか区別を置いていないのに対し、「主観視と客観視」は、価値観に基づく区別というのが最大の違いである。
上記の例では、雑誌Xが下していた評価について、具体的な内容はわからない。雑誌そのものが客観的に評価をしていたのか、記者による主観的な判断なのか、ここから読み取ることはできない。ゆえに人格Aが雑誌Xに対して主観的な評価を下している時点で、最終的に入ってくる情報は人格Aの主観的評価となる。好き嫌いは、個人の価値観によるものであるし、法人格Aが公表した雑誌Xを酷評する理由には、十分な根拠が示されていない。

主観的判断は自由であっていい。なぜならそれは、思想、信条だからだ。そこに正しいか間違っているかは存在しない。しかし客観的判断は自由にならない。その根拠とするものは、数値であり歴史であり、個人の自由で決定できない要素から来るからだ。また客観的判断といえども、どれを根拠に採ったかによって内容が変化する。

世に出回る情報、他が言うこと、それはすべて他人から発せられる「客体的」情報であり、その情報がいかなるものかを判断するのが「客観的か主観的か」である。他の発する情報が「客観的」になるのではない。他が発する情報を疑いなく受け入れていくことは、己の価値観を失うことにつながっていく。他の主観が、己の主観となれば、その主観は本当の意味での主観ではない。与えられた、もろい主観にすぎない。

だがこれを突き詰めれば、客観のみが価値ある情報ということになってしまう。これはこれで誤りである。客観的情報を客観的情報と判断し、それを己の価値観に変えていくからこそ、主観は形成される。つまり、客観的情報は主観形成に必要不可欠なものなのであって、主観と客観は互いに支えあうものなのだ。

より多くの客観的情報に支えられた主観は、多くの判断基準を持つ。すなわち多様な判断を可能とする。逆に少ない客観的情報によって形成された主観は、狭い判断基準しか持たず、自己中心的な判断や客体的な主観的情報に影響を受けやすくなる。

ただひとつ注意すべきは、客観的情報が意図的に捏造されている場合もあることだ。情報そのものが虚偽の場合もある。別に例えば、「今これが流行です」というのを相手に思わせるため、都合のいいように調整された情報がメディアから流されるというのはよくある。
街でインタビューした人が、みんなある同じものを持っていたと情報で流す。「今ちょっと話題になっているこれ、何だと思いますか」と続き、そのとあるものが紹介されていく。では、果たしてどれくらいの人数にインタビューしてそれを持っている人を見つけたのか。100人聞いて3人見つけたのか、いきなり見つかったのか、そんなことはわからない。だが見つけた場合のみを伝えるよう編集すれば、意図的な「客観的」情報を作り上げることができる。
情報の真偽性を見抜くにも、やはり客観的情報は必要なのだ。少なくとも、私はこうした方法でマスメディアが情報操作している事実を知っているので、盲目的に情報を受け入れることはしない。しかし、知らなかったらどうだろうか。

なぜこのようなことをあえて言うのか。人間が人間として生きているということは社会との接触があるからであり、社会との接触は価値観の衝突である。すべての人間が同じ価値観を有しているわけではない。だからこそ、多くの客観的情報から得た価値より豊かな主観を形成し、異なる価値観を受け入れていく必要があると考えるからだ。

異なる価値観を、多くの客観的情報から理解していく。そして互いに異なっていることを認める、それが歩み寄りというものだ。歩み寄りこそ、人が和を成すために最も重要なものであると私は考えている。歩み寄りを拒めば、争いやすれ違いを生む。こうして今も地球上で戦争と差別は絶えない。

何が役に立つか、何が役に立たないか、そんなことは人間死ぬまでわからない。むしろそうあるべきではない、どう役に立てるのか、それを考えていく方が建設的だ。あなたは最初に情報の価値を決めて、何が役に立つかを決めて、偏食していないだろうか。偏食は豊かな価値判断力を形成しない。

どうだろう、おおらかに、様々な物事から、様々な人間から、もらえるものはもらってやろうと考えながら生きてみるのは。