早稲田大学ツアー 52016/10/29 23:05

先週の日曜がHomecomming Dayでしたが、あれから一週間。整理のついてない部分もあります。志半ばで大学を離れることになった身としては、研究を続ける大学は夢のような場所に見えます。でも、今の私がやっていることのも、なるべくしてなった気もしており、それでいいとは思います。
5月3日に、DBAC飲み会の前に早稲田に見学に来ましたが、その時見られなかったところを見てくることにしました。でも、正直なところ、5月3日に来ていなければ、一度にいろんなものが戻って来過ぎて、自己崩壊するところでした。それほど、このHomecomming Dayも刺激的であったのです。さて、今回は大学内の思い出の場所を歩きながらつづる、早稲田大学ツアーを書きます。通してこれが5回目です。5月3日でのツアーは4回にわたって書いています。過去の分はこちらからどうぞ。前回はできなかった、校舎の中から見るものが中心です。
まず、最初に入るのが3号館の402教室。ここが記念式典の中継所で、なおかつ2002年次の集合場所になっています。こうした新しい教室にあまり違和感はありません。私の大学時代で、古い教室で授業を受けていた経験は、大学1年期に集中していて、授業と言えばこうしたきちっとした新しい教室がほとんどでした。ここで座って中継を聞いていると、大学院生のころを思い出します。
新しくなった3号館には始めて入りました。驚きはこれ、建物の中に建物が入っています。旧3号館の建物の入り口付近を残し、その上にかぶさるよう、新しい校舎が建っています。なので、入り口だけ見ると、昔のままの印象を受けます。3号館の地下に、当時新しく端末室を作りまして、ちょこっとそこで働いたくらいしか思い出がありませんが、この造りには驚きです。
このように、残された校舎側から見れば、完全に新しい建物です。古い校舎も中は新しくされ、使いやすくなっていました。新3号館はとにかく巨大でした。こうした折衷造りはいいですね。昔の大学の校舎は特徴ある造りですので、それがわかるのはよいです。3号館から1号館を見るとこんな風に見えます。
1号館は現在校舎ではなく事務棟として使われているようですが、昔のままで使われています。私が入学した頃は、新しい校舎は14号館だけで、他はこうした昭和初期からの校舎が使われていました。教育学部だけはそれより後の時代のものでした。大学の校舎は一般的にあまり見ない造りで、見れば特徴的ですぐわかります。今はこういう校舎の方が少なくなってしまいました。
稲門祭のおかげで、キャンパス内は普段にないほど多くの人出でした。キャンパス内どこを歩いてもこんな感じです。そして、酒臭い ! この後ろでは飲み物交換コーナーがありました。招待客は飲み物交換券が贈られてきて、ここで交換できます。ほとんどの人が日本酒かビールに交換しますが、みんなその場で開けて飲みます。日本酒は樽酒を配りまして、いいにおいでした。私はYEBISUビールと交換しました。
早稲田大学図書館です。図書館は左側、右側は学術情報センターで、展示や会合、イベントに使われるホールもあります。とにかくでかい ! まずこれほど大きな図書館に入れることは普通あまりないでしょう。早稲田の図書館は大学図書館の中でもかなり大きく、蔵書数も多いです。それだけの図書館なら、必然的に大きくなります。地方自治体にある図書館では、まったく比較になりません。
図書館は私の大学生活最後においては、大学の施設であり、職場でした。図書館の裏方になって、図書館の本当の規模を知りました。図書館といっても、そこにあるすべてを使う人はなかなかいないと思います。しかし、裏方は全部を扱いますので、図書館の持っているすべてを必然的に知るのです。図書館には蔵書以外にもデータベースがあります。さらに、博物館級の貴重書庫、折りたたみ式書架がある古書、地下に移動式書庫を抱え、映像や音声資料も持っています。大学図書館は、単純に本だけを扱う場所ではなく、情報そのものを扱う施設です。これだけのものがそろっている大学図書館はそうそうあるものではありません。
私が働いているころは、今まで本としてしかなかった資料を電子化することに力を注いでいましたが、各学部が持っている論文集をいかに電子化するかが課題でした。例えば、商学部には商学部誌があり、年に一回だったかな、商学部の教授や大学院生の書く論文が掲載されて発表されます。それが創学以来ありまして、本になっていますが、電子化されていないので、再利用の価値が低く、埋もれがちです。大正時代の論文で、自動車のエネルギーは電気とガソリンどちらが優れるかという論文がありました。こういうものは今見ても、エネルギーの観点から面白いものがありますし、当時のエネルギーに関する考え方を知る重要な手がかりになります。それは今にもつながってくるエネルギーの考え方を模索することにもなりますが、残念ながら図書館の奥で埋もれています。こうした論文を電子化し、検索できるようにすれば、利用価値が生まれるというものです。
いやね、この早稲田商学という膨大な量の論文誌を電子化したらいくらかかるのか、その見積もりを当時出したんですね。で、早稲田商学にどれくらいのページ数があって、どれくらいの論文があるのか、おおまかでいいので見積もりを出してこいと、仕事を与えられました。簡単に言わないでください、早稲田商学って、本棚の上から下まで全部あって、なおかつそれがふたつの本棚にまたがる量なんですよ。それを一日で見積もれって、どうすればいいと思いますか ?? すみません、一日では終わりませんでしたが、全部を調べることなく見積もりましたよ。当時はいろんなことがありました。それぞれ学部や大学院でどれだけ論文資料を抱えているのか、電子化のための交渉をするため、私も担当を当てられ、話に行ったもんです。
私にとって図書館の入り口と言えばここでした。職員通用口です。学生として正面から入った回数より、職員としてここをくぐった回数の方が圧倒的に多いです。大学院を卒業したら、そのままここで就職してしまおうとまで考えたこともありました。それほどまで居ついていました。
図書館の入り口がここです。この日は見学者用に開放もしておりました。普段はカードがなければ入れません。校友でも、校友カードがあれば入ることができます。
この日は休業でしたが、図書館には喫茶室があります。これ、あこがれですね、ここの喫茶室で食事すること。よく、学会が総合学術センターであると使う人がいました。値段も決して安めの設定ではなく、学生ならここで進んで食べることはまずないでしょう。それゆえ、あこがれですね。
図書館を離れまして、早稲田キャンパス内にある演劇博物館です。以前にも少し紹介しました。この日は開いていて入れました。昔は接待に使われる場所でしたが、今はすべて博物館と図書館になっています。図書館は、大学院生か文学部の演劇映像専修の学生しか利用することができません。演劇映像だった私は、授業で見学に来ることもありました。越路吹雪の展示が昔ありましたが、有名な役者が亡くなったら、遺品をここに持ってくればいいと、利用されている感がありましたね。普段見る機会のないものが見られるのはうれしいんですけど。
早稲田キャンパスで思い出深い場所、校舎があいてないと入れない場所がここです。14号館階段の踊り場にある窓。ここでよくお弁当を食べました。静かで誰も来ないし、高い場所から遠くが見えるいい場所でした。久しぶりに来て、変わらぬ景色に心打たれ、しばらくぼんやり座りました。
ここから下を見るとかなりの高さです。隣は教育学部の校舎ですが、これが現在、取り残された古い校舎になっております。校舎の建て替えが進み、いまだ何も手付かずは教育学部のみになりました。校舎の建て替えには校友の寄付も不可欠で、一度に全部の校舎を建て替えては授業にさしさわるし、順番にやってきます。ここもそろそろでしょうかね。
校舎の天井がこの窓から見えます。謎のアンテナが大量についていて、何かを受信しているようですが、昔からの謎です。今でもわかりません。別の教育学部の校舎では、屋上で相撲の練習をしているのを見たことがあります。何かと謎の多い教育学部。なお、早稲田の教育学部は、教員養成のための学部ではありません。卒業しても教員免許は取れず、教員免許は専用の授業を取る必要があります。私の友人がひとり、教員免許を取っていましたが、それは大学教授になるためでした。大学教授に教員免許は必要ありませんが、今の時代、あると有利ということで取っていました。そんな彼は現在、商学部などで教えています。連絡を取りたいのですが、連絡先まではつかめずです。

長くなってきましたので、ここで一度切ろうかと思います。続きはまた次回、次は文学部までまわります。