11月でも雪になる2016/11/24 23:53

四街道でも雪になりました。11月に雪ってありうるのか ? ないですね、過去にも例はないようです。
少しは降ると思っていました。でも、ここまで積もるとは思いもしませんでした。極めて特殊な例だから仕方ないですね。ちょっと雪像を作るには雪が足りません。
雪が降ると、すなわち寒い。暖房のない部屋で死にそうなので、夜はGです。しかも、食事のGです。食事のGはいつものGと違い、ちょっと気分を変えたいことの象徴です。最近ストレスがひどいので、こうしてやってきました。
ストレスの原因は仕事ではありません。いつもならたいてい仕事なのですが、そうではなく、割り切れない感覚と行き場のないせつなさです。それが、早稲田に帰ったことと、Game Legend で爆発しました。私の時間は10年前のまま止まったのか、進んでいるのか。ああ、だめだ、進んでいるに決まっているのです。無双での言葉、どれだけ絶望しても、明日は必ず来る。これです。だから、絶望したから時間が止まるなんてことはなく、先を常に目指さねばならぬのです。
現状行き着いた答えが、行き場のない向学心をゲーマー魂にぶつけることでした。たとえそれが他から求められていなくとも、私はやるのです。とにかく大事なことは、外に向けて情報を発信することですが、Game Legend だけでは空回りするので、話のわかる大学教授でも探すことにします。ゲームサイド編集部に持ち込みもやりましたが、なにせ休刊してしまいました。
その先のことは何もありません。思えば、大学教授に自分の本を送りつけたことは今までにもあります。そこから先に何も続きませんでしたが、黙っていれば何か続くのでしょうか。否です。無駄でも失敗でも、小さな一歩を踏み出さねばなりません。本当は助けて欲しい。お願い、星さん、連絡先はどこなの・・・。大学院の人生を志半ばで絶たれたから、今でもこんなことになるのです。それはともかく、ただ考えているだけではダメです。考えたことを形にして残し、その先どうするかですよ。今のままでは形が少なすぎます。時間をかけて戦うしかないのか・・・。

ビザンティン美術の本2016/11/22 23:05

ここ最近、ビザンティン美術の本を読んでいます。なぜにという感じですが、ゲーマー魂のための予備知識をつけるためです。第2号のときに、テレトピア戦略についての本を読みましたが、そういう感覚に近いです。しかし、テレトピアは情報通信分野のことでも、ビザンティン美術は離れているように見えます。まぁ、正直言うとかなり離れています。今回のテーマはスクロールですが、それをゲームの中だけでの話に区切ってしまうと、ゲームのことしかわかりません。よく考えれば、スクロールなどというのはゲームだけの話ではないのです。わかりやすい例を挙げれば、絵巻物がそうです。テレビ画面もない時代の、スクロールさせて見るものの、日本の代表格です。ゲームの中のスクロールとはいえ、そのまま扱うには切り口が大きすぎるので、限定的に特徴を捉えるのですが、するとスクロールは時間を絵や彫刻などの中でどのように扱ってきたのかを考えるのが近道です。え、どうしてそうなるのか ?? それにはビザンティン美術のような、特徴的な時間の表現をしてきた世界がとても参考になります。日本美術の世界での捉え方など、こちらも挙げればきりがありませんので、わかりやすいものを例に取りながら、スクロールの成り立つ前提を見ていきます。その上でゲームの特徴を見ると、ゲームのスクロールも結局、昔から存在するスクロール技法の上にあるものだとわかります。そこでゲームの特徴的なこととまとめて考えることにより、ゲームにおけるスクロールをどうやって切っていけばよいのか、切り口を見出すことができるでしょう。
かなりややこしい予感がしますが、私にしかできないことをやってみようと考えました。視覚芸術を専門としてきたからこそできるものを狙います。もちろん、わかりにくい内容になることは極力避け、専門的な話であっても、それを理解してもらえるよう努めます。対象にするゲームを二作にしぼるとはいえ、スクロールはあまりに原理的すぎるんですよね。あまりに原理的過ぎて、ゲームの話だけでは手に負えないのが本音です。ゲームしか考えない人には、そこまで深いものではないかもしれません。しかし、視覚芸術の立場を持っている人間は、その世界を無視できないのです。ちょっと面白くなってきました。

第4号の模索2016/11/21 23:59

どうも調子が悪く、ひたすら薬ばかり飲まされている日々です。確実に低調の波です。下がったものが直りません。あまりに状態がひどく、横になってひたすら耐えているばかりです。薬でも軽減できていません。こういうときもあります。適度な緊張を保つ最良の方法は、外に出てしまうことでして、昨日に引き続き今日はGに来ております。他に方法がありません。あとは家で部屋を暗くして寝ているだけです。そうしても苦痛が軽減されることはないので、なるべく苦痛に向かい合わないようにするには、とにかく外、GとかJですよ。一人の外出は意味がありそうで、一人になる時間が多いため、効果が少ないです。適度に一人、それがいい場所です。ただね、一日中いられないのが欠点です。家に戻ってもろくなことになりませんから、こうしてずっといたいのだけれど、そうもいきません。結局、絶対に逃れられないのです。わかっております。わかっているけど、状況を工夫して軽減することで生き残りを図ります。この病を差別してきたすべての人間に伝えたいですね。お前ならこれに耐えられるかと。無理でしょう、気がつけばどこかに身投げしていることでしょう。私もただ、よくこれで死なずに生きてこられたなと感心するばかりです。
考え事があってGやJにこもるのならよいですが、苦痛を免れるために来ているときは、やれることが限られます。今日はゲーマー魂第4号の原稿を書いていました。気付いたのですが、Game Legend 前に全部まとめてやるのは、無理じゃないけど負担が大きいと思いました。原稿そのものは早い段階に書いています。第3号の原稿は、半年以上かけて練ってきたものでした。最後の校正とレイアウトをイベントに合わせてやりますが、それが間違っているような・・・。つまり、原稿が出来上がってきた時点で、イベントに関係なくレイアウト作業も少しずつ進めておくことが重要に思えます。これなら現状年一回発行を二回にできるかもしれません。それには原稿に時間をかけすぎないことも大切です。
第3号は書くのに半年以上かかっている時点で、半年に一回の発行が不可能になっています。これは本当に書くのが難しい内容でしたが、いい加減慣れる必要性を感じます。第4号も、テーマは昨日決まりまして、まずは書けることを書いています。これも取り扱いがかなり難しいテーマです。でも工夫はしました。テーマは、任天堂制作ファミコンソフト「デビルワールド」「アイスクライマー」から見るスクロールの意義です。スクロールについて切り口を大きくすると、まとまりがつかなくなります。そこで、ゲームを絞り込んで、どうすればスクロールについて考えられるのか、切り方を考えることにしました。当初はスクロールしないゲームに焦点を当てていたのですが、ソフトの数が多すぎて、ページ数が増えすぎます。ならば逆の戦法を取ることを思いつきました。
で、どんな道筋でテーマを考えるかというと、何もありません。断片的な考えはありますが、それを一本につなげる方法は今のところないです。今までもそうですが、考えてから書くことをしていないのです。書きながら考えています。ゲーマー魂の特徴とも言えます。昔の大学の卒論では、先に理論と構成を作りましたが、会話形式のゲーマー魂は、話しながら出てきた重要なポイントを深めていくことに比重があります。その中に外せない主張を組み込んでいきます。ただ、単純にゲーム内から生まれてくる思考だけでは今回無理を感じており、スクロールについてより概念的な考えを入れていく必要があるでしょう。そこのまとまりは、まずはそこだけ別に組んでおかないと難しいかなと思います。ええ、ついに本性を現すことになるでしょう。こんなことはゲームから外れた専門知識がなければ絶対に到達し得ない、そんな内容が組み込まれる可能性があります。私が大学で専門的にやってきたことを入れます。でも入れないと、あっさりゲーマーの思考に終わるのです。
学生の時のようで楽しいです。学生の時は教わる立場でしたが、今の自分は研究者としての高みを目指しています。教わることは教わってきました。でも何かつらい。それは孤独かな。求心力の結果を待っている人がいない孤独です。

学問としてのゲーム2016/11/18 23:59

みかん作りや皿塗りなど、基本的なことをやっていますが、みかんは足りるのか、穴あけ作業をしながらふと思ってしまいました。すでにあるものと足しても、もう少しあった方が余裕が生まれる数です。やったほうがいいかなと思います。皿も大量に必要なため、器一杯分をまず白の皿として塗り始めました。黒の皿は生産します、これから・・・。ちと重いなぁ・・・。あと何回やればいいんだ・・・。
それはいいとしまして、このところのどうしたもんかについては、なかなかいい答えがありません。私はゲームをもっと学問として扱いたいと思っております。ならばどうしていけばよいのか、自分ひとりの力ではどうしようもできないこともあります。研究して自己満足しているのはイヤなのです。かといえ、学会で発表する大事だけをやっているのもイヤなのです。学問は小さな課題を考えたり、時に大きな課題を考えたりします。考え方を磨き、それをどこでどう形にしていくのか。現状は行き詰まりです。
GL25で買ってきたOBS Collectionを見ました。これはリポーターが出てくる形式の自主制作番組ですが、この映像の目的の先には、貴重なものを映像として保存していくことがあります。決して面白いからやっているんじゃありません。目的意識を持ってやっているから、足も動くし、いいものができあがります。
では、学問として扱うとはどういうことでしょうか。それは、ゲームの生い立ちを見たり、社会との関係を見たり、見えていそうで当たり前の裏に隠れてしまった事実を探りあてることであり、ただの事実の記述ではなく、見えない部分に一考を加えることです。私が大学でやってきたものは演劇映像でして、この分野はエンタメから宗教行事にまで広がる分野で、人々の間に根付いています。でも、エンタメがただのエンタメでした、じゃ話にならないわけで、そこにある人の考え方、表現の可能性を見つめるのが学問でした。歌舞伎なんてえらそうにしていますが、あれは江戸時代の大衆文化でした。「伝統芸能」という枠組みに入ることで、現代劇としての機能を捨て、生き残りをはかったのが今の歌舞伎です。だから、歌舞伎の研究とは、江戸時代の大衆文化の研究なのです。
ゲームだってエンタメですが、コンピューターを普及させる役割も買っています。また、それはエンタメだから学問にならないなんてことはありません。私がやってきたことは、「崇高」なるものだけが学問になるわけではないことを学ぶ現場でした。ゲームも様々な見地から、現代の遊びとして、情報化への立役者として、社会とのつながりがあります。ゲームそのものの構成方法も、限られたコンピューター環境とは何だったのか、学ぶよい機会でしょう。
私がゲームに求めているのは、この学問の題材としての可能性であり、しかも自己満足のためにやっているのはいやなんですよね。こうなると最後はひとつ。大学でゲームを扱ってくれるところに自分から連絡を取ってみるしかありません。うーむ、対人関係か、やだな、これもまた重いな・・・。