三越 最後の食事を2017/03/16 22:15

千葉三越が閉店になると決まったのは、たしか昨年のことだったでしょう。三越グループの中で、売り上げの悪い店舗の淘汰をするということで、千葉がその槍玉に上がったのでした。
三越グループにとっては、千葉はひとつの店舗でしょう。しかし、千葉で育ち、千葉で生活してきたものにとっては、千葉に三越があるのはあたりまえのことで、意識はされないけれど、名物みたいなものです。そごうは場所を移動しましたが、三越は同じ場所でずっと続けてきました。三越もいずれ店舗を新しくするのではないかと、長く千葉に住んでいる者なら、そんなことを一度は思ったことがあるでしょう。それくらい、その存在は当たり前だったのです。
私が生まれてしばらくは、ニューナラヤで、三越ではありませんでした。本質的には百貨店で、大きくは変わりませんが、ニューナラヤの名前でやっていたころも覚えています。こういうものは大抵、名前が変わってもしばらく昔の名前で呼ぶクセは抜けないもので、よく祖母がその名で呼んでいました。

半永久的に、普通にあるものだと思われてきた三越ですが、このたび3月20日で閉店を迎えます。閉店前にせめてじっくりみたいのと、私はそこで食事が、しかもひとりではなく、母を入れて食事をしたかったので、以前より話をしていました。残された日が少なくなり、連休でごった返す前に行くには、今日がちょうどよい日となりました。
写真はやや夕方めいておりますが、見終わった帰り際に撮ったせいです。お昼前には入りました。いやぁ、しかし人が多いです。売り出し場が店内のあちこちに用意され、人々が群がっていました。2階に行くと、バッグの売り場が盛り上がっています。いいものがけっこう安い値段で転がっていました。他にも、普通の売り場に見えて、閉店セール価格の商品がたくさんあります。
記念でいくつか高い買い物をしましたが、今日はそのことは置いておきましょう、何よりの目的はこちらだったのです。
三越でお昼をとることでした。三越は地下二階まであり、地下二階にレストラン街があります。なぜか花屋もあります。この地下二階には、本当によく食べに来ました。
ものすごく深いところまで話が潜りますと、私がなぜ千葉県民なのか、ということになります。これは、祖母が千葉生まれの千葉育ち、しかも千葉県というくくりではなく、千葉市民だからです。祖母は結婚してから 転勤族となりました。母は結婚するまでの間に7回の転勤によりあちこち移動し、時に千葉県民でしたが、自称は長野県民です。祖母の実家が千葉にあったため、転勤族が終わるころ、母も千葉に落ち着きました。で、うちの父は群馬出身ですが、そのころ職場が千葉だったため、結婚したころは千葉市に住んでいました。祖母は茨城の取手に家を買いました。取手は利根川に面しており、対面は千葉県です。取手だった理由はよくわかりませんが、祖父は宇都宮だったため、宇都宮に戻るのにもあまり遠くなく、なおかつ祖母の実家とも遠くない、さらに職場にも通えるちょうどよい場所を選んだと思います。
こうして私は千葉市生まれの千葉県民としてスタートしたのでした。あのですね、私はベビーカーに乗っているころからの記憶が消えてない人間でして、ベビーカーではよく近くのYacsに日ごろの買い物に行って、べピーカーからでも道順がわかるほどなんです。そんなころからよく千葉市街へ遊びに連れて行かれました。歩けるようになってからもよく行きました。今でも千葉市街の土地勘があるのは、このころから知っているからです。駅前の景色は大きく変わりましたけどね、今でも記憶があります。
幼稚園児になるころ、千葉県の佐原に引っ越しました。この時期から私のデパート人生が始まります。まず、祖母と待ち合わせて千葉へはよく行きました。そごうも今とは違う場所で、今のYカメのあるビル、塚本ビルがそごうで、三越へもよく行きました。祖母とはよく柏にも行って、柏ではそごうでした。地理的には祖母には柏が近いのですが、祖母の実家は千葉市にある関係で、そちらに顔を出すこともあり、千葉は私にとって、たまにいけるデパートの楽しみでした。クリスマスプレゼントを選ぶときは、必ず柏か千葉でした。デパ地下も楽しみです。祖母がよくお菓子を買ってくれるのです。デパ地下にあるお菓子のお店は、だいたいこのころ覚えました。高くても祖母は買ってくれました。そうそうしょっちゅうある贅沢ではなく、たまにの贅沢で、孫にはいいものを買ってくれたのです。
それとは別に、姉が歯列矯正をするため、千葉の東京歯科大病院に通わなければなりませんでした。その帰りにもよく千葉市街へ寄っていくのが普通でした。そして、三越の地下で食事をするのです。そごうでも食べたけれど、三越の地下もよく食べました。祖母が一緒のときも食べました。
こうしたデパート通いは、私が高校の時まで続きました。祖父がなくなり、祖母の年金暮らしが始まってから、祖母も昔ほど羽振りがよくなくなって、郊外のスーパー型生活になり、むしろ今度は安いものを探すのが面白いというタイプになってしまいます・・・。私が高校生の頃は、母と姉と、土曜日に待ち合わせをして、デパート通いを楽しんでいました。その頃は、三越で食事をとることはなくなってしまったんですけれど、そごうでよく食べました。

三越の建物は昔と変わりませんので、中に入っている店が変わっても、当時の様子は残しています。今になって、ちょっと三越の地下二階を懐かしくてのぞくことがよくありまして、いつかまた、ここで食事をしたいと、長々思っていたのです。昔と変わらぬ様子は、いろんなことを思い出させてくれました。だから、あらためてここで食事できることは、また新しい思い出になると思いました。
三越閉店となれば、もう機会は残されていません。ここに来て、昔を偲ぶこともできません。今日は思い出を総括すべく、閉店セールを見ながら、食事をすること。これが何よりの目的でした。店は和幸にしました。通っていた当時にはありませんが、何より、また地下二階で食べることに意味がありました。

存在していると気にもかけないのに、なくなるとなれば、やっぱりさびしいんです。今日はあまりに多くの感覚が交錯しました。懐かしさ、さびしさ、祭り気分・・・語りつくせません。でも、この大事な食事ができて、何よりこれに変わるものはないです。こうやって育ってきましたからね。今もその線上にいるんですよ。

誠意を伝えるために2017/01/22 20:19

昨日23時過ぎに友人Tのお父様が亡くなったことを知り、本日告別式に参加してきました。もっと早くに連絡してくれてもよかったと思ったのですが、本人もどうするか迷ったらしく、友人内への連絡はあまりしてないようでした。意味深なTwitterを流していなければ、気付けなかったかもしれません。
私は友人Tとは小学生のころからずっと、途切れもなく付き合ってきました。遊びに行ってよく食事を出してもらい、ある時期はお正月になると友人Tの家に集まり、そこで料理をいただきながら、年が明けたら近くの神社を歩いてめぐるのがひとつの行事になっていました。友人Tの家が引越しをして、兄夫婦と新しい家に同居をしてからは、正月行事がなくなって、その分食事に行くことが増えました。相手がいくら食堂で、料理を出すことが好きだとは言え、毎度いただくばかりではどうも肩身が狭まる思いがしまして、今年からはお菓子を持っていきました。あら、大人になったのねと、友人Tのお母様に言われました。
友人Tが昔の家に住んでいたころは、よく下の部屋を借りてゲームをしていたものでした。冬になるとこたつがあり、夏場はクーラーで快適でした。友人Tのお父様は、自ら建設会社を営んでおりまして、あるときから下の部屋の一部を改装し、部屋を広げました。そこに事務機器を置きながら仕事をしている姿をよく見ました。我々がゲームをしていてもあまり気にせず、出て行けとも言いませんでした。部屋でくつろぐときも同じでした。友人が来ていたなら、楽しんでいきなさいと、そんなような方でした。
新居に移ってからは、顔が合ったときに挨拶するくらいでしたが、こうして考えてみると、私は友人Tの家に結構めり込んでいる存在だったような気がします。親同士も学校の付き合いもあり、今は直接会うことがなくとも、行くたびお母さんは元気 ? と必ず聞かれます。友人Tの家で食べるときは、お店で食べながらお話もするので、お母様とも私はよく知れた存在です。今回告別式に出るべく決めたのは、こうした深い付き合い、それも、私が子供のころからの付き合いがあり、毎度お世話になっているからです。普通なら友人の親が亡くなっても、式にまでは出ないかもしれませんが、私は友人Tとの関係をかなり特殊に見ています。

式のことは、お葬式ですので細かく書きません。でも、焼香する時に、喪主であった友人Tのお母様の目を見ておじぎをしました。事前にちょっとだけ挨拶もしたのですが、それよりも、目を合わせておじぎをしたことが、最も誠意が伝わったと思います。式はただの儀式ではありません。参加したことで、誠意を伝える意味があります。これからまたお世話になることがあっても、式を共にしたことが、きっと信頼を深めてくれることでしょう。相手の信頼を買うのではなくて、自然と生まれる信頼関係です。友人だからただ行ったのでもありません。誠意のやりとりがそこにはあります。

まぁ、でも、喪主の泣きながらの挨拶を聞いたり、皆涙しながら花を添えて出棺するその様子は、切なくなるんですけどね。決して楽しいものでもないし、見ていて幸せなことでもない。そりゃ葬式だからそうですが、こういう形で誠意を伝えるというのも、また一苦労あるのです。実は今回、私にとっては初めての身内外のお葬式でした。しかも一人で行くお葬式。大人になりました。

2017年 始まる2017/01/01 23:10

2017年 あけましておめでとうございます。
今日は普通にオイルをやろうと思っていましたが、コミケ疲れが想像以上にきまして、一日ぐったりです。カタログのまんれぽ読んでいました。こういうときは、ゲームもやらずにのんびりするのがいいですよ。コミケの余韻にひたる正月です。それもまたいい・・・。
さて、これが年賀状です。どうでしょうかね、お正月は着物です。みくとみかの着物、久しぶりのスタイルです。以前一度やったことがありました。2007年ですかね・・・10年か。10年もたってしまったのか。時間がないのに二人描いたことが大きな仕事となりましたが、どちらか一人ってのもさびしいです。やっぱり二人でないといけません。一人なら別キャラにします。実は別キャラにしようかと思っていました。ひとりならあの子を描きたい ! ってのがあったんですけど、わけあってやめました。ここは努力。「酉」の書は、うちの書家が書いたものです。フリー素材なんて使いません。すべて自家製でまかないます。

今年はどういう一年にするかといいますと、昨年のことを考えまして、まずは仕事量の安定化を図ろうと思います。そして使う時間の配分は、仕事、ゲーマー魂、絵描きに重点を置きます。今年はプラモを無理に仕上げようとは思いません。やらないとは言いませんが、いい加減無理を感じてきました。仕事に使う部分とプラモに使う部分は同じで、休み感覚では作れないのです。プラモはプラモに集中しないと作れない現実をふまえ、今年は同人活動に重点を移します。仕事は別ですよ、量産型マンドラゴラがあった上での同人活動ですからね。
人間関係を広めることがこの二年の目標でしたが、それも外しました。創作活動をしていれば、いずれ広がるでしょう。積極的に考えなくてもよいと思います。絵描きについては水面下で活動をするので、ここでも何の報告もないでしょう。結局は、創作意欲のバランスを取っていくことです。あまり具体的な目標がなくて、ちょっとあいまいです。おおらかにやっていこうと思います。

コミケでくくる20162016/12/31 23:30

2016年もいよいよ終わります。が、まずはコミケですよ。大晦日コミケはありえないと思っていたのに、行くことにしました。何よりみさてぃんの応援に行きたくてですね。他の日に行っても目的がありませんが、三日目なら応援の差し入れをして、さらに雑多にいろんなもののある三日目ですから、それなりに楽しめるはずです。もう行くしかないでしょう。
国際展示場には10時52分に着きました。案外駅に人が少なくて、夏と比べるとずいぶんおとなしいなんて思っていたら大間違い。途中から並びました。少しの間でしたけれど、お客の波を三つに分けて流しており、まさかで待つことになりました。むしろ夏より人が多いのではとすら思いました。コミケが好きな人には、大晦日だろうが関係ないみたいですね。私なんか、大晦日に出て行くなんて大ごとだと思っていましたが、世のコミケに求める情熱は本当に熱いものでした。
毛細血管を抜けるような会場での動きに流されながらも、目的はほぼ果たせました。買いたいところで買えなかったものもありますが、買えなかったことも経験値として含めれば、よいコミケだったと思います。みさてぃんのところは最初に行ったものの、その時は混雑しておりまして、後に挨拶に向かいました。コトブキヤで買っておいたアイテムと、昨日買ったお土産をセットに、プレゼントしてきました。そして、26日にアキバへ行ったときに買ってきた初単行本を持って行き、サイン本にしてもらいました。その場ではあまり深いことを話せませんでしたが、昔とは確実に違う、プロとしての風格を感じました。自分が描きたいものを描く一方、自己満足ではなく、読み手が喜んでもらえるよう描く。それが本を読んでも伝わってくるし、話してもわかりました。今度本格的に話したいので、2月に食事会をする約束をしてきました。とても楽しみです。
ほか、事前に少しだけ調べていたところをまわりましたが、時遅く、売り切れているところがふたつありました。でも、流れで見ながら予定していないものも買い、結果は満足です。自分で絵を描くときの参考にしようと買った本や、コミケに出ないまでも、同人誌を作って委託販売したいとひそかに考えていて、本としてどうまとめるべきか、ネタ集めにも本を買いました。うーん、趣味とかで買いなさいとか言いたくなりますね。もちろん趣味なんですけど、同人デビューしたい・・・じゃなかった、絵で同人やりたいってとこです。昔はやっていたんですよ。でも今はやっておらず、当時やっていたころの実績もふたつしかありません。自分なりにできる方法を模索したいです。ゲーマー魂もやっているんじゃ、ちょっと無理あるとも思うでしょう。それがね、やれる方法があるんですよ。それにかけてみたいんです。
コミケは終了までいて、どこにも寄らずに帰ってきました。年越しそばを食べて、今はJにおります。気分が外に向いたから、このまま外に向いたままで、たまにはいいかな。年明け前に家に戻り、その後神社に出かけるか考えます。ま、それは流れです。

今年を振り返ると、まず仕事をとりまく状況が大きく変わりました。あみあみ様での販売、アキバの委託販売の常時化が進み、ワンフェスだけで収まりきらなくなりました。今年の冬のワンフェス以降動きがありましたので、今年立てていた目標がそこから大きくずれていきました。でも、仕事が増えることはよいことで、より確実にしていきたいところです。
委託は当初、在庫管理を目的にしていましたが、売り上げがそれなりに見込めるようになってきたので、在庫より、それのために生産する必要が出てきています。ここがこれから大きく変わっていくことになるでしょう。まず2月のワンフェスまでは在庫中心になるでしょうが、それ以降は変えていきます。毎月アキバに出ることで、情報収集もやりやすくなりました。勢いで始めたものの、始めてよかったと思います。
あみあみ様については、私の生産スケジュール管理がゆるすぎて、安定した供給をまったくできない状態でいます。うちは宣伝媒体がないため、あみあみ様での扱い方が売り上げを左右してしまいますが、最近あみあみ様のWebの形態が変わり、新商品情報が長く表示されるようになりました。これは期待できます。まず取引できるようになっただけ今年は実績ですかね。現状は向こうの期待に答えられていません。向こうはもっと商品数を取り扱いたいようなので、来年はここを含めてやっていきます。
ワンフェスでの商品数は少ない一年でして、これも課題です。商品数が昔より増えており、生産を支えていくことが少しずつ難しくなってきました。結局、商品数や物量が増えても人は増えませんから、作れる量が限られます。今のままだと、一年中オイルをやっていなければ支えきれないレベルです。急激に仕事が増えたことが、かえってうまくまわらない状況を引き起こしていた風にも思います。仕事量が多すぎて、心理的に追い詰められております。それが健康を害する悪いループに入りやすく、健康管理も難しいです。
根本は、仕事の増えた分をこの体でどう支えるかにあります。でも、仕事だけでは気持ちを高く持っていくのが難しいのです。何がいけないかというと、仕事になっているんですよ。昔は作ることが楽しくて、創造力を発揮することが喜びでしたが、作れば売れるレギュラー品を作るときは、もはや何も感じなくなりました。これを作るのが仕事なんだ、それしか感じない人間になってしまいました。この仕事は病気からの立ち直りの役目もあって、以前はただひたすら、人に認めてもらいたくてやっていました。今はそんな気持ちでやれません。どうすれば喜んでもらえるのか、お客さんの望んでいるものをキャッチし、満足いく値段で提供できるかにかかっています。これは当然なんですね。そう考えないと、お客さんがつまらないと思ってしまうでしょう。その一方で、創造性をどこに持っていけばよいのか、自分でもわからなくなってきました。創造的なことをしていたから楽しめていたところが、そうもいかなくなってくると、ものすごくストレスがたまるんです。今が過渡期かもしれませんね。急激に変わる状況に、心も体も追いついていけないんです。まぁ、病気で人生リセットする中で、巨大な劣等感と失望感を抱えて生きてきた手前、今でも自信を持ってバリバリやれません。脱サラして始めたことならきっと違うと思いますが、いつも先行きわからずやっています。

体の管理がな・・・本当にこれだけがどうにかなれば全然違うんだよな・・・。

少し迷ってしまったこともありました。今年はゲーマー魂を出すとき、ふと人生の壁に当たってしまいました。早稲田に帰ってみたことで、それがよけいに大きくなって、相当迷ってしまいました。実は今年一番の成長です。
ゲーマー魂とは、課題に対するアプローチ方法は、学問的手法そのものなんです。私が大学でくさるほどやってきたことを使っています。それがいけないトリガーを引いてしまいました。ふと、自分が捨ててきて、あきらめて、二度と振り返らないようにしている部分に接触してしまいました。自分が捨ててきたものの大きさを認識してしまい、かなりまいってしまいました。もう、弱いこと書きますが、高校、大学、大学院と進むまで、苦労してきました。大学を卒業して社会人を経験してからの大学院でして、大学院に入るのも苦労しました。時間をかけて努力し、積み上げてきて大学院まで来たのに、病気が原因で全部捨てることになり、そりゃやっぱりつらかったですよ。でも、ゲーマー魂みたいな、ゲームに対して学問的なアプローチを積めば、捨ててきたものを少しリカバーできる可能性を持っているんじゃないかと思ってしまいまして、いろんな勉強をしたくなってしまいました。捨ててきたものの大きさに驚いただけです。でも、いつまでも学問をあきらめない自分が、のん気で道楽にも見えて、じゃあ何が本当なのよと迷いました。
結論は、情熱があるなら、やれることをやってもいいと思っております。学問を進める方法は、大学や大学院だけではありません。自分で積み上げ、自分で成し遂げる。その方法は少なくとも学んできたのですから、うまく使っていいと思います。昔はそれが、過去にすがるだけだったのですが、今はそういうことより、新しく前に向かうための方法になっているので、それでいいと思います。

プラモは戦車がひとつできたし、それでいいかな。仕事量が増えていく中で、自分が他にやりたいことをどうまとめていくべきなのか、それが試されてきた一年でした。まだまだ課題は多いですが、来年を過ごしていくには、様々なことが得られました。
人間関係を外に広げていきたいと思っていましたが、それはお魚会や5月3日のダライアス軍飲み会に行くことで、少しはいい結果が出ました。ダライアス飲み会は、あんまり役に立たなかったんですけどね。それも経験です。

細かいことを思い起こせばいろいろ出てきます。blogの更新方法を変えまして、あるときから抜け落ちがなくなりました。更新できなかったときでも後から書くことにして、無理にその日だけの記録にしないようしております。この方法は今後も取り入れて行きます。
Twitterはうまく使いこなせたでしょうか ?? 委託やワンフェスの紹介品の投稿を大事にして、たまに道楽的なことを流します。キューポッシュ関連の投稿を減らしました。キューポッシュの知名度が上がり、自分らしく面白い投稿がやりにくくなったからです。何でも投げればいいものでもないし、難しいですよ。

まとめて、新しい仕事状況に慣れるための一年でした。来年はうまくいくでしょうか。現状を踏まえて目標をしっかり考えようと思います。