なぜAMDなのか2017/12/04 23:59

国内、国外のPCメーカーをだいたい調べた結果、やはりLenovoで手を打つことになりそうです。国内ではPanasonic、TOSHIBA、Fujitsu、NEC、マウス、EPSON DIRECT、国外ではLenovo、ASUS、Dell、HPを当たりました。LenovoでもThinkPadとideapadというのがありまして、使い勝手はThinkPadが上だけど、性能はideapadの方が少し上で、ideapadを取ることにします。しかしですね、いずれは出ると思っていたら、ASUSからRyzenを積んだNotePCが出ていましたよ。消費電力やコストを考えると、NotePCにはAPUを積む方が理想なのに、性能だけを求めてRyzenを乗せていましたね。価格は約20万円でした。性能はNoteと言えないほどのぶっちぎりで、構成はGamingPCです。主にゲームから映像編集まで使える多用途マシンだそうですが、そんな高性能はいらんと思いました。ASUSな上、Ryzenという最高の組み合わせながら、価格も予定より倍になってしまいます。この性能なら5年経っても問題なく使えるでしょうね。ないのは光学ドライブだけで、それ以外は完全に理想を満たしています、というか、過剰です。資金でも作れれば買いますが、そもそも必要以上の性能にそんな金を出す必要はないと考えるべきでしょう。しかし、Ryzenを搭載しているとか、自慢になりそうです。ひとつ問題は、PC本体がでかすぎることがあり、いずれ無理かな~。

私がAMDに乗り換えたのは、2003年に自作PCを作るときでした。PC98ではi486で、次のEndeavorではPIIと、Wintelとまで呼ばれた構図そのものに乗っかってきました。AMDに興味が移ったのは、ある時からAMDの方がintelより高速化し、値段も安くなってきたからでした。Athlonになってから、intelと違い、周波数を上げるよりも他の部分の基本性能を上げることで、低い周波数でもintelの高周波数のCPUと同等か、それ以上の性能を出せるようになったことで、AMDへの乗り換えを決意しました。それで三代目のPCは自作でAthlonXP3000のマシンを作ったのです。グラボもRadeonにして、AMD + ATI Radeon という黄金の組み合わせにしました。
技術的な側面もあり、値段の面もあり、もうひとつ、intelの寡占状態が気に入らなかったのがあります。寡占状態になり、CPU価格が適正に設定されているのか、当時のPIIIの値段を性能を見ながら、疑わしく思ったのです。その点、技術的にも高いAMDが、intelより安く売っていたのは、むしろ信頼できました。ただ、AMDはマザボにかかる負荷がintelより高い印象はありました。AMDのCPUはNorth BridgeとSouth Bridgeという二つのチップで支えられていて、そこの性能もCPUに大きく関わり、マザボにもファンをつけて冷やす必要があったのです。自作では、マザボのメインチップを冷やすのが大変でした。CPU用のファンならいくらでも売っているけれど、マザボ用なんてないのです。熱対策が分散しているのは不便でした。でも冷やさないと、マシンが熱で止まると書いてあるんだからやらざるを得ません。買った当初、HDDも接続せず、とりあえず電源だけ入れて放置し、チップがどれだけ熱くなるのか見ましたが、やけどするレベルでした。マザボはASUSにしました。二代目のEndeavorがASUSだったからです。今ではASUS製のNotePCをメインで使うほど、長らくお世話になっております。
なお、Athlonでは当時はすでに死滅技術になりつつあったoverclockが使えて、一時期はまりました。ただ、overclockにすると、重い作業をしたとき不安定になり、いきなりマシンが再起動する事態が多発したため、適正値がいいようです。安定させるためにCPUの機能を制限したりするのですが、意味のないただの挑戦者の技術で、ネット上でも情報を拾うのが大変で、やめました。
以後、2005年にNotePCを初めて買ったときはAMDモデルを選び、これを書いているNotePCもAMDで、その後の据え置きマシンもAMDを選んでいます。このNotePC以降、APUを使っています。APUはCPUとグラボが一体化しているユニットで、CPUとGPUが物理的に近い位置にあるのと、グラフィックに使うメモリと通常のメモリを共有します。そのためコストが安く、一方で効率的であり、魅力あるものです。これはAMDがATIを買収合併したからこそできたものでしょう。APUのグラフィック技術はRadeonになっています。
そういうわけで、AMDには技術的にも寡占に逆らう意味でも信頼を置き、14年使ってきました。intelの技術力も、AMDという小さいながらも消えないライバルがいたからこそ育ってきたと思います。AMDはPS4やXboxOneにも採用されているんですよ。ゲーム機のコストを下げるのに協力していると思われます。APUは効率的で安いですからね。いくらASUSのNotePCが使いやすいとはいえ、今になってintelに乗り換えるなんて、信条の面からできません。キリシタンに踏み絵をさせたのは頭のいいやり方ですね、そんな気持ちです。intel inside のマークならいくらでも踏んでやりますが、AMDは踏めません。高性能NotePCをAMDで求めた結果、Lenovoに行き着いたなら、それはそれかもしれません。でも、ASUSから離れるのはつらいです。Lenovoはキー配列がよくないんですね。ThinkPadも独特のキー配置をしています。例えば@がShift + 2にあります。もう一般的じゃないし。画面をロックできるらしいですが、画面を消せるのかな。また店頭チェックしてみるかな。えぇ、もうどうしようもなく妥協できないなら、Ryzen積んだマシンにしますよ。テーブルも改造します。NotePCを使うためのテーブルの幅が、Ryzenマシンにすると足りなくて、ねずみが使えないのです。持ち運びもどうなんでしょう。ん、バッテリー駆動時間が1.6時間しかない・・・そりゃ無理だ。これはエセノートですね。ノートの形をしているだけで、実質はやはり据え置きですか。RyzenをNotePCに積むのは、形だけ可能ってことですな。このマシンは却下です。
どれを取っても理想がないってのがねぇ。

なぜ嘘をつくか2017/11/26 23:42

今日の新聞を読みますと、宮内庁管轄の何とか天皇陵という古墳に歴史的な裏付けがなく、実際の歴史と一致しない点が多いのに、一般人は一切立ち入り禁止で調査できない問題が出ていました。もうかなり前から言われていることです。20年くらい前にもそういう話はすでにありました。が、そうした古墳のうちのひとつが世界遺産の登録を目指しているらしく、それに必要な歴史的根拠が得られないということで、また記事として現状を出したようです。では、なぜこのようなことが起こっているのか、その根幹には触れられていません。実はこれ、明治時代のプロパガンダの名残なのです。
明治時代に天皇統治の時代になると、天皇に正統性を持たせるため、歴史が「制作」されました。天皇は長い日本の歴史を統治してきたという証拠を一般人に信じさせるには、墓が残っていればいい、ということになったのです。そこで、古事記やら日本書紀やら、そうした古い史料を元に、考古学的な調査はされずに、この墓はこの天皇の墓であると当てはめられていきました。足りないものは「古墳作り」と言われ、土を盛ってせっせと作られました。そりゃ古墳じゃありません。
そうやって作られた「歴史」が、時の政府によって正統性を与えられ、教育もされてきました。それがどういうわけか戦後にも引き継がれ、宮内庁によって管理されています。我々が小中学生の時代は、宮内庁管理の古墳の名前も、何とか天皇陵という言い方で教わりました。本来プロパガンダとして作られたものが民間に定着してしまったもの、教育の場に残ってしまったものはいろいろあります。古墳と歴史の問題は、今に残ってしまった最も厄介かつ、不可解なものでしょう。もう歴史学者は、今の宮内庁の主張がどうやって作られたかも知っているし、その主張に歴史的裏づけは一切ないことは明確なのですが、宮内庁はただの役人業務をしているだけです。つまり、公然の嘘です。
どうですかね、公然の嘘が平然とまかり通り、歴史の真実を調査することすらできないとは。ではなぜ宮内庁が調査を拒むかというと、おそらく面目でしょう。今までこう言ってきたのに、それが真実ではなかったということが発見されたときに、宮内庁の対応が問題視されるからだと思います。うん、完全にアホですね。

学部時代の資料2017/09/05 22:41

ものを作る前には環境を整えねばなりません。印西から帰ってきた荷物もまだ全部ほどいていないままで、コミケでもらったものも整理はつかず、増えた同人誌もどうしていいやらになってきまして、根本的な整理が必要になりました。
本棚の不用品を捨てることがまず基本で、もういらないものを整理します。ワンフェスのカタログも、一年分しかいつもとっておかない方針ながらも、たまってきました。表紙だけ切り取って、あとは捨てます。ワンフェスのカタログはあまりとっておく利点もないです。他、紙類もたまっています。いらないものは捨てないとたまる一方です。
大学と大学院の授業で使った資料は、自分で今後も必要だと思うものに限り保存しておりますが、ばらけていました。それを一箇所にまとめます。無理矢理ファイルに挟んでいるけれど、挟んでいるだけでとまっておらず、薄い箱型の収納道具を買わないとダメですね。久々に資料に目を通してみました。当時熱心にやっていた研究の資料が見られます。レポ関係はデータでも保存しています。
これは、専門の演習授業で、レポート課題は自由だったときに出したレポの補足説明の一部です。とても長いレポで、ポケモンを話に出しました。で、先生がポケモンについてよく知っているとは思えないため、そのゲームの特徴を最後にまとめたものです。このレポはいろいろ使えたため、印刷してとってあります。このころから今につながる同人の基礎をやっていたのですよ。ただレビューするのではなくて、学問の現場で通用するよう扱う方法は、こうやって身に付けたものです。このポケモンについてはただの説明ですけどね。
4年のときに、卒論のための研究をどうやればよいのか、一学年下の学生に講義してくれと教授に頼まれたことがあって、そのための手元資料です。当時の現在進行形のものが、どういう背景があって、その結果何がもたらされるのかを知ることは、情報通信が「作品」の概念を変えていくと主張していた私に、とても重要なことでした。私もこのころはまだ自分の研究を煮詰めきれてなくて、発表のための準備は大変なものでした。準備期間は一ヶ月あって、決して遊んでいたことはないのに、何を講義し、どうまとめるかを考えるにはとんでもない手間と努力が必要でした。聞いた学生が、これをただの博識と勘違いしているところもあって、講義でちょっと反応に苦労したのもあります。
ちょうど5月の連休も挟んだのですが、これがあるから5月はとても旅行なんて行けないと言ったのにも関わらず、親に旅行に借り出され、行った先で結局どこも行かずに宿こもりし、当時はNote PCも持っておらず、作業の限界を感じて先に帰ることになりました。大量の資料を持っていくのも大変だったんですよ。まぁ、親がどれだけ基本的に頭がよくても、努力して勉学に励んだ経験がないとこんなものだと、よくわかった時でもありました。うちの母親姉弟はとても頭がいいんですが、勉強は嫌いで、さぼる、一夜漬けタイプなんです。高校入試までならそれでいけても、その先勉強しないタイプは落ちていく典型的例です・・・。理解力はすごいんですけどね、まじめにやらんと勉強の苦労がわからんという・・・。

シスプリのことは、かなり調べていたけど限界もあって、シスプリにハマっていた友人と偶然出会ったときに、一緒に食事をしてとことん聞きました。そいつはすごく頭のいいやつだったんで、私の研究の狙いどころもわかってくれて、とても助かりました。
しかし、研究のための知識を練っていることより、博識であることが私の求めていたところに必要だったのは事実で、博識の先に何を煮詰めるか、簡単ではありませんでした。こうした研究分野は、一見するとものすごくやりやすそうで、知識さえあればできそうで、その知識をどう入れていくのかと、膨大なそれをどうまとめるかは、大変難しいものでした。講義を聞いた学生には、すごく簡単そうなイメージを与えてしまったようにも思っています。好きな分野を突き詰めればいいんでしょ ? と。いや、これは、自分の好きな分野以外を突き詰めることの方が大切なんだよ、とまでは当時の発表で伝えきれてないでしょう。
学生時代の資料は、見ていて今でも面白いですね。思い出すこともたくさんあります。このころから見ると、伝え方もうまくなってきたと思います。今できることは、考えて同人誌を書いていくことです。

内容過酷 体の実態2017/07/09 22:39

特に考えるようなこともないようなのに、Jに来て何かしております。正直なことを言うと、ワンフェスの商品情報が上がってこないのは、作ってないからです。まったく作ってないわけではありません。が、ある時点から歯車がまわらなくなりました。
前回のワンフェスが終わってから、ひとまずあみあみ様への商品を出すべく、早めに動いて作ってきました。でも長く続きませんでした。途中からペースが落ちて、中途半端になってきました。前のワンフェスから感じてきておりました。商売と体の限界の関係です。なるべく販路は確保したく、委託も出して、あみあみ様への流通も確保しつつ、ワンフェスもこなします。ワンフェスもレギュラー品の数が増える一方、新商品投入をしなければ売り上げを伸ばせなくなり、常に追われる状態になってきました。
本来、この商売は私が病気から復帰すべく、ほとんど唯一の頼みの綱でやってきました。最初のうちは今から見れば規模も小さく、作ることに新鮮味もあって、どん底から這い上がれる可能性に希望を抱いてきました。が、商売が自分の体の回復よりも早くに大きくなり、ついていくのも大変です。一時期は胃腸をひどく悪くして、衣料部での参加で立てていた時もありました。その後、2014年から今の商売規模になっていきます。商品用のディオラマを作らなくなり、作品展示の要素をなくして、売ることだけにすべてをかける方式になりました。商品数が増えると共に3卓使うようになり、床と壁から部屋を演出できるようなアイテムを揃えています。
ここまで、2011年から始めまして、もう6年です。ちなみに私の体に最初の問題が発生したのは2003年で、倒れたのは2006年。病気で社会から寸断され、長く絶望的な時間を過ごしました。体は初期のころから見ればだいぶよくなっています。が、全体がよくなる回復を見せません。部分的にはかなりよくなっているところもあるし、ほとんど回復してないところもあります。また、長く続く中で新たに出てきてしまった症状もあります。そして何より、歳をとりました。2003年なんて、まだ25ですよ。こと、この数年で、症状が重く出たときに対する抵抗力が圧倒的に低くなりました。以前より安定性も悪くなりました。

体の回復には人生に目標を持って、心理的にも追いやられないことがとても大切だと、何の定めか、今の商売を始めました。でも、商売の成長と体の回復が同じペースであればよいものの、実際にはそうなってくれていません。せっかく販路が広がるなら、収入面も考えてそれを狭めたくはありません。一方で、それを抱えながらやっていくための体がないことに、前のワンフェスから気付き始めていました。
何よりプレッシャーがかかります。物量が必要、新商品は必要、締め切りはある、用意できなければ自分に責任が全部かかる。残念ながら、それをやる気に変えることはできません。やる気を持っても体がついてこないため、無駄にがんばれば大きな挫折になります。自分にできる範囲をわきまえて行動することは、過去から学びました。そして、私には緊張に対する耐性がありません。気持ちの問題ではなく、負担をかけることができないのです。私には緊張を自分で制御する機能がありません。こいつが脅威の病の元凶です。緊張、興奮、不安、恐怖、ストレス。これを一切かけてはいけません。一度かかってしまうと、自力で元の状態に戻ることは難しく、また、こうしたものは形を変化させながら体に負荷をかけてきます。緊張だったものは恐怖になり、興奮は不安にもなります。だから私は人と会うことをあまりしません。たとえ親友であっても、会って話せばわずかでも興奮します。こうなったら最後、興奮は制御を失って、緊張や恐怖となりながら襲ってきます。こうなった場合、こうなった時用の薬を飲んで、一人おとなしくします。寝ても治るとは限りません。そもそも寝付けなくなります。寝ようとすると発作が起きて、体が勝手に飛び上がり、勝手に声が出たりします。親友に対してすらこうなのだから、知らない人や慣れてない人と話すことは必要でない限りしないし、その場に誰かいれば代わりにやってもらっています。一番つらいのがあみあみ様とのやり取りです。これは私しかしようがないことで、何とかやっています。本当に、電話ひとつで薬なんてこともあるんです。人付き合いをなくすこともできませんから、その辺は薬と要折り合いをつけています。
長年の工夫で、興奮やストレスは抑えることができるようになりました。というか、生活の中で「怒り」を一切排除すること、つまらないことで腹を立てないこと、喜ばないことで、ある程度自分を制御できます。世の中いかに理不尽なことが起こっていようが、怒りを持たないようにします。大喜びもしません。一方、日常的に感情の起伏が少なくなっているので、覇気がないです。刺激の強いドラマのような映像も避けています。つまりは、外部からの入力に対して、入ってこないよう遮断することと、入ってからの心理的な効果を減らすことで自分を守っています。この方法は、人によってはカウンセリングなどで身につけるらしいですが、私は自分で身に付けました。
ところがそれで全部を抑えられるわけでもなくて、朝起きたら異常な緊張状態にあるときもあるし、夜にかけて不安が強くなることもあるし、根本的に「安定」の位置が人とずれていますから、そうなってはもう薬に頼るしかありません。日常的に飲んでいる薬以外に、追加の薬を使って対処します。このときは人と遮断された状態にします。「まとも」 じゃないからです。
よい方法として、適度な緊張感が保てる場所へ移動する方法もあります。これが私の夜JとかGにあたるものです。店は人がいますから、やたらなことはできません。一方、人はいても関わり合いがないから、この適度な緊張感の中にいて本を読んだり、PCで何かしていたり、時に家具の設計を練ったりしていると、家にいるより安定します。家で一人になれば、どうしても悪さが意識されやすく、かといえ人と交わるには難しい状態です。この時間はとても自由で、私なりのストレス発散方法でもあります。
ちなみに、家具の設計や同人誌の原稿など、非常に繊細な考え必要とする時も、この適度な緊張空間を選びます。考え事に集中すると、恐怖に襲われるからです。たいていの場合、こうした作業は安定した空間でやっていても負荷があり、帰ってきてから薬を必要とするのがほとんどです。それでも、家でやるより安定できるため、お金をかけてでもJやGに居座ります。
以前は、調子の悪いときにゲームをすることもしていました。ゲームをしていれば何となく意識がそちらへ行って、一時的に感覚を無にできます。ただ、結果はついてきません。ゲーセンを駆け込み寺のようにしていたこともあります。だから四街道のエスタシオンには心底感謝しているのですが、この数年の抵抗力の衰えがひどく、ゲームによる多少の興奮が余計に状態を悪くさせることもあり、今は状態が悪いときのゲームをやめました。日常的なゲームの量を減らしているのは、興奮を抑えるためでもあります。適度にやる程度なら問題ありません。金曜のゲーセン程度なら、時間も区切ってやりますし、疲れたら休ませてもらえばよく、ここはうまくストレス発散しています。

困ることは、意識、神経系、胃腸への異常です。てんかんではないのに、てんかんの人と同じ症状を出します。てんかんと違い、突然起こるものではありません。条件がありまして、最近は睡眠不足を起こさなければ大丈夫になりました。睡眠中に激しく起こすこともありますが、寝ていれば事故にはなりません。
よくある意識が薄いというのは、てんかんのように断続的に意識が途切れるのではなく、その手前の状態が続く状態です。わかりやすくいうと、立ちくらみでちょっと意識がほんわりする状態のまま固定されている感じです。意識の状態は夜の薬で安定が保たれています。これが起きてから起こってしまうとどうしようもできません。たいてい、寝ている間に異常を感じてわかります。非常に危険なため、これが出たら家から出ないことを原則にしております。
筋肉が硬直し、体が勝手におかしな方向に曲がったままになることもあります。これもかなりよくなりました。昔はしょっちゅう起きて、体の自由がきかず、その度に我慢していました。胃腸は適度に壊れます。こうした様々なことが、何かしら日常的に襲ってくるのが常です。これに加えて、先に述べたような、外部刺激に対する反応もあります。現状は、こうした中で使える日に動いて作業をこなしております。

で、こなすべき仕事が増えてきているのに、使える日が限られると、まず休みがなくなります。休みは体の調子が悪い時だけです。その分を動ける日に取り戻すため、倒れているか、働いているかしかありません。やるべきことの多さにストレスがたまりますが、ストレスは非常に危険で、体に害をもたらし、余計に動ける日が少なくなります。
やらなきゃいけない、でも動けない、これの繰り返しになってきました。さらに、年齢による抵抗力の低下が目立ち、調子の悪いときに無理をしてでも・・・ということができなくなってきました。毎度イベント前というものはプレッシャーが非常にかかるもので、今までもさんざん苦しんできたのではありますが、今回は前回から引きずって長期的に体が回らない状態にあり、加えてこの場をどう乗り切るのか、非常につらい立場にあります。結局、商品が揃わない責任は私にかかるわけでして、まこと残念ながら周囲の理解もさほどよいわけではありません。いまだに、調子が悪いなら病院へ行けば治してもらえると思っているレベルですから、そんなもんなら大学院まで重ねてきた人生全部捨てないわ。
最近は攻撃性を感じるようになってきたので、さすがにやばいなと思いました。慣れているので衝動を抑えることはできますが、恐怖を感じるために意味もなく自分を守ろうとして起こるものです。もうよーくわかっております。そこまで無理してやる必要ないだろうとも思いますが、何もしないでいるとうちでは責め立てられるし、調子が悪くて口が聞けなくても怒られるし、そんなに楽でもないんです。多分、私の態度がはっきりしてないのもいけないと思います。やるならやる、やらないならやらないと言えばいいのでしょう。
もう作れる商品数は時間的に限りがあり、これから残りにやるのかやらないのか、そこすらまともに判断できません。ただひとつ、次の冬のワンフェスへの参加は見送ることにしました。このまま同じ状態が続くのは体への負担を考えても無理があるし、私だけに限らず、全体的な生産量が増えておりまして、新しいものを練るための時間も環境もありません。活動を整理する意味でも、一度は休みを入れるべきだと判断しました。本当は、もっと前から休みを入れることも考えていました。状態が悪くなってきた今がその時かと思います。

衣料部については、まずまずの品数は出せそうです。本来予定していた数までは用意できないようですが、それなりにはあると思います。ちょっと細かいところまではまだわかりません。
あとは私の問題です。とりあえず用意できているものだけでも売ってしまうか、やめるのか。調子が不安定で、昨日はたこ焼きなんか作っていたけど、今日は何もできませんでした。つまりは外部への責任の取り方です。これっぽっちかと思われるのか、潔くなかったことにしてしまうのか。すみません、まだ結論は出せません。