見えない運営2018/05/21 22:10

昨日の夜は興奮してなかなか寝付けず、その割には早くに起きました。10時くらいですけど。4時くらいまで眠れませんでした。興奮はあまりよくないですから、とにかく今日は仕事は一切せず、体を休めることに専念しました。思った以上に疲れてないように思いますが、畳をプレスする気分になれません。やっぱりわからないけれど疲れているんです。疲れを認識できないのは興奮が高いからで、なるべく刺激がないようがんばりました。しかし、朝のサラダを前もって作っておいたのは正解でしたよ。朝作るとなると、かなりつらい労働でした。
今日は同人誌の原稿を書いて、昨日買ってきた映像を見て過ごします。だいたいGame Legendが終わると、読みたい見たいより、書きたい衝動に駆られるのです。自分もやらなくちゃ、と思うんですね。それで原稿を書いていました。ここは原稿を書くには本当によい環境です。もともとここへ来始めたのは、原稿を書くためでしたし、書き始めるとどんどん進みます。夕食は残してあったタイカレーにして、今日はサイゼリヤで休息です。

昨日のことを少し振り返ってみます。昨日はなるべく、今まで買ったことのないところをで買いながら、以前買ったところの感想をしっかり伝えることを意識しました。私もワンフェスでこういう商売をしていると、感想をいただいたり、応援をいただけるのは大変励みになります。それゆえ、いいと思ったものはその思いをしっかり伝えるべきだと思いました。それは、楽しませてもらっていることへのほんのお礼でもあります。好きでやっていることでも、その日までに頭の中にあるものを形にするには時間もかかり、お金もかかります。それを元が取れているんだかわからないような値段で売っている人もいて、心底応援したくなります。
私の本は利益を少し乗っけているから高いんですね。印刷代が安くなり、印刷数を50部に増やしたおかげで、少しは利益が出るようになりました。でもイベント参加費用や交通費を考えると、全体的にはとんとんです。安く売っている人には本当に感激します。私もワンフェスでは小物を安く売っていますが、家具はそんなに安くありません。こと材料費のかかるものはそれなりに高いです。ちゃぶ台とソファテーブルが材料費を結構食われるので高いです。また、オイルをかけると手間がかかり、手間賃も含めると家具はあまり下げられません。そこで利益調整をしているわけですが、本を売っている人は調整できないですから、その覚悟には頭が下がります。
買ってきたものは昨日の今日で目を通しきれず、イベントの印象を書きましょう。今回はイベントのサークル申し込みが事前で締め切られるという過去にない事態が発生し、実質的な足切りが発生しました。また、今後も足切りは発生し、不備のあるところは落とすと宣言され、申し込みの注意書きが一気に増えました。昔のあの、かやの木会館の時代は何だったのでしょうか。50サークルでこじんまりとしたあの時代は。今は130で足りず、Onlyでありながら入れないサークルがあるのでは、本当に厳しいと言わざるを得ません。この分野はコミケのような大きなイベントでは活動しにくくなっており、OnlyがまさにOnlyのチャンスのところも多くあります。それが入れなくなると、サークルは活動の場を失う可能性もあるのです。
昨今は企業の参加も増えてきました。レトロゲームをひとつのビジネスにしている会社が宣伝しする場にもなってきています。こんなOnlyでと思われるかもしれませんが、レトロゲーム好きは横への友人関係を広く持っていることが多く、波状的に情報が広がると、とても大きな効果があります。また、企業が参加するということは、業界人も来ていて、この業界での情報交換や交流の場、人材確保の場ともなりうるのです。それほどまでこのイベントは「同人」という枠に収まらない、この業界のビジネスの場にもなってきています。それゆえに、会場がこのままでいいのかは、死活問題になるでしょう。
私は、広く意見を募集すべきだと思っています。イベントが大きくなるにつれ、開催者の負担も大きくなっていることは理解できます。だからこそ、みんなで考えられるよう、意見をしっかり集めるべきではと思います。今回のイベントパンフには、表紙と裏表紙の絵がない上、毎度のアンケートの集計結果も載っていませんでした。私は11月にサークル参加しているため、自分のサークルの発行物が評価されているのか、イベント全体として売り上げはどうだったのか、この5月のパンフに載るアンケート結果は気になります。それが出ていなくては、お話になりません。それだけ時間が取れていない、手間が間に合っていないということです。パンフ製作すら手間なのでしょう。
この会場でまだやるの ? というのは、おそらくどの参加者も同じように思っているはずです。足切りが発生したことで、もういい加減に無理があると考える参加者は増えるでしょう。別に誰も、この会場でなければ絶対嫌だとは思いません。むしろ、かたくなに姿勢を変えず、参加者に対してはっきりとした意思表明のない主催側への不信感が、このままでは高まる一方です。
広くて使いやすく、会場費の高くない場所として有名なのが、ドールショウでもお世話になる、浅草のあの建物です。産業貿易会館ですね。東京の公共会場は、R18の物を売るときに不測の事態が発生しうるため、使わないという立場で、現在の会場が選ばれています。そのあたり、他のイベントはどうしているのか、現在は実際のところどうなのか、情報を参加者に公開してくれるだけでも状況は変わります。とにかく今は、主催者がブラックボックス状態なのが目立ってきました。元より会場の手狭なことは言われており、販売するグッズ類に関しても、ある程度規制のラインはないのか問題視されてきました。販売物は基本的に自由であっても、見ていれば、限度を超えているだろうと思わせるものも目に付きます。現物のコピーをそのまま無加工で売っているものもありますからね。それは同人の域を越え、違法ではないかと・・・。その割にTwitter上では主催者側の一人が、会場での写真撮影に問題ないかチェック網を張っていて、何か問題があれば削除要請されます。必要なことであっても、参加者の意見には沈黙、一方で参加者への規制は厳重になると、さすがに何かおかしいなと感じざるを得ません。かやの木会館時代のGame Legendを知っている私から見て、当時よりイベントは盛り上がっているが、イベントの運営状況は悪くなっていると思います。
多くの人が動く以上、主催として手が回らない、というのは許されないことであるとも思います。手が回らないなら人手を増やす、そのために費用がかかるなら参加費なりパンフなどに上乗せする、どうしても厳しいなら主催者を立てず、組織立てた運営にするなど、何かしら策を取るべきではないでしょうか。少なくとも、現状何をしているのかくらい、参加者に伝えるべきではないでしょうか。イベントが大きくなると、簡単に止めることもできません。こうなるつもりじゃなかった、で始まったイベントだったとしても、参加者が増えて休まず続けるほど、責任も重くなってきます。私だって、量産型マンドラゴラという商売は、こんなつもりじゃなかった、ですよ。でも大きくなったら大きくなるなりに、何かしら対策を打っていかねばならんのです。

私と同じように考える人は、意外と多いのではと思っています。少なくとも、一緒にいつも参加しているFACENAOさんやMUCKさんも、イベントの運営状況のブラックボックス状態や、会場問題は感じています。このままどうするの、というのが今回最大の思いでした。何せ、今まで壁際にあった実態展示が企業参加増加の影響で内側に入り、グッズ関係が増えているのか、それもさらに内側に入り、何かが減った印象を強く受けました。狭さもいよいよ限界だろう、そう思わされるのでした。

印西生活奨励2018/05/01 22:47

blogの更新をしようとしたら、blogの大元が落ちているみたいで、503になって表示も出来ないし、ログインもできません。委託商品情報をせっかく上げているときにこういうのは怖いな。見たい人は後で見てくれると信じましょう。新商品情報を公開すると、見る人はやはり増えます。Twitterを活用し、委託情報をTwitterでもblogでも両方から常に見られるよう、情報を整理しています。情報も同じにせず、blogではより詳しく書き、うまく活用していきたいところです。
そして、連休中の貴重な平日に、病院へ行きます。印西へ帰ると、薬が中途半端なところでなくなります。そろそろひと月ですし。それにしても疲れているため、病院だけ行って直行直帰です。さっさと終わるはずでした。が、長い・・・。行った時に番号が44番って、今日午前中だけでも大変だったことがうかがわれます。そして初診がいたらしく、待ちました。次の人も長くて待ちました。こういうこともあります。今行かないと、一週間開いてしまいますから、今日どうしてもの人は多いでしょう。
印西での状況を話しました。先生としては、印西での生活は奨励です。私にとって最大の課題は、別に飲む追加の薬の回数を減らすことにあります。つまり、調子の悪い時があって、その時平時の薬では足りないから飲み足すわけで、薬の使用量が安定していないのです。これをいかになくしていけるか、日常の薬だけで状態を抑えていけるか、これが長らく課題になり、症状の波を抑える薬も使っています。この滞在中、緊急で足した薬は一回だけ。だいたい10錠くらい毎度使ってきた現状から比べ、一錠でそれが済むなら、薬の量も減らせ、先生が考えている治療の道筋としては理想的な状態です。結局印西で安定する理由は、社会と隔絶されている、人とのふれあいがないことで、一般的には不自然な状態に見えても、この病気を抱えている人間のいる場所としては、理想の条件が揃っていると言えます。
先生もそうだと思うし、私もそう考えていますが、少なくとも私みたいな人間が他の人と同じような生活をしていけるのかと言えば無理だけど、その人らしく、限られた範囲内でも生き生きとしていけるなら、その道を選ぶべきだと思います。私には、それは決して社会的ではありません。でもそれでいいのです。私が最初に失ったものは、社会に適合して生活していく能力であり、今でも戻っていません。それを失った以上、社会的であることが私にとって幸せとは言えません。病気の制限があっても、その人らしさを発揮できるように生きられるなら、それが一般的である必要などないのです。病気と共存して生きるとはそういうことです。
だから先生からすると、病気が安定しつつ、仕事のプレッシャーも逃がしながら生活できる環境があるなら、そっちを選んでほしいわけです。無理をしながら薬を増やすより、無理をしないで薬を減らせる環境があるなら、治療のためにそっちを選べと言うのが先生の立場です。私もその方が負担が少なく楽だし、仕事も進みます。この数年かけてずれてきてしまったものを治していけるなら、それが最良だと思います。今までの環境だったら、一人でワンフェスの物量を全部支えろなんて、とても無理でした。それが今なら、体をおかしくすることなくできています。
ということで、引き続き印西生活を奨励され、今月は追加の薬もなくなりました。今までの在庫で回せるほど、使う量が減りました。不器用でも、その方がいいですよね。

春の栗会2018/03/25 23:46

ただひたすら話し、口を動かし続ける。今日は網走から帰還した、栗氏を囲む食事会でした。毎度帰ってくるたび行っています。今回はそれぞれの都合をすり合わせ、この日曜日開催となりました。私は昨日図書委の飲み会で寝たのが3時過ぎで、また昼から食事会という、寝て起きてまた出掛ける事態でしたが、何となく最初はぼんやりしていたものの、そのうち元気になってきました。
栗氏の家が引っ越した関係で、今までは単純に迎えに行けばよかったところが、電車で四街道に出てきてもらうことになりました。稲毛からなので、さほど遠くありません。私はとにかく、冬コミで買った同人誌を引渡し、贈り物をすることが重要でして、それは無事果たせました。
この会、迎えに行ったのが11時25分で、公式には12時スタートでしたが、終わったのは日付をまたいで1時半過ぎとなりました。この12時間以上に渡る中身をぱっとまとめるのはなかなか無理がありまして、何となく書こうと思います。第一部の会は20時過ぎまで続きました。途中、MUCKさんとFACENAOさんが離脱し、最後にLuftさんが離脱すると、残りは二人になりまして、そこから店をGへ移動し、Gが閉店するまでいました。本当なら、私がそろそろ帰るか、とも言わなければならないところなんですが、話を聞いていると面白いし、こちらもなかなか普段話さないようなことを話すので、この際時間は忘れてしまおうと考えました。帰りは車で送っていけばいいだけです。深夜ドライブは大好きなので、私にはあまり問題になりません。いやね、彼は大変だったかもしれませんが。
第一部では、彼のやっている学問についての話や、大学院をどうするかといった話までしました。途中、Nintendo Switchも登場し、ゲーム体験もしました。私も伝説のクソゲー、トランスフォーマー コンボイの謎を持って行き、泣かせてやろう計画をしたほか、キラキラスターナイトDXも持っていきました。キラスタは私の中で何かが焼きつく、とてもいいゲームです。その他いろいろ話しつつも、ゲームについて多く語ることはありませんでした。基本的に彼の生活の中でゲームの占める率が減っているため、ゲームの話をしても、あまり距離がつまらないかなと思ったのです。が、一方で、ゲームの話で盛り上がりたい側面も他の人にはあっただろうし、難しいラインでした。
結局、二人だけになってから、夕食も食べつつ、学問やら私の昔の話やらをすることにして、再びJで夕食も難なので、Gへ行きました。私は学問から離れているようで、自分にはわからない分野のことには今でも興味があるし、話を聞きたいと思います。自分で仕事としてやっていて、一方で趣味である模型作りの話なんかは、あまりしたくないのでした。そういう情報は仕事に必要だから、手に入れる方法を知っているのです。ゲームのことも、いつもの仲間から必要なことは聞き出せます。彼からしか聞けないこと、彼にしか言えないこと、それが学問の話になります。
私が書いているゲーマー魂は、ゲームに関することを一般のゲーマーにわかりやすく伝える一方で、そのテーマの作り方や全体の構成法は、文学部でやってきたことそのものです。本には書かなくても、テーマを設定し、どこまで書けばよいのかについては、時に大学時代に買った専門書を開きながら、基礎知識を固め、その上で考えます。第4号はスクロールで、これはゲームが誕生する以前からあるもので、絵巻物もスクロールだし、映像が誕生してからは、映像技術として使われてきました。そこを広義に広げると扱いが難しくなるので、あらかじめスクロールに関する映像学的な観点をまとめておき、ゲームにどこまで関わらせるのか、線引きをしました。これをすると、大風呂敷を広げることなく、限られた視点から、広い世界を見ていくきっかけを作る書き方ができます。あの第4号の裏では、映像の専門家ゆえに考えるべきことが積まれているのです。もちろん、それは本文で出さないようにしました。これを読み手に悟られないように書いています。何となく趣味で書いているだけのように見せて、裏では文学部ならではの手法が取られ、知識を積んでいます。多角的な知識がないと、時に分析は行き詰ります。第4号の、ゲームと教育に関する部分も、日常的に現状を見てます。
私にとっては同人誌作成がいわば知的欲求の行き場となっており、仕事と関係あることしか勉強しないとか、忙しくて勉強なんてしていられないということはないようにします。別にちょっとしたことでも、新聞の端っこに出ているような科学の記事もしっかり見て、記憶にとどめながら世の中を見ているだけで、新しいことは入ってきます。つまりは勉強法が重要なのです。さらに、ものごとはいろいろな場所で関連しあっているのだから、ひとつの分野だけ追い続けることはしません。そんな生き方ゆえ、大学生を捕まえると、学問の話で盛り上がれます。私にその場で瞬時にすべてのことがわかるか、といえばそうでもなくて、少し考えたり、その時聞いてわからなかったことを後で考え直したり、先のこのまで含めながら、この時間を楽しむのでした。少しは私も生物について、勉強し直す必要があるなと感じてしまいます。やっぱり高校の時に習ったことが今になると抜けてきているわけで、抜けているのがもったいなく感じてきます。せっかく時間をかけてやってきたのだから、せめてうまく使えないと、あの時の苦労は何だったのか、報われませんわな。
彼のやっているのは系統学で、今はカレイを実験体としながら研究を進めております。系統学に関する基本的なこと、今置かれている状態を聞きながら、その分野のことを知っていきます。同様に確からしいを是とする学問は、確かでない部分をどうするのか、どこで同様と見なすのか、その線引きは人間が決めるのであって、自然界の雑然とした状態を人間が線引きして決めたことが、果たして自然界を表すのに的確と言えるのか。そういう狭間にあるわけです。
とても興味深い反面、足を突っ込みたくない世界感満載でした。外から聞いている分にはいいけど、当事者は自分の研究をどうまとめていくかによって、派閥争いの中に入っていくようなものです。もうちょい穏便にやれないものか、ある種の不幸を感じます。大学は高校までの知識で選ぶもので、その先のことは受験生の段階でわかりません。先に進んだ時点でもう戻れない世界でもあり、好きでやっていても理不尽があるのは、全力でやることの障害にもなり、この分野はまだこの先が大変そうでした。もちろん、そんな話ばかりを聞いていたのではなく、いろいろ聞きましたよ。ただ、この場で説明するのはとても難しく、うまく書けません。
あとは、私の話がどこかで役に立ってくれるといいんですけどね。そんなこんなで二人になってからGが閉店するまで引っ張り、帰りは深夜ドライブで送っていきました。次の日の予定とか聞かなかったけど、大丈夫だったのかな。

外交カードより2018/02/14 23:44

テレビのニュースでは、オリンピックと共に、北と韓国の融和ムードが流れております。なんかね~、オリンピックが終わってもこのムードは続くのか、と考えると、一時的に終わる気がしますね。でも、本来は民族が統一されることで、巨大なしこりと問題が解決されるだろうし、今それが無理であっても、ひとつを体感できることを大切にしたい人々の気持ちは、これからを支えていくのではと思います。合言葉は、うりぬん はなだ~。ニュースで聞いていれば、そう叫びながら旗を振っている様子を見られるし、オリンピック開始前には統一チームがその言葉を書いた横断幕を出していました。統一旗を持って、うりはなだ~、と叫んで北の応援団の周りにいれば、日本人でも韓国人に見えますよ。幸い、うりはなだ~、の発音は、日本語で書いても変わらんので。ぬん の発音は日本語にないんで、無難に、うりはなだ~、と叫ぶ。
ミサイル一発でこの関係は終わるかもわからんけど、どこかに希望を託しているのは、国家よりも人間として付き合いたい、ということそのものなんでしょう。本来こうあるべき、そしていずれかはひとつになる時が来ると。いいんですよ、それがただの外交のカードだったとしても、国民という単位がどこかで望みを持っていること、このオリンピックの融和の時間の素晴らしさを忘れないことが、何かの力になれば。アホみたいに、外交と国家のカードを振り回しているより、人間としての思いを大事にできれば。こいつはアメとムチだったとしてもね。アメのおいしさに気付いて、いずれムチを捨てようと考えられる時が来たなら、それが一番だと思ってます。たとえ100年かかっても。