同人の志2017/05/19 23:06

今日はなんと、ステーキGにランチを食べに行ってみました。健康サラダバーというのがありまして、普段はメインの料理にそれがついてきますが、ランチだとそのバーだけを楽しむメニューがあるのです。サラダだけでは食事にならない、と、そんなことはなくて、このバーにはカレーと各種パン類があり、他デザートもスープもあって、しっかり食事をこなせます。死ぬほど押し込めるのが魅力でしょう。時間は3時間あるけど、そこまでいることはないし、十分楽しめます。ここはおすすめですよ。

Game Legend のレポがずいぶん読まれていると思ったら、イベント開催側のひとりがピックアップして意見を述べていたのでした。別に反論とかケチをつけるような内容ではなく、現実の状況に対する難しさを共に理解するような意見でした。私も考えさせられるものがありました。それの意見の終わりに、同人は作らなければ何も始まらないということは書いてほしかったとありました。同人活動しようとする人をもっと励ました方がよかったかもしれません。
同人をやるときの大事なことは、自分でやりたいことがあるから、そのために動くことです。これは間違いありません。しかしその先、その先が本当に大切なんです。誰のために作るのか、ここです。同人やらワンフェスやら、こういうことをたくさんやっていると、ここが大事になってきます。そして、自分がただ作って満足したいだけなら、それは公の場でやらない方がましであることは言っておきましょう。やるなら一人でやって、公の場には出さないことです。最低限、自分のためにやることと、他の人に何かを伝えるためにやることの区別はつけるべきです。それはなぜかというとですね、出すものや評価に対して自己中心的になるからです。世の中、自己中を押し付けられてうれしいと思う人はいませんよ。自分のことしか考えないから、売れないのは周りがわかってくれないだからとか、自分さえわかればそれでいいとか、そうなるなら人に見せる必要はありません。
つまり、同人をやる以上は、自分が作りたい意志と、相手に届けたい意志のふたつが必要なんです。相手に伝えたいことがあるからこそ、わかりやすくする工夫をし、面白くなるよう考え、相手の評価を受け入れられるものです。人の目に触れるから、客観的に物を見つめ、洗練したもの作りを意識します。そういうところには、人が入ってきます。たとえマイナージャンルの同人で戦っても、通りすがる人を説得する武器にもなるのです。その上で結果が出ないなら、工夫が足りないかもしれないし、運が悪いかもしれないし、自分を納得させることができます。決して自己中にはなりません。自分のことだけ考えて作ったものが売れていくと、その人は傲慢になっていくでしょう。自信過剰になっていくでしょう。その分、お金も手に入るでしょう。周りはへつらうようになるでしょう。そんな人も見たことがあります。でも、その人は幸せでしょうかね。周囲を威力で押さえつけるような王様になって、それでいいんですかね。
同人をやる人の多くは、人と心を通わせたいと考えるんじゃないでしょうか。自分の好きなものを他の人と共有したいからこそ、行動を起こす人が多いと思います。そんな思いが自分を向上させるなら、同人をやる意味はあるでしょう。自分を向上させるったって、大変なことですよ。こと、足りない部分をどうやって補うかは、時に行動をあきらめさせることにもなります。なかなか結果につながらなくても、行動を起こしたことに感激する人もいるかもしれません。
何もかもうまくできる人はそうそういないと思います。だから、自分の光る部分をしっかり見つけて、そこを人にどう伝えるかを考える。これは大切なことだと思います。私自身、自分の腕で自分の生活を切り開いているし、みさおか先生のような、同人からプロ漫画家に上がってきた人が周囲にいると、お互いプロとしてあるべき資質をわかっているため、あんまり下手なことは言えません。ただ、みさおか先生もそうですが、少なくとも我々はこうやって腕を上げてきました。それは間違いなく共通で言えることです。自分の好きなことだけやってきたなんて、これっぽっちも思っていませんよ。

私も同人では完全にアマではありますが、量産型マンドラゴラで培ったものを最大限自分の本には反映しています。今のイベント状況の中、自分の意志を相手に伝えるためには、本を売らねばならぬのです。そのためにどうするか、毎度買ってもらえるにはどうするか。ちなみに私は事前の宣伝をあまり重視していません。販売網がたいしてないのに、宣伝しても非力です。そこは当日うまくカバーしていくのですよ。ここ、マンドラゴラ流です。

いつものような雰囲気2017/05/09 23:04

今日は病院でした。この一週間ばかり朝の調子が悪くならず、これはこれで救われております。病院での薬も変化なしで済みました。そこまではいつも通りで、このまま帰ってくるのが普通です。でも、ゲーセンが閉店となれば、少しでも寄り道したくなるのでした。
世間とは非情なものでございます。やっぱりこうなのか、と言わんばかりに看板は立っていました。ゲーセンの中はいつもと変わらぬ日常が展開していました。でも、ここはなくなるのです。ゲーセンですから、特に売り出しのようなものもないし、きっと閉店のその瞬間までこのままでしょう。そして決めました。残された少ない時間をなるべく楽しもうと。気負っていくまではよかったものの、実際ゲームをやっていたら緊張が高くなってしまって、危険なので退避することとなりました。まだ日数はあります。今日だけがすべてではありません。一度緊張が高くなってしまうと、薬を使わないと戻せなくなります。帰ってから薬を飲みました。
本日はGにきております。乱れた心を整理するためです。つらいことも一晩寝れば忘れるたちなもので、昨日のような強烈なショックはありません。今考えてもまとまらないことばかりです。やっぱりサークル仲間と話し合いがないと、先には進めないでしょう。ただ、この調子ではゲームレジェンドすら本気で楽しめないような空気です。みんなでこうやってイベントに行くようになったのも、このサークルがあるからです。一時期ゲームレジェンドからサークル参加しない年月が流れていましたが、それが変わったのも新しい仲間がいたからです。同じ市内に、こんな近い場所に、似たような仲間がいて、出会えたことはまさに奇跡でした。残念だけど、我々は時流に負けたのかもしれません。ゲーセン闇の時代に出会い、闇に逆らえずに飲まれたのです。我々の出会いは、闇の中の一瞬の光でした。
いつまでも同じことが続くとは思っていません。でも、プレイヤーに優しく、わがままを聞いてくれるエスタシオンは、安泰だと考えていました。稼ぎのいいゲームに次々入れ替えるより、プレイヤーが確実についてくれるゲームをずっと動かしていました。苦しければそういう経営も無理だと思うのです。ただひとつ気になっていたことを上げるなら、中央のエスカレーターを止めたことでしょう。昔はエスカレーターを動かしていましたが、あるときから止めていました。なるべく無駄は出さないようにしていて、やっぱり楽ではないのかと思っていました。わからんのです。とにかく、何もかも聞き出したい気持ちです。なぜこの店がなくならねばならぬのか。
うちの近くのサイゼリヤは閉店しました。それは経営が苦しかったのではなく、借用地の地主との折り合いが付かず、土地が借りられなくなったせいです。エスタシオンはなぜ閉店するのでしょうか。もう最後です。聞けば教えてくれませんかね。そういえば、エスタシオンではひとつ居場所のなくなった人たちが過去にもいました。ダーツ撤退のころです。昔はダーツコーナーがあって、ダーツの道具を売ったり、観戦できるテーブルもありました。それが、ダーツそのもののオンラインが終わったのか、はたまた他のゲームを入れるためなのか、ダーツがなくなりました。あのころのダーツの盛り上がりはなかなかだったと思います。あそこもサークル化していたでしょう。華のある時期でした。

ゲーセンが闇の時代、私はゲーセンに戻ってきました。そうか、もう5年もたつのか。

ゲーセンがなくなる2017/05/08 23:39

ええ、みなさんにはほとんど関係ないことですが、とても残念なお知らせがあります。四街道のゲーセン、ラッキー四街道エスタシオンが今月末をもって閉店することになりました。私が足しげく通う金曜日のゲーセンサークル活動の場でもあります。・・・もう、これがどれくらいの悲劇なのか、想像もつかないでしょう。
ゲーセンそのものの歴史は長くありません。元はスーパーサカイという、普通のスーパーでした。そこがなくなった跡地にゲーセンは作られました。私が行くようになったのは、そこにDBACが入ってからです。グループに西千葉店があり、筐体はそこからの移動でした。それまでは稲毛の長沼まで出なければできなかったため、四街道に来ると知って、入ってすぐやりにいきました。
当初100円1クレだったのに、なぜか途中から200円1クレに変わりました。その当時、200円でプレイさせているような店はすでになく、時代遅れの設定に嫌気がさし、しばらく行くのをやめました。ある日また戻ってみると、100円になっていました。それから私の四街道DBACライフが始まります。

まだまだ私が初心者だったころ、CGL をまともにクリアできないような時代、練習で CGL を乗り付けない Next でやっていたら、あとで見ている人から声をかけられました。それが FACENAO さんでした。せっかくだからと、二人でやりました。私はその日、病院へ行った帰りで、特に金曜日である意味はありませんでした。
ゲーセンには行っていたものの、FACENAO さんに会うことはありませんでしたが、ある日の金曜日の夜にまた会いました。FACENAO さんは子供の英語塾の送迎のために来ていて、子供が塾へ行っている間にゲーセンで待っているというスタイルだったのです。それからは金曜日の夜に私も合わせて行くようになり、二人だけの小さなサークル活動がスタートしました。
その当時はクロニクルモードにほとんど手を出しておらず、四街道のクロニクル開放率は1桁でした。たまに FACENAO さんと二人でやったりする程度です。そのころの私はすべての機体に乗ることができず、クロニクルのボスにもまったく対応できていない時代です。そんなころの連休中、四街道で古くからプレイする ASR さんという人が来て、プレイするのを FACENAO さんが見たそうです。ジュクンシ星系チョヨウをミス無くプレイする様子を見せられ、我々がまだ対処もできないGTVを倒し、難しいエリアを開けてくれました。それに感銘を受けた FACENAO さんは、ASR さんが残した点数を超えようと、チョヨウのスコアタを始めました。やがて私も少しずつ、クロニクルモードに中心を移していきます。

その当時はイベントが開催され、それはボスを速攻で被弾せずに倒すタイムアタックイベントが中心でした。四街道でも記録を残すべくがんばっていました。すると、我々以外にも数人、やっているところを見るようになりました。やがて、知らぬうちに FACENAO さんが声をかけ、仲間は増えていきます。それが MUCK さんと Luft さんです。二人の勢いはすさまじく、クロニクルの解放を次々進めていきました。最終的に私が開放したエリアは全体の10%にも足りません。この二人の功績は大きいです。4人が金曜日にそろうようになると、多人数エリアの解放も進みました。
あるときから、また仲間が増えます。それがぶちょーです。当時は高校生の若き戦士で、飲み込みが早く、多様な状況に素早く対応できるプレイヤーです。5人体勢で次々とクロニクル解放を進め、ついには100%を達成しました。この5人の集まりはサークル活動となっていて、100%到達の後も、末尾9消しという目標を持ちながら続いていきます。

ゲーセンで集まるだけでなく、食事会やゲームレジェンドに一緒に行ったり、FACENAO さんの家へ遊びに行ったり、四街道での友達同士になりました。さらに、津田沼のゲーセンでの解放会に参加して、このゲームを元に人のつながりが生まれてきました。Twitter もその関係でつながることが増えました。四街道の熱心ぶりが響いたのか、千葉においてあった台も四街道にある日合流し、四街道は今も二台体制です。昨年の3月に、二台の筐体の末尾9消しという目標を達成し、全国に置いてある筐体の中ではかなりレアな台となりました。WTS も取りました。
あまり過激にならずに、毎週来て楽しみながら、昔刻んだ点数を伸ばしていくスタイルで今も活動が続いています。集まってゲームをするだけでなく、話をするのも大切です。今は、Luftさんが仕事時間の関係で抜けており、ぶちょーも網走に行ってしまい、三人でやっています。とにかく集まる、お金を入れて動かす。こうして筐体維持をしてきました。ここのゲーセンはプレイヤーをすごく大切にしてくれるらしく、我々の活動もしかり、その裏にあるバーチャロン4も、一部のプレイヤーのために置いていてくれます。バーチャロンのことは最近書きました。固定でやってくれる人がいるなら場所を作ってくれるゲーセンでした。

先月末、ガンダムEXVSの台が、全部で10台体制だったものが、6台減らされました。稼ぎ頭なのに不思議な光景です。その後も台は入らず、今はベンチです。サービスが終了したぷよぷよも撤去され、ゲーセン二階は空き地が増えました。そう、閉店はある日突然決まり、それは移動の準備だったと思われます。
私がアイスを買ったり、ガンダムをやったりしていたのは、ゲーセンになるべくお金を落とすためです。各地でゲーセンの閉店が相次ぐ中、プレイヤーを大切にしてくれるゲーセンをなくしたくないと、できることをしてきました。が、それもむなしく、5月31日閉店ということを今日知りました。
まずは長くやってきたサークル活動、これをどうするかです。サークルは筐体維持のためにやってきました。一方でこの関係は友人関係でもあり、例えば14日にはゲームレジェンドに一緒に行くのです。どうやってこの関係を維持していけるのか、その場所はどうすればいいのか。突然のことで何も考えられません。
次に、我々の使ってきた筐体はどこへ行くのか。筐体はデータごと移動して、他のゲーセンで稼動し続けることもあります。データごと消されることもあります。筐体だけなくなり、データは残ることもあります。何年にも渡って関わって、育ててきたデータです。ここに台が入ってからのみんなのセーブデータなのです。消えて欲しくありません。でも、データだけ残っても、台がなくなれば、そのデータはもう最後です。

我々にゲーセンの経営状態はわかりません。たとえ黒字でも、収益が小さいから、その力を他のゲーセンにまわすことも考えられます。だから我々にできるただひとつのことは、とにかくお金を入れることだけなのです。それでもなくなるのだから、どうしようもできません。ここで育んできたものをこれからどう活かすのか、そういう岐路に立たされているのです。

消えない入学式2017/04/01 23:51

毎年4月1日になると同じようなことを書いてしまいますが、1998年のこの日は大学の入学式でした。ちょうど4月1日に入学式というのも珍しいパターンで、他に人生でこの日にこれ以外何か特別なことがあったわけでもないため、年度初めというのもあり、昔を思い出します。とても大切な日でした。浪人の一年間の苦労を超え、やっとたどりついた自由な日々でした。もちろん、大学でのその先は前途多難だったわけですが、この日は喜べる時間だったのです。
ただ、とても面倒な日にもなりました。入学式の後、科目登録などの書類をもらわねばならず、これは大きな荷物になると大学から予告が出ていて、ちゃんと運べるよう準備を整えておくようお達しが来ていました。そして、うちの家族の者は、4月1日の17時の飛行機で香港に旅行へ行くことになっていました。なぜこうなったか、これは懸賞に当たったのです。で、私は入学式ですから当然残ります。当たったのも2人で、当時親は単身赴任をしておりましたから、母と姉は浮かれて海外旅行なのでした。家には私一人でして、その間取手の祖母の家に行くよう手配が進んだのです。ただ、私はこれに反対でした。科目登録の荷物が多くなると言われていたのに、祖母の家への宿泊荷物まで持っていったら、当日身動きできないほどの荷物になることが予想されました。なので祖母とおじさんに来てもらうことを要求しましたが、母の謎の意図で、私が行くことになりました。祖母とおじさんは来ようと言ったのですが、来なくていいと一蹴されました。
・・・が、予想は想像以上になりました。科目登録の資料は本の塊で、それだけでひとつのバッグを持ち、加えて宿泊道具を持ち、荷物を一度に一人で運べるような量ではなくなり、両手両肩ふさがり、駅の階段は一度に荷物を持ちきれず、荷物を置いて往復することになりました。本当は入学式の後サークル勧誘などの見学もしたかったのですが、動けないほどの荷物にあきらめました。
取手の家に着くと、祖母とおじさんは大怒りでした。自分は海外旅行に出かけ、息子にこんな大荷物を背負わせて、何を考えているんだと、特別な入学式なのに信じられない、ひどすぎると怒りました。こんなことになるならこちらから行くべきだったと嘆かれまして、私もそうしたかったけど、そうするなと断固言われた話をして、そりゃもう、祖母とおじさんの怒り具合は大変なものでした。母としては、自分の子のために二人を動かすことを拒否したつもりだったのでしょうが、こうなることはわかっていました。祖母もおじさんも、懸賞で当たったとはいえ入学式の日に海外旅行に行ってしまうことを良く思っていませんでしたから、ここは二人の意志を尊重して、来てもらう方を取るべきでした。私にはわかっていたんですがね。結局、一生物の判断ミスになりました。
次の日は学部入学式があり、おじさんが一緒に来てくれました。おじさんもカメラを持ち出して、記念撮影をしてくれました。サークルの勧誘は、時間もかかるだろうし、自由に好きなだけ見てきなさいと、おじさんは先に帰ることにして、おかげで気遣い無くゆっくり見られました。
私の入学式は、おじさんと祖母が支えてくれ、祝ってくれました。母と姉は海外旅行で浮かれて帰ってきて、何だか私の入学式もどこ吹く風ってな感じでした。だいたいの家なら親が祝ってくれるものですが、大学の時だけは違いました。残念ながら、こうして一緒に祝ってくれたおじさんは今ではもういないし、祖母も会話はできず、どこまで記憶があるのか、私のことを認識しているのかすらわからなくなってしまいました。もうあの時のことをわかっているのは私自身だけなのです。それがね、本当にそのことだけが、今になって胸に詰まります。
私にとって大学での生活は特別なものでした。卒業しても、母校を愛する精神は廃れません。恨みもあるけど、感謝もあります。ひとつの人生の規範です。早稲田人として生きること、その精神を忘れないこと。それが今でも支えです。まぁ、今となっては人生で積み上げてきたことをリセットして生きているのではありますが、早稲田の心は死んでないのですよ。だから、あの4月1日のことはいつまでたっても大事な記念の日で、今でも忘れることはないのです。今に続く魂は、高校のときより大学のときにできあがったものです。
さて、大学との人脈をどう活かすかについてはまだ具体的な策略がありません。稲門会に入っても、ただの飲みサークルでしょうなぁ・・・。昨年の Home Comming Day で年次の会とは少しつながりができたけれど、結局あれも飲み会ばかりです。飲まない人間にとって、そのたび酒代払わされるのは面白くありません。私には学問的分野でつながりを活かしたいと思います。それにはまだ私に活動が足りません。焦る必要もないと思います。必要なとき、必要に応じて立ち回る。今はこれで十分です。

本質的なことを言うと、やっぱりおじさんがいないことかな。その穴が今でも埋まらないことですかね。どうすれば埋まるんですか ?? 時に癒される部分もありました。今じゃ泣かなくなりました。でもね、あの時の大事な時間を支えてくれた人がいないのは、そんな簡単に吸収できるものじゃないんですよ。あの日を懐かしんで語れる人がいないんですから。あの時ありがとうとも言えないんですから。こんな気持ちを整理するため、入学式のことを書いてみました。