外交カードより2018/02/14 23:44

テレビのニュースでは、オリンピックと共に、北と韓国の融和ムードが流れております。なんかね~、オリンピックが終わってもこのムードは続くのか、と考えると、一時的に終わる気がしますね。でも、本来は民族が統一されることで、巨大なしこりと問題が解決されるだろうし、今それが無理であっても、ひとつを体感できることを大切にしたい人々の気持ちは、これからを支えていくのではと思います。合言葉は、うりぬん はなだ~。ニュースで聞いていれば、そう叫びながら旗を振っている様子を見られるし、オリンピック開始前には統一チームがその言葉を書いた横断幕を出していました。統一旗を持って、うりはなだ~、と叫んで北の応援団の周りにいれば、日本人でも韓国人に見えますよ。幸い、うりはなだ~、の発音は、日本語で書いても変わらんので。ぬん の発音は日本語にないんで、無難に、うりはなだ~、と叫ぶ。
ミサイル一発でこの関係は終わるかもわからんけど、どこかに希望を託しているのは、国家よりも人間として付き合いたい、ということそのものなんでしょう。本来こうあるべき、そしていずれかはひとつになる時が来ると。いいんですよ、それがただの外交のカードだったとしても、国民という単位がどこかで望みを持っていること、このオリンピックの融和の時間の素晴らしさを忘れないことが、何かの力になれば。アホみたいに、外交と国家のカードを振り回しているより、人間としての思いを大事にできれば。こいつはアメとムチだったとしてもね。アメのおいしさに気付いて、いずれムチを捨てようと考えられる時が来たなら、それが一番だと思ってます。たとえ100年かかっても。

馬場の焼き鳥屋2018/02/03 23:43

どうも日曜日の食事会以降、体の調子が安定しません。負担の大きいことをやると、そこからガクっと下がることもあります。そんなことを話しても面白くないですから、昨日の高田馬場のことで、昔話をしましょう。

私が大学生だったころ、大学の端末室を使うのに、穴場として120号館を使うことがありました。在学中に早稲田実業高校の移転があり、その跡地の校舎を120号館として使うことになり、そこにも端末室を設置しました。ところが学生にそのことはあまり知られておらず、120号館は穴場として使える場所でした。当然、MNCの管理でしたので、質問対応の学生も置かれます。いわゆる、私のバイトですね。MNC管理の端末室で、学生対応するのが、私の大学時代のバイトでした。普通の端末室の質問対応は18時が基本でしたが、120号館だけは20時まで対応するため、私は120号館で働いたことはありません。通学に1時間40分かかる人間でしたから、20時は帰れないことはないけど、家に帰るのが遅くなってきつかったからです。なお、端末室は通常21時まで開いています。
混雑している場所で席を探すより、穴場の120号館を使うのが通で、ある時そこへ行きました。すると、その日の対応係はケビンでした。ケビンは何度も組んだことがある、仲のいい友人です。そのケビンが、馬場にある焼肉屋がリニューアルオープンし、クーポンがあるので、仕事が終わったら一緒に食べに行かないかと誘ってきました。20時を過ぎるため、そこから食べると帰りのバスがなります。でもそこは、親に迎えに来てもらう裏技があり、付き合い優先で、一緒に行くことにしました。

馬場の焼肉屋に行くと、外まで人があふれて並んでいます。聞くと、一時間以上は待ってもらうそうです。これじゃあ、いつになったら食べられるかわからないねと、店を変えることにしました。馬場は飲み屋や食事をできる店がたくさんあります。その中で、ケビンが何度か行ったことのある焼き鳥屋がお勧めだと、そこへ行くことにしました。
その店も少し待たされたのですが、無事に入れて、二階席の桟敷で、じっくり飲み食いしました。日々の話、大学卒業後の計画など、いろいろ話しました。私には焼き鳥屋が初めてで、何から注文したらよいのかわからず、そこはケビンにまかせると、最初は野菜でした。しめに近い頃、ケビンがもも肉焼きを注文しました。骨付き肉で出てきます。が、食べ始めると、これ生肉じゃないかという話になりました。皮は焼けています。でも確かに、内側は露骨に生焼けでした。仕方ない、もう一度焼き直せと、肉を返して戻ってくると、今度はちゃんと焼けていました。店が忙しかったため、焼き時間の管理ができていなかったのでしょう。

MNC の仕事仲間とは、よく二人で食べか飲みに行くことをしていました。仕事は二人でやるのが基本だったため、組んだもの同士で行くことが多かったのです。当時は病気も抱えておらず、こうした人付き合いもできました。やっぱり、高田馬場はこうした交流の場所だったんですよね。

読み物系同人誌の禁じ手2018/01/20 23:24

これといって面白いネタがないので、読み物系同人誌のやってはいけないことについて書こうと思います。
この冬コミで出会った本は、秀逸なものがそろっていました。買うときにも選びます。いくら面白そうな話題に触れていても、それが読む気を起こさない内容なら買いません。評論、情報系は当たり外れがあります。ちなみに、適当に私の勘で読みやすさは決めているのではなくて、ちゃんと過去の Web デザイナー時代の経験からわかっていることです。

レイアウト面に関して、まずは字の大きさです。大きいのはけっこうですが、小さすぎるのは絶対読めません。部分的に小さくならざるを得ないならまだしも、全部を小さく書かれたら、目が疲れてとても読む気になれません。老眼の人なら読むことすら不可能になります。これはプロでも平気でやる人もいて、そういう人は見た目重視で実用性を度外視しているようにすら見えます。字は読める適度な大きさが必要です。
次、行間と字間です。行間と字間がすべて等間隔だと、横書きなのか、縦書きなのかすらわかりません。文字がどの方向に流れているのか、わかりやすい導線が必要です。字間が詰まりすぎていても読みにくくなり、行間が開きすぎていると、続いているのか他の文なのかわからなくなります。この調整は文字の大きさも考え、必ず調整しなくてはなりません。Game Legend で買った本の中に、ぱっと見で買ってしまった本がありましたが、字の大きさ、行間字間すべてにおいて堂々不合格で、はっきりいって読めません。目が疲れるだけで、読むことに集中できないのです。そこのは二度と買わないでしょう。本当に書いた人は読めるのか聞きたくなります。
そして空間も重要です。異様に開いている、異様に詰まっているものは信頼性を損ねます。情報には区切りというものがあり、区切りができていないものは、見ている者を不安にさせます。間がうまく取れないなら、色や枠線で区切ることもできます。白黒でも、グレーを活用して区切りを作れます。これは情報をまとめることに他ならず、書いている人がまとめきれていなければ、読み手だってまとめきれません。
見た目で最低限必要なものはだいたいこれくらいで、細かく見ればたくさんあるけれど、基本はこれに準じています。当たり前のことのようで、できてないものはたくさんあります。しかし、できてないと読みにくい、ひどい場合は読めないため、書いたものがすべて無駄になるということです。どうすれば相手にものが伝わるのか、それを考えないとだめですよ~、と単純なことなんですけどね。

文章の書き方も注意点があります。まず絶対にやってはいけないこと、それは上から目線です。オレ様視点とも言えます。確実に読み手を不快にします。説教するのとわけが違います。どれだけ当を得た内容でも、上から目線は、どうしてこいつにこんな風に言われないといけないの ? と必ず感じます。ギャグとしてわざとそういう書き方をしている場合は除いて、読者や話題を見下す書き方は、誰からも同意をしてもらえません。
自分の価値観を強制的に押し付けてくる書き方も嫌われます。典型的なものは、自分の好き嫌いをものの良し悪しと同化させてくる書き方です。客観性がなく、読み手を納得させる理由付けがありません。これは私の好みですが、など、読み手を考慮した書き方があればともかく、一方的に相手の価値観を押し付けられると、仮に読み手の好きなものが書き手の好みによって悪いものだとされていたら、読み手は不快に思うでしょう。同様に、理由無き好みの羅列も、意味がわかりません。こういうところがいい、と説明があればよいのですが、ただ好き好き並べられても、こちらが困ってしまいます。

レイアウトも、文章の書き方もそうですが、やってはいけないことの本質は読者が置いてけぼりにされる、読者のことを考えていないというのが共通しているところです。ただ、本には想定されてる読者層というのがあり、すべての本が万人向けに書かれているものではありません。そうした読者層のずれを読者意識から離れていると批判するのは筋が違います。つまり、客観的であるかどうか、自己主張するにしても、読者の立場を考えているかにあります。世の中の本には、流通品であっても客観性に欠く本はあり、そこを見抜くことは大事だと思います。客観性のないものをただ信じ込むのも問題ありです。情報リテラシーとも関わってきました。
評論、情報系同人誌を書くなら、読み手をまず想定しようということでした。

2017年 しめくくり2017/12/31 23:01

なぜコミケに行くのか。そこにコミケがあるからだ、なんてことではなくて、ちゃんと友人の応援と、自分のほしいものを手に入れることがあります。
今日の収穫物を見ると、一日目より少ないですね。買わなくていいかな、というのを今日はセーブしました。一日目にお金を使いすぎたため、少しは考えたわけです。挨拶回りもできたし、回りきれなかった感はあるけれど、それも時の運です。それでよしとしましょう。不完全燃焼かなとも思います。いいもう、ドールショウにぶつけますよ。

コミケレポは置いておき、今日は2017年のしめくくりです。2017年をどういう年にしたかったかを考えると、だいたいの目標は達成できています。ただ、睡眠の調整がまだ完全ではなく、私はこれを脳死と言っています。脳が休まる感覚を覚えてしまい、そこに頼ってしまう、まるで薬中毒のようです。起きている時と寝ている時の状態差が激しく、寝ている時の感覚に異常な安泰感、起きている時の不安感の差があり、体が寝ている感覚を求めてしまっています。実はもう2年ほどこの状態です。こいつを治すには、思い切ったことを考えるべきでしょう。朝起きてゲームをするとか。でも最大の方法はワンフェスを休む方法で、これで少しは楽になりました。
プレッシャーに対する耐性が病的に欠けているのに、仕事量を増やして責任を増すことへの限界を感じました。そんなことができれば普通に働いているのです。一方でサボっていられないのも事実で、いい付き合い方が見つかったかといえば、そうではありません。
刺激がなさ過ぎることにも問題を感じる一年でした。友人に会うことすらなく、出かけることもなく、ただただ引きこもっている時間が増えました。いいものを作るには、感性を磨くことが大切なのに、外がどんどん見えなくなっています。そりゃ、自分が何をしたいのかもわからなくなりますわね。定期的に印西へこもる生活も考えていても、ドールショウという新しい挑戦の場により、それもまた効果的に機能しませんでした。
ひとつ、お金の使い方を変えようと思っています。趣味に使うお金を減らし、おしゃれにお金をかけるとか、自分なりにはいいと思っています。昔の私はそうでした。すごくおしゃれが好きだったんです。

本当に大切なことなんてわからなくていいのかもしれませんね。