千葉三越閉店2017/03/20 23:02

今日はドールショウへ行ってきました。ドールショウを見て、アキバの委託のメンテをし、帰りに千葉へ寄って三越閉店を見届ける予定にしました。ドールショウは見るとだいたい終了までかかってしまいますから、それからアキバに寄って千葉へ行くと、閉店の19時に入るには、かなり急がねばなりません。
ドールショウのことはひとまず置いておきまして、千葉に電車が到着したのが18時48分でした。時間がありません。急いで三越に飛び込みました。店の中では最後のセレモニーが行われていましたが、人が多すぎてよく見えません。地下二階の花売り場で、この前買い忘れた植木鉢が残っているかを追い求め、急いで地下へ向かいました。いや、しかし人が多いこと多いこと。
地下二階、すでに植木鉢はなくなっていました。レストラン街はオーダーストップがかかっておりますので、出てくるお客さんがたくさんいました。最後までここで時間を過ごす人がけっこういたようです。店員さんに挨拶をして、握手をしている人たちを見かけました。
そう、同じことを何度も書くけれど、三越グループにとってここはひとつの店舗に過ぎなくても、千葉の人間にとって三越は千葉になくてはならない存在であり、駅周辺商業地の象徴でした。土着の関係があるのです。東京の百貨店は、どこから人が来るかわかりません。でも、千葉の三越は千葉県民がほとんどのお客さんで、こと贈り物や特別な買い物、学校の制服を仕立てたり、長い歴史の中で、生活に必要な様々な需要を満たす、大事な存在でした。つい最近では、友人Tのお父様が亡くなったとき、お礼が返ってきまして、三越からでした。他の三越から見て売り上げが少なくとも、千葉には千葉のサイズがあり、その中でまわってきたと思います。それが、こうした店と客との関係を築いてきたのです。
どこが閉店なのかわからぬほど人のあふれる地下です。人が多くて歩くのも注意が必要でした。写真は閉店3分前というのに、こんなに人がいては店は閉められないし、鮮魚、野菜売り場のレジには、最後尾こちらですの看板を持った長蛇の列。たい焼き屋の周囲は、最後のたい焼きを食べるべく、周囲を取り囲う行列・・・。とにかくあちこち人が多すぎて、とても終われる様子がありません。
この取り乱れ様、もはやそこに何が売っていたのかすらわからない状況です。売り尽くしとお祭り状態は、不思議な熱気に包まれていました。ひとつだけわかっていたのは、みんな最後の最後まで、三越を閉めさせてなるものかという気迫でした。
物がないだけではなく、早いところは片付けが始まり、値札関係もすべて取り外されます。

まだお買い物をされているお客様は、引き続きゆっくりお買い物をお続けくださいという放送が入りました。普段なら早く帰ってと言いたいところでしょうが、今日ばかりは無礼講です。まだいていいの ? という余裕がありまして、急いでレジに並ばなきゃと焦ることもありません。店員同士、最後の営業日に、今までの日々に労いの言葉を掛け合いながら、時に泣いている人も見ました。最後まで買ってくれるお客さんにおまけをつける人もいました。
私はまだ店の中を動ける余裕を見つけ、もう一度、本当の最後の思い出を感じるべく、何の変哲もない場所に向かいました。
強烈に焼きついて、頭から離れない景色がここにあります。三越は地下二階に下りる階段が何箇所かありますが、この場所は階段が中央セパレートです。この階段を下りて、地下二階のレストラン街へ向かった幼少の日々が、私には忘れられません。祖母と、母と、なぜエスカレーターを使わずこの階段を使っていたのかわからないけれど、なぜかこの階段だったのです。三越としてこの場所を見るのは、これが最後です。三越が閉じても、このビルに新しい店が入れば、この場所はまた見ることができるでしょう。でも、この空気感の中で見られるのは最後なのです。下りていった先にレストラン街と花屋のある場所は、もうないのです。
当時この地下にあったらーめん屋では、れんげが木のれんげでした。おたまみたいな形をしていて、他に同じれんげを使った店に出会ったことがなく、ものすごく印象的でした。今では、みろべーが同じれんげを使っていて、たまに行って麺を食べると昔を思い出します。ふと思い出すくらい、ここでの食事はうれしくて楽しかった時間でした。

地下を上がり、一階に出ました。ここもまだ人がいまして、ついでで残り物を見て回りました。前回来た時に気付かなかったいいものがありまして買います。選んでいるとき、周囲に店員さんがたくさんいて、いろいろ薦められました。そんなに買いきれませんゆえ、いいものだけ選びました。向こうにとっても最後のお客さんに、楽しんで話しかけてくれている感じでした。離れるとき、いい挨拶をいただきましたが、それは言わずに自分の中で大事にしておこうと思います。
一階の花屋も閉じる準備をしていました。ここの花屋の前は、祖母との待ち合わせでよく使いました。通るとよい香りがして、とても印象的な場所だったのに、ここも最後です。
もうこれ以上書けないだろうと思われていた寄せ書きの上から、さらに書いてよくわからなくなった寄せ書きです。三越に感謝する書き込みや思い出を語る書き込みが多く、こうして感謝されることは、それだけ地元にとって大事な存在だったということです。千葉が好きな人ほど、この思いはよくわかるのではないでしょうか。
もう閉店時間は40分近く過ぎているのに、ニューナラヤ時代のライオン像の前で写真を撮る人たちがいました。三越ののれんが下がっている最後の日です。そういえば、店員同士でも写真を撮っている人を見かけました。店員さんの仕事は今日で終わりじゃありませんが、一区切りを労いたい気持ちはよくわかります。閉店セールはおそらく休みなしで動きっぱなしと思われ、おそらく明日かあさってくらいは休みになる人も多いのかもしれませんね。
ライオン像のある、花屋側の出入り口では、ライオン像の撮影をしつつ、最後のシャッターが閉まる時を見ようとする人で混雑していました。周囲の店が閉まり、オフィスも閉まるこの時間にこの場所がこんな混雑をすることはまずありえないのですが、やはり特殊な日です。フジテレビが取材に来ていました。
私はもうひとつの大きな入り口側でシャッターが閉まるその瞬間を待つことにしました。中にあれだけ人が残っていたのだから、その人たちが外に出るまでは相当時間がかかると思われます。
こんな感じで、道路の進行を妨げないようにしながら、閉店の時を待つ人々が入り口の前に集まっていました。みんなシャッターが閉じるその瞬間までを見届けたいわけです。ここまで来たら待つしかないでしょう。店の入り口すぐに座れる場所があり、そこで待っている人々もいました。待っているうちに外側の照明が次々と消されていき、やがて中から店員が出てきて、閉めるよう合図を送りました。
シャッターは静かに下がっていき、店員がお辞儀をすると拍手がわき、千葉三越の歴史が終わったのです。
シャッターが閉まると、集まっている人々も解散していきました。この様子は動画で撮っています。こちらのPCには動画編集環境が無く、簡単に公開できません。自分の手元に残しておければいいですかね。私もここで見納め、帰ることにしました。

最後を見て感じたことは、多くの人々がひとつの店を支えてきたことの偉大さ、重さがまずひとつです。最後はお客さんも店員も、労いの挨拶を交わし、握手をしていました。互いに感謝しあえる場を提供し続けられたことは、本当に素晴らしいことだと思います。私は普段が一人プレイで生きている人間ですので、こうして多くの人間同士で何かを支えている経験がありません。これもひとつの働き甲斐だと思います。そうそう楽だとは思いませんが、温かい人間関係を見ました。大変だけれど面白いこと、それもいいなと思います。
また一方で、商売の難しさも感じます。百貨店のような商売は、実は必然的に難しくなるのではと思っています。様々な技術が発達することによって、品質の高くて安いものがたくさん作れるようになってくると、高いものを買う必然性がなくなり、従来の高級品だったものは、ブランド化することでしか生き残れなくなります。例えば腕時計がそうです。農産物もそうしたものが多いでしょう。服や家具も安くてよいものがたくさん現れ、ある程度の値段である程度の品質という、理にかなった商品がたくさん出てきます。百貨店はかつて、品質の保証を裏付けとして地位を築いてきました。ならば百貨店が、工業的発達によって追い詰められていくのは必然であると言えます。
IYやらAEONやら、こうしたスーパー型の量販店が発達できたのは、そこそこの品質をそこそこの値段で提供できる生産力があってこそでしょう。ユニクロやしまむら、ニトリも同じだと思います。つまり、安いものと高いものの中間点にあるものが登場してきたということです。それの無い時代は、安いもので満足できない場合、高いものを手に入れるしかありません。百貨店はそこを根底にした商売で、たまに手に入る高級なもの、たまにの贅沢の華でした。
郊外のスーパーに押される理由がそこにあると思います。その中で、百貨店がどう出るのか。従来路線を強化して、ブランド化を推し進めるのか、軟化して安売りを展開するのか。多くの百貨店はブランド化を進める戦略をしてきたと思いますが、それはまた行き詰ります。中間的品質のない時代を生きた人々は、何が安く、何が高いか知っています。ところが、中間的品質の中で育った人は、中間で満足し、高いものを知る機会も必要性も感じなくなってきたのです。
ブランド化も行過ぎれば、ほんの一握りの人たちだけしか相手にできません。すると一人からより多くのお金を取るしかなくなり、高級品は本来以上の付加価値を与えられて評価されます。
こうした事態が時間をかけて進み、人々の商品価値に対する認識が変わってくると、百貨店も必然的に淘汰されても仕方がなくなります。百貨店としてのプライドなのか、信頼なのか。それすらわからなくなれば、戦略すら立ちません。三越については、百貨店というプライドの上にあぐらをかいていたように思います。東京の店はそれでよいかもしれないけれど、土着の関係は、日常の延長の上に立っているので、土着なりの工夫は必要でしょう。それが三越だから取れなかったのか、はたま取らなかったのか。私には知りえません。しかし、地域に必要不可欠な存在としての千葉三越を出し切れなかったことが、閉店につながったことは間違いないでしょう。

千葉三越の閉店は、思い出だけでは済まないところがあります。三越の思い出にひたりつつも、千葉駅周辺の商業地空洞化の危惧を感じずにはいられません。