ホビーパソコン本現る2016/04/22 23:52

今日はゲーセンに、この前買った本を持って行きましたが、追加した一冊を紹介します。
最近、自分の性分はホビーパソコンじゃないかなと思い始めています。私にとって、ゲームの始まりはMSXでした。ファミコンではありません。そのため、ゲームが何で動くか、なぜ動くかを早いうちから知ることができ、その後のプログラムの勉強にまで一役買いました。PC9821を手に入れるまで、長々とMSXを使っていたのです。MSXはカセットにセーブする CSAVE という命令がありますが、勉強で使っているときは外部録音できるカセット機器がなくて、プログラムは全部揮発性でした。初期型だけあって機能は貧弱なものの、理屈を理解し、動かすには十分すぎるほどです。ただ残念なことに、こうした勉強をして自分らしいプログラムのスタイルを確立してから以降、何も作っていません。

この本は、日本で出たホビーパソコンの資料集という体裁を取っています。資料集なら実は教科書もあって、そちらはまだ買っていません。いずれ買うつもりです。表紙のMSXを見ると、当時の憧れを思い出します。MSXは上下左右の入力を特別配置にして、ゲームをしやすいよう工夫されています。この十字が、平べったく、真ん中が少しへこんでいたり、こうした形が私にはとても未来的に感じていました。
資料の中に読み物がいくつかあります。その中で、「なぜ家電メーカー各社は揃ってパソコンを作ったのか」というコーナーがあります。これが非常に訴えるものがありまして、当時の先進用語「ニューメディア」に触れています。私はゲーマー魂第二号で、ホビーパソコンとテレトピア構想について触れました。こうした視点に近いものです。テレトピア構想とは、早い話がニューメディアを試験的に導入する特区を作ることですから、ニューメディアとテレトピアは切っても切れない関係にあります。
この本では簡単に、パソコン戦略がうまくいかなかった点について、規格がばらばらなのと、ソフト供給不足であったことを指摘しています。私が考えていたのは、こうした側面から、ホビーパソコンがゲームばかり見ていて、社会的な情報通信基盤整備に貢献できることを見ていなかったということです。結局は、パソコンは作れても、使い方がわかっていなかったというのが正解でしょう。それはソフト不足を招き、当時最もソフトの資産があったのはゲームですから、ゲームに走る。こういうことが相互に関係して、ホビーパソコンは大きな影響力を持つことなく消えていったと考えています。
パソコン、ゲーム、情報通信などは、非常に大きな関連性を持っていると考えるのはこうしたことからです。なので、ゲームだけを切り離して見るものは、ゲームの世界ではそれでいいのかもしれませんが、ゲームが置かれてきた社会的環境、他の分野との関わりを考えるならまだまだ足りません。ただ、ゲーム好きのマニアというのは、得てして広い考え方をしないもので、それはいかがなものなの、と思っております。