どこか似たところ2019/01/23 23:36

後々になってこの日の記録が抜けていることに気付きました。夕食を見ると、おかゆです。ああ、確かものすごくおなかの調子が悪くて、書いているどころではなかったことを思い出しました。こうした緊張極まる状況下では、おなかが悪くなることはあります。もはや仕方のないことかと。
祖父が亡くなったのは、22日だったか23日だったか、いつも迷います。お墓参りはほぼ行っていません。宇都宮に墓があったときは、おじさんがまめに宇都宮まで行っていました。よく、これに行かないといつも落ち着かないと言っていました。おじさんが亡くなって、墓を四街道に持ってきて、おじさんと一緒に入れましたが、うちの親ときたら、放置です。これが性格の違いか。私も印西に来てしまい、すっかりお墓とはご無沙汰しております。その代わり、印西には神棚がありますが。神棚の掃除もしないと。
祖父が大好きだったAチームを今度は私が見ながら本でも書こうとか考えているのだから、世の中わかったもんじゃありません。好みが似ているのはあると思うし、多分、ハンニバルのやり方に祖父は親近感を覚えていたのではとも思います。戦時中に絶対的な権力を振るっていた学校の教員に対し、教員を出し抜くために根回しやらトラップやらを仕掛け、教員を困らせて怒らせる。でも犯人は誰だかわからないというのをやっていたことは、伝説として残っています。力を振るうものに黙っていられないところが、おそらく共感を呼んでいたのかなと。年齢もハンニバルとほぼ同じでしたから、感じるものはあったでしょうね。