特になし2011/04/13 21:03

SSでも撮ろうかと思ったけど、いまいちいいのができないのでやめました。これといって頭も盛り上がっているわけでもなし、とりあえず明日は引越しの手伝いがあるから早く起きて行ってきます。

お手伝い2011/04/14 22:44

予定通り本日は引越しの手伝いをしてきました。日数がありませんゆえ、最低限のことを手際よくやる必要があります。引越しといっても、今の家がなくなるわけではなく、とりあえず生活できるものが移動できたならそれで問題なし、一部の荷物は今の家に置いたままとなるでしょう。
昼食は宮ステーキでした。この辺でも決して多いとはいえませんが、たまにある家族レストランの系列です。もちろん、名乗るとおりステーキが専門でして、なかなかいけてます。しかし、魅力的なのはスープバーかもしれません。これがまたあなどれないいいもの。今度またゆっくり行ってみるのもありかな。この辺だと佐倉にあります。

引越し作業をやった後は病院へ行き、祖母の夕飯やら着替えなどをして、結局帰路に着いたのは午後も7時をまわっていました。入院してしばらくしてから、トイレがうまくできなくなって、やや困った問題ですけれど、退院して家で生活するようになれば戻していけるでしょう。今は様子見です。この前買った介護の本も結構役立っています。
引っ越した後の荷物開けまで、今月は手伝いで出かけることが増えそうです。地震で落ちた賞状の額の修理を頼まれてきました。ひとまずきれいにして、新居に直接持っていくことにします。

六番勝負2011/04/15 23:52

この前千葉へ行ったときに、ひそかに買っておいた「侍魂 六番勝負」をぼちぼちやっております。これ一本で歴代の侍魂すべてが遊べる、一本あたり約300円というお得な代物。私を言い表すもっとも最適な格ゲーはやはりこの侍魂シリーズであります。中でも真侍は未だに高校生時代の友人内で私の代名詞になっております。「真侍の半蔵」というのが、「マリオ」と同じ代名詞扱いです。
手っ取り早く言うと、非常に個性的で非常にいやらしい戦い方をする半蔵でした。真侍は歴代のあらゆる格ゲーの中でもっともやりこみ、対戦での勝率が高いゲームでした。アキバの某ゲーセンに10円対戦台というのがありまして、初期の格ゲーを入れてくれています。そこで一時期真侍が入っており、かなり燃えてました。そんな古い時代の格ゲーをアキバでまじめに対戦するやつは、強いやつしかいません。立ち見の観客が出るほど盛っていて、やっても基本3人抜きが限界。誰がやっても連勝は3で止まるレベルで、私もやったけれど、みんな恐ろしく強かったです。互いになかなか手が出せず、ギリギリの待ちやけん制仕合になり、三人抜きすれば対策が取られて、勝てなくなる世界でした。現役時代に私は対戦だと10人抜きが普通ぐらいのレベルでしたので、集まっていた人もおそらく同じくらいでしょう。動きを見ればわかります。あの興奮は現役時代以上のものでした。かつてやりこんでいた連中が集まるから面白いんでしょうね。

そしてなぜか今頃、真侍が家でできるようになりました。すごいです、最初に読み込みが発生したら、それ以降読み込みがありません。なんと、PS2のRAMの中に収まってしまうというのか・・・(つまり32MB以下)。独特の処理オチもそのまんま、これはいいですのぅ。バグは直っているんでしょうかね。当時で知っているバグは二つ、発生させる条件は難しく、確認はできません。
NEOGEOのゲームは業務用と家庭用が同じ基盤で作られていました。その関係で、業務用と家庭用の発売がほぼ同日でした。だからゲーセンで起こるバグは家でやっても起きます。他のゲーム機に移植される場合は、ほとんどが直されます。ある時期以降については、ゲームバランスも微妙に調整が取られ、調整前と調整後の両方を遊べるのが普通です。

だめだ、こういうことを語りだすと永遠に語り続けることになりそう。久々に天下一剣客伝もやりましたが、ゲーセンではやりこみが低く、家で丁寧にやり直しています。出た当初はかなり真侍に近い印象を受けましたが、やり直してみると、真侍より行動のリスクが低くなっていました。まんず歴代六番、全部やり直すには相当時間がかかりそうです。やりこんだ真侍ですら、まだ全キャラEDを見ていない始末。少なくとも全キャラクリアは目指そうっと。

んなことしか話題はないのかって感じですが、今日はちょいと冒険をしてみました。しばらくは待ちますが、今後どうなるか、楽しみです。何をしたかは、具体的な動きが出てからのお楽しみ。

佐倉の城砦2011/04/16 22:04

相変わらず風が強いです。今日は家具作りをしていましたが、途中で久々に友人と合流して城跡を見に行ってきました。まあ、ご友人のほうはすっかり元に戻り、被災者から脱却しておりました。元に戻ったのならそれで万事問題なし、とくに触れることもなく、いつも通りにしてきました。
臼井城は印旛沼周辺の高台にあり、周囲が一望できる、戦国期の城を作る上では恰好の立地条件です。あまり有名ではない場所ですが、上杉謙信が城攻めに失敗した、数少ない謙信敗退の地です。こんなところまで謙信が南下してくるのも恐ろしいですけどね。
周囲は印旛沼と水面差がなく、印旛沼が増水すれば、すぐ冠水してしまいます。現在は印旛沼の水を東京湾に排水する新川(花見川)があり、大和田排水機場を水門として水位を保っています。大和田排水機場までを新川と言い、それ以降を花見川と言います。花見川は低地になっている大和田からも水を集め、雨のとき大和田付近が水没しないようになっていますが、大雨になると印旛沼と大和田の水が合流し、川の水位が大きく上昇します。印旛沼からの排水が多すぎると大和田に水が逆流してしまうため、この微調整も水門で行っているのです。
印旛沼の水は農業用水として各地にパイプで送られるほか、京葉工業地帯への工業用水、飲料水などとしても利用されています。これらの治水事業が完成したのは意外にも最近で、新川・花見川が完成するのは1960年代以降のことでした。

城が高台にあるのは見晴らしがよく、防御も高いだけでなく、水害にも強いといった利点もあるでしょう。さて、それはさておき、この城跡には不思議なものがあります。
倒れそうで倒れない、謎の社です。カメラは水平にして撮っています。社の後ろ側は断崖になっていて、下手すると落下しそうです。最近の地震でだめになったかと思いきや、がんばっていました。地面が雨で流れていき、傾いたものと思われますが、いい加減ここの管理者(佐倉市)は助けてあげたほうがいいんじゃないですかねぇ。これが面白いといえば面白いですけどな。
場所は変わってこちら印旛沼公園、臼井城と対になって防御線になっていた師戸(もろと)城跡です。うーん、どうしてこういうのを出すかなぁ。いや、何かおかしいと思いませんか ? 明かりをつけておくから人が来るんですよ。明かりがついていようがなかろうが、深夜の公園、しかも城跡ですから、あたりはうっそうとしていて、夜は危ない場所です。空堀もそのまんま残っていますから、足を踏み外せば落ちる可能性もあるのです。だったら最初から夜は照明を消しておきなさいという話。これは節電ではなく、ムダをやめましょうということです。佐倉城址では、夜間門が閉ざされ、照明も設置していません。ムダを省くのと節電は全然意味が違います。これを期に、公園管理のあり方を見直すべきでしょう。

友人がどういうわけか城プラモを作り出しました。今度は姫路城 春 を作るらしく、なにやら作業を進めているようです。岐阜城、姫路城を作ってから、自分の持ち城を持つと言っておりましたが、本気ですな。水面の作り方は以前から研究しており、地面の表現も、電ホにふせんを貼ってチェックしていました。ジオラマ作りが彼の行き着く先かも知れません。
かくいう私も次のY-Subコンテまでには城をひとつ上げます。コンテは一部門一作品だから、城を出したら車は出せません。正直悩みどころ。Y-Subのコンテには、最近車を出す人がいなくて私は悲しいです。・・・やっぱり車にしようかな・・・。LF-Aとか ? 個人的にはFUJIMIのLexus IS350を作ってみたいところなんですが、迷います。