佐倉の城砦2011/04/16 22:04

相変わらず風が強いです。今日は家具作りをしていましたが、途中で久々に友人と合流して城跡を見に行ってきました。まあ、ご友人のほうはすっかり元に戻り、被災者から脱却しておりました。元に戻ったのならそれで万事問題なし、とくに触れることもなく、いつも通りにしてきました。
臼井城は印旛沼周辺の高台にあり、周囲が一望できる、戦国期の城を作る上では恰好の立地条件です。あまり有名ではない場所ですが、上杉謙信が城攻めに失敗した、数少ない謙信敗退の地です。こんなところまで謙信が南下してくるのも恐ろしいですけどね。
周囲は印旛沼と水面差がなく、印旛沼が増水すれば、すぐ冠水してしまいます。現在は印旛沼の水を東京湾に排水する新川(花見川)があり、大和田排水機場を水門として水位を保っています。大和田排水機場までを新川と言い、それ以降を花見川と言います。花見川は低地になっている大和田からも水を集め、雨のとき大和田付近が水没しないようになっていますが、大雨になると印旛沼と大和田の水が合流し、川の水位が大きく上昇します。印旛沼からの排水が多すぎると大和田に水が逆流してしまうため、この微調整も水門で行っているのです。
印旛沼の水は農業用水として各地にパイプで送られるほか、京葉工業地帯への工業用水、飲料水などとしても利用されています。これらの治水事業が完成したのは意外にも最近で、新川・花見川が完成するのは1960年代以降のことでした。

城が高台にあるのは見晴らしがよく、防御も高いだけでなく、水害にも強いといった利点もあるでしょう。さて、それはさておき、この城跡には不思議なものがあります。
倒れそうで倒れない、謎の社です。カメラは水平にして撮っています。社の後ろ側は断崖になっていて、下手すると落下しそうです。最近の地震でだめになったかと思いきや、がんばっていました。地面が雨で流れていき、傾いたものと思われますが、いい加減ここの管理者(佐倉市)は助けてあげたほうがいいんじゃないですかねぇ。これが面白いといえば面白いですけどな。
場所は変わってこちら印旛沼公園、臼井城と対になって防御線になっていた師戸(もろと)城跡です。うーん、どうしてこういうのを出すかなぁ。いや、何かおかしいと思いませんか ? 明かりをつけておくから人が来るんですよ。明かりがついていようがなかろうが、深夜の公園、しかも城跡ですから、あたりはうっそうとしていて、夜は危ない場所です。空堀もそのまんま残っていますから、足を踏み外せば落ちる可能性もあるのです。だったら最初から夜は照明を消しておきなさいという話。これは節電ではなく、ムダをやめましょうということです。佐倉城址では、夜間門が閉ざされ、照明も設置していません。ムダを省くのと節電は全然意味が違います。これを期に、公園管理のあり方を見直すべきでしょう。

友人がどういうわけか城プラモを作り出しました。今度は姫路城 春 を作るらしく、なにやら作業を進めているようです。岐阜城、姫路城を作ってから、自分の持ち城を持つと言っておりましたが、本気ですな。水面の作り方は以前から研究しており、地面の表現も、電ホにふせんを貼ってチェックしていました。ジオラマ作りが彼の行き着く先かも知れません。
かくいう私も次のY-Subコンテまでには城をひとつ上げます。コンテは一部門一作品だから、城を出したら車は出せません。正直悩みどころ。Y-Subのコンテには、最近車を出す人がいなくて私は悲しいです。・・・やっぱり車にしようかな・・・。LF-Aとか ? 個人的にはFUJIMIのLexus IS350を作ってみたいところなんですが、迷います。

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