Episode 1 を終えて2010/07/21 20:40

初めてやってみる本格ストーリー、Episode 1 は無事に終了しました。でもなんだろう、ちょっと違和感あります。というより、SS板でやるものじゃなかったかもしれんと、ちと思います。対象年齢層が高すぎたかな、ってことなんですけどね。

「それが何だかわからなかったとしても、生きていることには意味がある。」というのが今年の私の年賀状でのひと言でした。病になって、身分も、社会的地位も、努力して積み上げてきた将来もみんな失って、その上病魔に襲われる生活。苦しみのあまり、もう何度だって死んでもいいやと思ってきたし、この世の未練も捨ててきました。
でもその一方で、生きていることの価値を知っているから、生きる道を選ぶのが私の人生です。そりゃあね、不本意に殺された人間たちと、残された家族たちを毎日のように見てくれば、どんな人間だって生きている意味を考えるようになりますよ。
ところが、どんなに強く生きているふりをしていても、自分が苦境に立たされれば、やっぱり見失うんですね、自分の存在価値ってやつを。そんな時、もうどうでもいいやと考えるか、それでも自分の可能性を信じるか。私が選ぶのは、可能性を信じる方です。

と、今回やったストーリーにはこんな私の価値観が埋め込まれているのです。私は、自分がいつ死んだっておかしくない存在だと思っています。かつてはそれが極度に私を苦しめていたのですが、今は適度にそう思っています。ゆえに、自分に何ができるか考える、未来のために何ができるか考える、病で制限されながらも、この世界で過去から未来へつながる線の上に自分があります。

たぶんそれは、若い人には理解しがたい感覚かもしれません。親になればきっと考えることでしょう。自分の身に何かが起きたとき、子供に何が残せるか、親としては大切なことです。それに、自分の子供が社会の将来を担っていくわけですからね、親としては子供の将来を必ず考えます。親にならなくても、社会の中で自分が将来を支えていく中心の立場の年齢になれば、同じように考えるでしょう。

そんな考え方を中心にして書いたストーリーが、SS掲示板の閲覧者にどれだけ理解してもらえる感覚なのかと問えば、ほとんどの人がわからないでしょうね。実際、鳴らした鐘がどこまで響いたのかって言われると、心まで響いたのが数人って感じですか。これが今回のストーリーをやった最大の違和感ですね。

あ、いやね、読んでいただいて非常にありがたいのですが、自分にとって一番注目してもらいたかった部分が何事もなく流されたりしていると、 やっぱりあららっと思うわけです。でもまあ、人によってまた感じ入る部分が違ってもおかしくないわけで、それでも「ふーん」と思ってもらえるところがあれば、一定の成果はあったといえるでしょう。

やり始めちゃったから投げるわけにもいかないので、Episode 2 以降はもう少しわかりやすく主題を提示していきたいと思っております。