文明の利器 ― 2009/07/28 23:52
このたびのワンフェスで、このようなものを買いました。
PCを使っているとどうしてもネズミを持っている手にタコができてしまうため、手を休められるPadを探していたのですが、普通に売っているものだとどうも使いにくいのです。理由は、手首が高くなってしまうから。
で、このおっぱいPadは、真ん中がちょうどへこんでいるため、手首が固定されて実に合理的で使いやすく、以前より買おうと思っていたのですが、どれにしようか、値段の相談とか、いろいろあって止まっていました。
しかし、ついにワンフェスで「訳あり」商品として安値で売っているところを発見、これは迷わずGet !
んで、絵柄はとりあえず安ければいいやってことで、「ロザリオとヴァンパイア」のキャラをいただきました。うーん、全然知らない作品なんですけどね。
どうです、これぞ文明の利器って感じでしょう。手に優しく、実に使いやすい。なお、周囲の反応は非常につめたーいものがありまして・・・。趣味悪いとか、そんなんばっかしぃ・・・。機能性に注目しなさいってば !
なんとなく胸をふにふにしてしまいたくなるのは、やわらかいものをつい触りたくなってしまうという人間の本能だ !
いやあ、これで業者Padから脱却、さらば、science direct !
で、このおっぱいPadは、真ん中がちょうどへこんでいるため、手首が固定されて実に合理的で使いやすく、以前より買おうと思っていたのですが、どれにしようか、値段の相談とか、いろいろあって止まっていました。
しかし、ついにワンフェスで「訳あり」商品として安値で売っているところを発見、これは迷わずGet !
んで、絵柄はとりあえず安ければいいやってことで、「ロザリオとヴァンパイア」のキャラをいただきました。うーん、全然知らない作品なんですけどね。
なんとなく胸をふにふにしてしまいたくなるのは、やわらかいものをつい触りたくなってしまうという人間の本能だ !
いやあ、これで業者Padから脱却、さらば、science direct !
生まれ変わったいす ― 2009/07/29 23:58
私の部屋で長年使っているいすがあるのですが、経年劣化で脚の付け根がねじ山ごと壊れてしまい、十字に溶接してあった脚の中央も取れてしまいました。おかげでいすはぐらぐら、おまけに表面のカバーも切れてしまっており、直すことにしました。
完成品はご覧の通り。左は作業用の小さないすで、こちらは新しく買ったものです。これに合わせた色合いで直したのが右のいす。新品とまではいかないものの、きれいに直りました。
脚は#180やすりで水磨ぎし、その日のうちに塗装、金属用サフ、黒、銀、最後にウレタンの透明を吹いて仕上げました。
付け根は合板を32cmの円形に切り、ペンキで塗装しました。脚の溶接部分が取れているため、本来のねじで止めただけでは不安定です。そこで、ねじ穴と同じ径のねじを使ってあそびの空間を埋め、ぐらつかないようにしました。
カバーを外すとご覧の通り、元の部品が生きています。もちろん、接着してありますので取れません。これは高さを上げるために入っています。小さいいすはニトリで買ったので、カバーも同じくニトリで購入、色がそろいました。
この手のいすは買えば安いのですが、長く使っていると愛着が出てきます。かれこれ人生の半分以上を付き合っているモノですから、捨てられないんですね、「あって当たり前」みたいな感覚があって。直す技術があるなら、いっそ直せるまで付き合おうって決めました !
脚は#180やすりで水磨ぎし、その日のうちに塗装、金属用サフ、黒、銀、最後にウレタンの透明を吹いて仕上げました。
この手のいすは買えば安いのですが、長く使っていると愛着が出てきます。かれこれ人生の半分以上を付き合っているモノですから、捨てられないんですね、「あって当たり前」みたいな感覚があって。直す技術があるなら、いっそ直せるまで付き合おうって決めました !
造形と認知学 ― 2009/07/30 12:45
造形と認知学がいかなる関係を持っているのか、そもそものきっかけは「GUNDAM.INFO」の中の記事、「これまでの『ガンダムSEED DESTINY』マスターグレードの軌跡」にあった。
上記記事の中で「MG ZGMF-X20A Strike Freedom」 (Webは表示不良)は、「力強さとしなやかさを併せ持った女性アスリート体型にまとめられた」と述べられている。対する「MG ZGMF-X42S Destiny」 は、「デスティニーではより筋肉質な男性アスリート体型が志向されている」となっているのだ。
これだけでは、そうなのか程度で終わってしまうかもしれない。しかし冷静に考えて欲しい。ガンダムは人型兵器で、性別は持っていない。確かに人体的な形状をしているが、明らかに人間とは異なる機械だ。そこになぜ、女性および男性的アスリート体型を造形として反映させられることが出来るのか、そして受け手側もそれを感じることができるのだろうか。よく考えると大変不思議なことなのである。
ひとつ確かなのは、人間の脳内で「性別と身体的特徴」を認識する部分と、「ガンダムである」ことを認識する部分は、別の部分が使われているということだ。そうでなくては機械に人体の性別による特徴を感じることなどできない。
かつて、NHKの「ためしてガッテン」で、似顔絵の描き方を放送したことがある。このとき言われていたのは、人間の脳が「似ている」と感じる部分と「絵としてうまい」と感じる部分は異なるということであった。なので、似顔絵を似ているように描くには、脳が「似ている」と判断する部分に訴えるように描けばよく、それは実物よりも特徴を顕著に表した方がより効果的であるという。
同じようなことが、このガンダムにも言えるのではないだろうか。よって私は、人間の認知と情報処理について、文献調査を行うことにした。少なからず造形や絵に精通した者は、こういったことを無意識で理解している。いや、無意識というより経験的に理解していると言った方がよいだろう。しかし経験的に理解しているものをより客観的に認識すれば、意識的に様々な方法で自分の表現を引き出すことができる。
またそれは、造形の世界で止まらず、より大きな価値観形成に役立つはずだ。例えば、簡単にガンダムと言っているが、歴代のガンダム作品の中には、ガンダムと言われる機体とそうでないものが存在する。仮に新しいガンダム作品を作ったとして、その主役機体がこんな形をしていて、「ザークガンダム」という名前だったとする。
これを見れば視聴者は、「っていうか、ガンダムじゃなくね ?」と言うに違いない。勘違いされては困る、視聴者がこれをザクだと知っているからそう思うのではない。ガンダムと呼ばれる機体には、ガンダムと言われるだけの形状的特徴があるのだ。「形状的」である。「ストーリー的」ではない。
それは頭に目が二つあって、左右に広がったアンテナがついていて、頭頂部が出っ張っている。口にあたる部分に突起がある。なおかつ、非常に人体に近いプロポーションをしている。これが歴代「ガンダム」と言われてきた形状的特徴であり、identity である。
今の時代、ロボットアニメはたくさんある。その中でガンダムがガンダムであるのは、もはやリアルなストーリー、あくまで兵器として存在するロボットなどの内部的な部分ではなく、形状的な部分に依存している。それは既に「Gガンダム」で立証された。実際、ガンダムという作品名を冠しながら、その特徴とも言うべき機体がまったく登場しないとしたら、世の視聴者はガンダムとしてその作品を認めないだろう。もしくはガンダムも他のロボットアニメと何も変わりないと思うようになり、ブランド力を失うだろう。それは懐古主義と思われるかもしれないが、これだけ多様化したガンダム市場の方向性を変えていくというのは、コンテンツ運用の面から見ても良策とは言えない。
この点で言えば、ガンダム00に出した「アルケーガンダム」は最大の失敗と言える。これはストーリーでガンダムだと言い張るからガンダムだが、機体としてはアーマードコアだといわれても仕方がない。ガンダムがガンダム的な形状でなくてもよいとしたら、いまやガンダムがガンダムであり続ける理由は何だろうか。
つまり、人間が特徴とそこに含まれる情報を認知する方法を知ることは、広くはあるものがあるものらしく存在している理由を知ることになる。特徴、人間の中で記号化されて認知されるそれはidentityである。上に述べた例でそれは十分示せたはずだ。
手始めに図書館で認知心理学、人間の認知と情報処理に関する本を借りてきた。合わせて自分の持つ映像心理学の本で、この課題をひとつ突き詰めてみたい。
上記記事の中で「MG ZGMF-X20A Strike Freedom」 (Webは表示不良)は、「力強さとしなやかさを併せ持った女性アスリート体型にまとめられた」と述べられている。対する「MG ZGMF-X42S Destiny」 は、「デスティニーではより筋肉質な男性アスリート体型が志向されている」となっているのだ。
これだけでは、そうなのか程度で終わってしまうかもしれない。しかし冷静に考えて欲しい。ガンダムは人型兵器で、性別は持っていない。確かに人体的な形状をしているが、明らかに人間とは異なる機械だ。そこになぜ、女性および男性的アスリート体型を造形として反映させられることが出来るのか、そして受け手側もそれを感じることができるのだろうか。よく考えると大変不思議なことなのである。
ひとつ確かなのは、人間の脳内で「性別と身体的特徴」を認識する部分と、「ガンダムである」ことを認識する部分は、別の部分が使われているということだ。そうでなくては機械に人体の性別による特徴を感じることなどできない。
かつて、NHKの「ためしてガッテン」で、似顔絵の描き方を放送したことがある。このとき言われていたのは、人間の脳が「似ている」と感じる部分と「絵としてうまい」と感じる部分は異なるということであった。なので、似顔絵を似ているように描くには、脳が「似ている」と判断する部分に訴えるように描けばよく、それは実物よりも特徴を顕著に表した方がより効果的であるという。
同じようなことが、このガンダムにも言えるのではないだろうか。よって私は、人間の認知と情報処理について、文献調査を行うことにした。少なからず造形や絵に精通した者は、こういったことを無意識で理解している。いや、無意識というより経験的に理解していると言った方がよいだろう。しかし経験的に理解しているものをより客観的に認識すれば、意識的に様々な方法で自分の表現を引き出すことができる。
またそれは、造形の世界で止まらず、より大きな価値観形成に役立つはずだ。例えば、簡単にガンダムと言っているが、歴代のガンダム作品の中には、ガンダムと言われる機体とそうでないものが存在する。仮に新しいガンダム作品を作ったとして、その主役機体がこんな形をしていて、「ザークガンダム」という名前だったとする。
これを見れば視聴者は、「っていうか、ガンダムじゃなくね ?」と言うに違いない。勘違いされては困る、視聴者がこれをザクだと知っているからそう思うのではない。ガンダムと呼ばれる機体には、ガンダムと言われるだけの形状的特徴があるのだ。「形状的」である。「ストーリー的」ではない。
それは頭に目が二つあって、左右に広がったアンテナがついていて、頭頂部が出っ張っている。口にあたる部分に突起がある。なおかつ、非常に人体に近いプロポーションをしている。これが歴代「ガンダム」と言われてきた形状的特徴であり、identity である。
今の時代、ロボットアニメはたくさんある。その中でガンダムがガンダムであるのは、もはやリアルなストーリー、あくまで兵器として存在するロボットなどの内部的な部分ではなく、形状的な部分に依存している。それは既に「Gガンダム」で立証された。実際、ガンダムという作品名を冠しながら、その特徴とも言うべき機体がまったく登場しないとしたら、世の視聴者はガンダムとしてその作品を認めないだろう。もしくはガンダムも他のロボットアニメと何も変わりないと思うようになり、ブランド力を失うだろう。それは懐古主義と思われるかもしれないが、これだけ多様化したガンダム市場の方向性を変えていくというのは、コンテンツ運用の面から見ても良策とは言えない。
この点で言えば、ガンダム00に出した「アルケーガンダム」は最大の失敗と言える。これはストーリーでガンダムだと言い張るからガンダムだが、機体としてはアーマードコアだといわれても仕方がない。ガンダムがガンダム的な形状でなくてもよいとしたら、いまやガンダムがガンダムであり続ける理由は何だろうか。
つまり、人間が特徴とそこに含まれる情報を認知する方法を知ることは、広くはあるものがあるものらしく存在している理由を知ることになる。特徴、人間の中で記号化されて認知されるそれはidentityである。上に述べた例でそれは十分示せたはずだ。
手始めに図書館で認知心理学、人間の認知と情報処理に関する本を借りてきた。合わせて自分の持つ映像心理学の本で、この課題をひとつ突き詰めてみたい。
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