海洋堂批判2009/07/27 11:36

ワンフェスの運営体制は、参加費用の料金体系、エスカレーター事故とその対応などに関して、以前より批判は多くあるが、2010年2月開催予定のワンフェス申込書にて、やはり企業体質を疑わざるを得ない内容があったため、ここであらためてその問題点を指摘させてもらう。

次回のワンフェスでは、版権申請アイテムが5つまでに制限された。これはつまり、既存の版権キャラの製作や出品は、ひとつのディーラーにつき5つまでしか出せないということである。

言うまでもなく、ワンフェスでは版権キャラを作るのは重要なファクターとなっている。この理由のひとつには、参加費用の高さが大きく関与している。ガレージキット製作は膨大なコストがかかる上、ワンフェスへの参加基本費用は25000円である。これを取り戻すには、やはり知名度のある版権キャラを作る方がリスク回避しやすい。ことにメカ関係は、オリジナルだけで運営していくのはまず不可能と考えて問題ない。
加えて、版権キャラを作ることは、原型師の技術向上にとっても重要なことだ。自分の好きなようにただモノを作っているだけでは、技術は向上しない。版権キャラという、ひとつの出来上がった形をいかに自分なりに表現していくかを考えて作ることは、原型製作で重要な課題でもある。

版権アイテムを5つしか出せないことで、参加リスクが大きくなり、撤退せざるを得なくなるディーラーが多く出るだろう。特に、メカ系、ピンキー系、版権キャラの小物を扱う系統のディーラー、原型師を多く抱えるディーラーは、相当のハンデを背負うことになる。

ではなぜ、ワンフェス側はそのような判断に踏み切ったのか、理由は申込書で以下のように説明されている。
「昨今の製作・生産環境の変化(中略)によりメーカーと変わりない規模の申請作品が増え、原作のファンによる個人的活動として版権許諾をいただいている版権元からも、『個数や売上など、多額の収入を得ることに対しての制限』が設けられるケースも見られるようになりました。」

これほどの規模で生産を行えるのは一部のディーラーに過ぎないし、制限を設けるなら、そのようなディーラーに対してのみ行えばよいのであり、全体にその責を負わせる必要はない。一方で海洋堂は「ワンフェスの持つモノ作り造形イベントとしての熱量やモチベーションが回復不可能なまでに下がってしまう」ことを何としても回避したいということを公言している。

ここでひとつ整理しよう。海洋堂の何が問題なのか。海洋堂はワンフェスについて、
「規模の拡大と、世間一般からの認知や理解を獲得したことは、ワンフェスを運営するワンフェス実行委員会=海洋堂にとっては『痛し痒し』と言わざるをえない部分があります。」と述べている。
そもそものワンフェスは非常に小規模であったが、昨今は巨大化している。それを海洋堂一社が担うには、やはり荷が重いということなのだ。確かにそれは当然のことであろう。しかし問題は、その荷の重さを自社の運営方法やワンフェスのやり方への反省として見るのではなく、ディーラーや参加者に責任を押し付けている企業姿勢そのものなのである。

これは前述のことと合わせて、以下のことからも読み取れる。
「クオリティーを追究するよりも、参加すること自体を楽しみたい、こういった人たちが増えた」
ゆえに Wonder Showcase が設置されているとのこと。参加者を海洋堂がどのように捉えているか、うかがえる点である。

海洋堂の言う「クオリティーの追究」と造形師の求める境地は必ずしも一体ではない。海洋堂の主張が正当ならば、ドール家具や衣装を作っているものは何なのか。トイやプラモを安く扱っているディーラーは何なのか。彼らもまた、造形の世界を支えている存在であることに違いないのだ。
ガレージキットだけが今のワンフェスではない。ガレージキットを扱わないディーラーを受け入れつつも、彼らに対する海洋堂の態度は極端に冷めている。

また、今回の版権アイテム制限に当たり、「当日版権システムについて」と題し、2004年夏のガイドブックに載せた、あさのまさひこ氏の記事を転載している。もっともらしいことをこの記事は述べているようだが、その内容はあまりにもお粗末なものだ。

この記事の重要な部分を引用すると、
(版権がアマチュアにも下りるということについて、なぜそれが可能かというと)「それは、『アマチュアディーラーの元締めたるワンフェス実行委員会が、その当日/当会場のみ有効な版権にまつわる責任のすべて負う旨を版権元に対して約束した』ことと、」(以下は企業からの恩恵という主旨が記述される)

さらにもうひとつ、
(当日版権に必要な事務手続きと費用がつりあわないことを述べた上で)「当日版権というシステムは『ギブ&テイクの図式がきちんと成り立った、版権元とアマチュアディーラーの対等なお付き合い』ではなく、『版権元の "遊び心" に頼ったかたちでギリギリ成立しているようなシロモノ』に過ぎないのだ。」
ということである。

大きく見て、二つの問題点がある。
ひとつは、この記事が2004年のものであり、現在のような、PVC量産フィギュアが大きな市場として完成する前のものであることだ。
まず、会場において、人数は少ないといえども、立体として版権のある作品が置かれれば、それだけで版元には宣伝効果がある。人気作については、さまざまなディーラーがいろいろな作品を出せば、作品のひとつのメジャー性を象徴することにもなろう。それがお金をもらって行えるのだ。近年はホビー誌でもそれらが紹介されることも多く、宣伝効果は大きい。
さらに、その中から企業に拾われ、PVC量産品として出回るものも出てくるのであり、版元にとっては新たな市場チャンスが回ってくる二度おいしいシステムになっている。もちろん、原型師にとっても絶好の機会になる。
2004年時点で、このような効果はあまり期待できなかった。少なからず、現在においては「ギブ&テイク」が成立している。にもかかわらずこのような記事を出してくることは、結局「海洋堂のおかげ」という部分を強調するだけにすぎない。

二つ目は、記事を書いたあさの氏が、著作権の概念を理解していないことである。著作権法は、著作者が自分の作品を公的に保護してもらい、そこから利益を得られることで、社会全体の創造意欲を高めることが目的で制定されている。決して、既得権益者の利益保護のみのための法律ではない。つまり、原型を作る側と版権元は、著作権法の下では共に助け合う関係にあるのであり、企業の恩恵に預かりながら創作が行われるのではない。あさの氏はこの対等な関係を明確に否定している。これは、著作権法制定の意志に逆らうものだ。また、こう記述を行うことで、ディーラーの立場が弱いものと感じられてしまう。ここに海洋堂の狙いがある。

以上に見られることより、海洋堂がワンフェスの運営のあり方や問題を、ディーラーや参加者に押し付けていることは明らかである。ワンフェスの、造形界における社会的役割を強調しつつ、問題点は他に押し付けるようでは、海洋堂は自分ひとりだけ「偉い」ように見せかけ企業株を上げる、利潤追求のみの企業であると宣言しているようなものだ。

企業は利潤を追求するものだが、同時に社会的責任を負っている。今のような形でワンフェスを運営していけば、結果的に原型師の士気を下げ、現在成り立っている「ギブ&テイク」の関係を自ら破壊し、業界全体の市場崩壊も招きかねない。作るものがいなければ、業界は成立しないのだ。

ワンフェスはもはや、海洋堂一企業に任せて運営されるものではない時代に入っているだろう。ワンフェスは造形業界全体を左右する規模のイベントになっており、共同出資でワンフェス実行委員会が独立する必要がある、そう強く感じる時代になってきている。

文明の利器2009/07/28 23:52

このたびのワンフェスで、このようなものを買いました。
PCを使っているとどうしてもネズミを持っている手にタコができてしまうため、手を休められるPadを探していたのですが、普通に売っているものだとどうも使いにくいのです。理由は、手首が高くなってしまうから。
で、このおっぱいPadは、真ん中がちょうどへこんでいるため、手首が固定されて実に合理的で使いやすく、以前より買おうと思っていたのですが、どれにしようか、値段の相談とか、いろいろあって止まっていました。
しかし、ついにワンフェスで「訳あり」商品として安値で売っているところを発見、これは迷わずGet !
んで、絵柄はとりあえず安ければいいやってことで、「ロザリオとヴァンパイア」のキャラをいただきました。うーん、全然知らない作品なんですけどね。
どうです、これぞ文明の利器って感じでしょう。手に優しく、実に使いやすい。なお、周囲の反応は非常につめたーいものがありまして・・・。趣味悪いとか、そんなんばっかしぃ・・・。機能性に注目しなさいってば !

なんとなく胸をふにふにしてしまいたくなるのは、やわらかいものをつい触りたくなってしまうという人間の本能だ !
いやあ、これで業者Padから脱却、さらば、science direct !

生まれ変わったいす2009/07/29 23:58

私の部屋で長年使っているいすがあるのですが、経年劣化で脚の付け根がねじ山ごと壊れてしまい、十字に溶接してあった脚の中央も取れてしまいました。おかげでいすはぐらぐら、おまけに表面のカバーも切れてしまっており、直すことにしました。
完成品はご覧の通り。左は作業用の小さないすで、こちらは新しく買ったものです。これに合わせた色合いで直したのが右のいす。新品とまではいかないものの、きれいに直りました。

脚は#180やすりで水磨ぎし、その日のうちに塗装、金属用サフ、黒、銀、最後にウレタンの透明を吹いて仕上げました。
付け根は合板を32cmの円形に切り、ペンキで塗装しました。脚の溶接部分が取れているため、本来のねじで止めただけでは不安定です。そこで、ねじ穴と同じ径のねじを使ってあそびの空間を埋め、ぐらつかないようにしました。
カバーを外すとご覧の通り、元の部品が生きています。もちろん、接着してありますので取れません。これは高さを上げるために入っています。小さいいすはニトリで買ったので、カバーも同じくニトリで購入、色がそろいました。

この手のいすは買えば安いのですが、長く使っていると愛着が出てきます。かれこれ人生の半分以上を付き合っているモノですから、捨てられないんですね、「あって当たり前」みたいな感覚があって。直す技術があるなら、いっそ直せるまで付き合おうって決めました !

造形と認知学2009/07/30 12:45

造形と認知学がいかなる関係を持っているのか、そもそものきっかけは「GUNDAM.INFO」の中の記事、「これまでの『ガンダムSEED DESTINY』マスターグレードの軌跡」にあった。

上記記事の中で「MG ZGMF-X20A Strike Freedom」 (Webは表示不良)は、「力強さとしなやかさを併せ持った女性アスリート体型にまとめられた」と述べられている。対する「MG ZGMF-X42S Destiny」 は、「デスティニーではより筋肉質な男性アスリート体型が志向されている」となっているのだ。

これだけでは、そうなのか程度で終わってしまうかもしれない。しかし冷静に考えて欲しい。ガンダムは人型兵器で、性別は持っていない。確かに人体的な形状をしているが、明らかに人間とは異なる機械だ。そこになぜ、女性および男性的アスリート体型を造形として反映させられることが出来るのか、そして受け手側もそれを感じることができるのだろうか。よく考えると大変不思議なことなのである。

ひとつ確かなのは、人間の脳内で「性別と身体的特徴」を認識する部分と、「ガンダムである」ことを認識する部分は、別の部分が使われているということだ。そうでなくては機械に人体の性別による特徴を感じることなどできない。

かつて、NHKの「ためしてガッテン」で、似顔絵の描き方を放送したことがある。このとき言われていたのは、人間の脳が「似ている」と感じる部分と「絵としてうまい」と感じる部分は異なるということであった。なので、似顔絵を似ているように描くには、脳が「似ている」と判断する部分に訴えるように描けばよく、それは実物よりも特徴を顕著に表した方がより効果的であるという。

同じようなことが、このガンダムにも言えるのではないだろうか。よって私は、人間の認知と情報処理について、文献調査を行うことにした。少なからず造形や絵に精通した者は、こういったことを無意識で理解している。いや、無意識というより経験的に理解していると言った方がよいだろう。しかし経験的に理解しているものをより客観的に認識すれば、意識的に様々な方法で自分の表現を引き出すことができる。

またそれは、造形の世界で止まらず、より大きな価値観形成に役立つはずだ。例えば、簡単にガンダムと言っているが、歴代のガンダム作品の中には、ガンダムと言われる機体とそうでないものが存在する。仮に新しいガンダム作品を作ったとして、その主役機体がこんな形をしていて、「ザークガンダム」という名前だったとする。
これを見れば視聴者は、「っていうか、ガンダムじゃなくね ?」と言うに違いない。勘違いされては困る、視聴者がこれをザクだと知っているからそう思うのではない。ガンダムと呼ばれる機体には、ガンダムと言われるだけの形状的特徴があるのだ。「形状的」である。「ストーリー的」ではない。
それは頭に目が二つあって、左右に広がったアンテナがついていて、頭頂部が出っ張っている。口にあたる部分に突起がある。なおかつ、非常に人体に近いプロポーションをしている。これが歴代「ガンダム」と言われてきた形状的特徴であり、identity である。

今の時代、ロボットアニメはたくさんある。その中でガンダムがガンダムであるのは、もはやリアルなストーリー、あくまで兵器として存在するロボットなどの内部的な部分ではなく、形状的な部分に依存している。それは既に「Gガンダム」で立証された。実際、ガンダムという作品名を冠しながら、その特徴とも言うべき機体がまったく登場しないとしたら、世の視聴者はガンダムとしてその作品を認めないだろう。もしくはガンダムも他のロボットアニメと何も変わりないと思うようになり、ブランド力を失うだろう。それは懐古主義と思われるかもしれないが、これだけ多様化したガンダム市場の方向性を変えていくというのは、コンテンツ運用の面から見ても良策とは言えない。

この点で言えば、ガンダム00に出した「アルケーガンダム」は最大の失敗と言える。これはストーリーでガンダムだと言い張るからガンダムだが、機体としてはアーマードコアだといわれても仕方がない。ガンダムがガンダム的な形状でなくてもよいとしたら、いまやガンダムがガンダムであり続ける理由は何だろうか。

つまり、人間が特徴とそこに含まれる情報を認知する方法を知ることは、広くはあるものがあるものらしく存在している理由を知ることになる。特徴、人間の中で記号化されて認知されるそれはidentityである。上に述べた例でそれは十分示せたはずだ。
手始めに図書館で認知心理学、人間の認知と情報処理に関する本を借りてきた。合わせて自分の持つ映像心理学の本で、この課題をひとつ突き詰めてみたい。