同系色塗料を揃える妙 ― 2009/10/20 18:02

赤は三原色のひとつですから、混色における基本色です。原色に近い色のバリエーションを多く持つほど、混色でのバリエーションが増えます。
また、赤そのものを美しく出したいとき、方法が二つあります。ひとつは下地を白にして塗る方法、もうひとつは目的の色より暗いまたは明るい同系色を下地にして、その上に塗装をする方法。このときは原色バリエーションの範囲内から選択するくらいがちょうど良いです。
原色バリエーションは差が微妙であるため、自分の手では作りにくいものです。赤を少し明るくしたい、そのとき黄色を混ぜればオレンジ系に明るくなりますし、白を入れればピンク系に明るくなります。だから赤より微妙に明るい朱色は、どちらを入れるかで印象が変わり、その上わずかな混色ですから、作るのが難しい色といえます。
赤より若干暗い赤が「レッドFS11136」、専用色の部類に入りますが、この微妙な暗さが落ち着いた感じを与えてくれます。原色と極めて近く、何をどれだけ混ぜたらよいのか見当が付きません。専用色に入っていることから、顔料そのものの成分が違う可能性もあります。
なにはともあれ、なければないなりになんとかなるものの、あればできることの幅が広がりますので、ある意味上級者向けのおあつらえなのかもしれません。私は車、バイク、キャラクターモデル、レジンフィギュア、PVC完成品の塗り替えまでやる人間です。この色がないときつい、そんな結果、自然にこうなっていました。でもおかげで、塗装バリエーションは大きく広がりました。
ここで上げたのは赤ですが、別に赤に限ったことではありません。しかし色数が増えればかさばるし、お金もかかりますから、最初から全部揃えることはオススメできません。要は使い方なのです。
プラモ設計技師を育てる ― 2009/10/06 23:28
プラモデルの設計、金型技術は日々進化しています。CADや3Dでの設計、レーザーでの金型製作技術、成型技術、箱や組み立て説明書も含めて、進化が続いてきました。より精巧に、より組み立てやすく、知恵が搾られています。
さて、今回は市場でも大きな影響力と技術力を誇るBANDAIについて見てみましょう。BANDAIは、プラモの設計と製造をすべて日本国内で行っています。それだけ精密さと技術に対し、力を入れていることがうかがえます。
商品の種類は様々ですが、ここは「PG」というシリーズに絞って話を進めましょう。なぜなら、数年の沈黙を破り、PGが今年からまた復活したからです。
FG, HG, MG, PG という順番で商品のGradeは上がっていき、kこれはBANDAI内部でのひとつの商品規格ともいえるでしょう。しかしほとんどがガンダムシリーズですから、ここはガンダム中心に考えてもよいかもしれません。
HGの基本は1/144(基の機体が小さい場合は1/100)で、大きなモデルを除けば価格帯は実売価格1000±500円の間のものが大多数です。HGとは「High Grade」のことで、適度な可動域を持ち、パーツが成型色で分けられていて、塗装なしでも違和感のない仕上がりになります。対象年齢は10歳からで、ライトユーザーからモデラーまで、広い客層を持ちます。「見た目の完成度」が最優先されており、逆を言えば見えない部分は作られていません。
MGこと「Master Grade」は1/100縮尺のみで、模型としての完成度の高さを究極目標にしています。したがって、装甲下の内部フレーム再現や多彩なギミックなど、造形物として完成度の高いものとなっています。アニメの中の純粋な設定より、造形して「メカ」になるよう、設定の新しい解釈が行われるのも特徴のひとつです。その分値段は高額で、最近出るものは実売価格3000円代になるのが普通です。組み立てや塗装にも技術を要し、対象年齢は15歳以上です。
PGは「Perfect Grade」で、縮尺は1/60、MGよりさらに詳細に作りこまれたモデルです。価格は万クラスになり、モデルで大きく開きがあります。そしてそれは、BANDAIの持ちうるプラモデル最高技術の結晶と言えるものでした。「でした」なのです。ここ数年の間、PGが発売されることはなく、技術は進んできました。
それが今年になり、PGが再び作られるようになりました。その裏側には何があるのでしょう。
PGの「STRIKE」が出たとき、技術の進化とガンダムモデルファンへの影響は計り知れないものがありました。これで培われた技術により、初期のMGをRefineした「Version 2.0」が出るようになりました。さらに、大河原というガンダムをデザインした人間の手がけた、主人公機としてのデザイン集大成でもあり、彼が与えた他のデザイナーへの影響を振り返る上でも、非常に大きな意味を持っていたのです。
でも同時にそれは、MGで技術が進化していくことになる結果を産み出しました。Version 2.0 での可動技術、「∀」の設計図からモデルを生み出す技術、SEED系MGの伸縮機構、ユニコーンシリーズVer.Kaによる精密成型および複雑なギミック、曲面再現技術など、ストライクの産んだ技術がMG内部で発展して行ったのです。
特に「Unicorn Gundam Ver.Ka」と「Sinanju Ver.Ka」は、PG並みの技術をMGに詰め込んだ、BANDAI技術の最高峰として公開されました。発展を進めるうち、PGでやってきたことがMGに移ってしまったのです。
MGには1/100という決まりがあります。何でもそうですが、技術開発に必要な土台は大きい方が有利です。1/100よりも1/60で作った方が、開発の自由度が高まります。そこで技術発展の場をもう一度再生するべく、今年からPGの開発に再び着手したのだと考えるのです。技術はPGに始まり、MGで大成されていくという形を取り戻そうとしているのではないでしょうか。
数年ぶりに出たPGは「ASTRAY REDFRAME」という、マイナーな機体でした。当初はPGというただでさえ売れないカテゴリーで、なぜマイナーな機体を作るのか理解に困りました。でも、PG「00RAISER」が出ると決まったとき、その理由は技術者養成にあると確信しました。
「ASTRAY REDFRAME」は、基本フレームをストライクとほぼ同一にしています。つまり、PGを数年ぶりに作るにあたり、いきなりゼロから作れというのは大変なので、まずは部分的に作ることを目標にしたのでしょう。表向きは「連合の作り出したGATの技術がASTRAYにどのように組み込まれていったのか、ストーリー上の流れを体感できるモデル」になっています。ストライクを基にASTRAYが作られていったという、ストーリー上の設定をたくみに利用しました。
BANDAI内部では、利益はあまり考えていなかった、むしろ赤字覚悟だったと思います。一応は初回特典やオマケパーツを増やし、多少なりとも購買意欲につながりそうな準備をしっかり行いましたが、それ以上にPGの再生へ重きを置いていたのでしょう。長い目で収益を取り戻すより、初回一発にかけた商品であることに間違いありません。
さらに言えば、特別な技術革新はありませんでした。唯一大きかったのが、色の異なるプラスチックを一体成型する技術でした。
この技術と、MGザクVer.2.0で培われた技術により、ケロプラ「プルル看護長」と「ペラモデル」が完成しました。
2009年11月には、「00RAISER」が発売されます。年内に放送された「00ガンダム」の主人公機です。今度はゼロから作られました。しかし、目に付くような新しい技術はやはりあまりなく、発光ギミックにモーターを仕込んだことや、両腕にクラッチ機構を設けて重いものを持てるようにしたことぐらいでしょう。PGはその大きさゆえ姿勢の保持力が不足がちなので、腕にクラッチ式ロック機構を作ったのはPGゆえの改善点です。MGに縮小して実用ある革新的技術とはあまり思えません。小型のネジを使うので、低年齢をターゲットにした商品にも向きません。
また、小さな販売店でも3割引で売れるように卸値を設定しているようで、初回一発に可能な限り売ってしまおうという意図が感じられます。当然、初回限定が大量についています。前回は価格上乗せだったクリアー装甲パーツ一式も、今回は同価格内で提供されます。
ここで「00RAISER」が選ばれたのは、機械的設定がほとんどないため複雑な機構を必要とせず作りやすいこと、ファンから過度の期待を受けないこと、TVが年内放送だったのでそれなりに知名度があったことでしょう。注目を受けるためには、発売しないモデルをでっちあげるほどの会社です。それが地味に動いていることは、特別な注目点はないと割り切っている態度の表れと考えられます。
言うまでもなくわかることですが、PGを買うのは非常にコアな「ガンダムモデル」ファン層で、アニメを見て、HGを買って満足する一般的ガンダムファンとは一線を画すものです。早い話が、モデラーの間で「00」のシリーズは受けが良くなかったということになります。
「00」シリーズのプラモはそれなりの売り上げを誇ったようですが、実際買っている層をイベントで見た限り、子供とキャラ萌えと思われる腐女子層が多数でした。あまりプラモに慣れてない人々を取り込む意味では成功したようですが、アニメ作品を見ずに立体だけ手に取るようなコアモデラーやガンダムと無縁のモデラーの間では、デザインを問題視する声が多くあり、Hobby Japan では作例で暗にデザインそのものの問題性を指摘するような記述がちらほら見られる結果となりました。メカデザイナーがメカオンチだったことも、電撃Hobby 2008年1月号でわかっています。
注)
なおこの点について、「アニメ映像中では気にならなかった、何が問題なのか」ということを言う人がいますが、平面でパースや角度を自由に調整できる表現と、構造物として全方位から均等に見られるものの表現を混同しないでください。ガンダム作品は平面での映像化とプラモでの立体化を最初から想定しているものであり、その両方を同時にこなせるデザインを作り上げる必要があるのです。また、現状の批判の対象は「かっこ悪い」ではなく、構造物として不自然を感じる点になっています。かっこいい、かっこわるいのような好みによる価値判断は意味を成しません。理由は「情報の理解と自己形成」を参照あれ。こまかいことは、後にコンテンツ運用についての基礎を書く予定でいるので、そのとき再び触れる予定です。
))
加えて、「00」シリーズは材料を削減し、コストを下げる、俗に言う「肉抜き」が1/100サイズでも存在し、足の裏まで肉抜きされたHGが出たのはHG史上初です。そういうことをあまり気にしなくても、安くてアニメの劇中イメージが重ねられればいいという層を狙っている意図を感じます。
さすがにBANDAIとしてもそこは把握しているようで、PGを買うような層に「00RAISER」は受けが悪いことを覚悟の上でしょう。なぜなら、革新的なものがないのに、ファンから極度の期待を受けるような人気機体ではPGの今後にかかわってしまうからです。PGとMGは何が違うのか、そこをはっきりさせていかないと、「FREEDOM」のような歴史的機体を作ることはできないでしょう。あくまでPGは再スタートを切ったばかりで、技術者を育てることこそ第一の目標になっているはずです。
さて、PGは再び最高峰技術の結晶という地位を取り戻すことができるのでしょうか。それともPGはその地位を捨て、新しい方向に向かうのでしょうか。それはまだ誰にもわかりません。しかし、技術を生む新しいPlatformを作るうえで、採算度外視でもPGが欠かせないのは確かです。PGの真価は、そこで生まれた技術が何に活かされるかにかかっています。
さて、今回は市場でも大きな影響力と技術力を誇るBANDAIについて見てみましょう。BANDAIは、プラモの設計と製造をすべて日本国内で行っています。それだけ精密さと技術に対し、力を入れていることがうかがえます。
商品の種類は様々ですが、ここは「PG」というシリーズに絞って話を進めましょう。なぜなら、数年の沈黙を破り、PGが今年からまた復活したからです。
FG, HG, MG, PG という順番で商品のGradeは上がっていき、kこれはBANDAI内部でのひとつの商品規格ともいえるでしょう。しかしほとんどがガンダムシリーズですから、ここはガンダム中心に考えてもよいかもしれません。
HGの基本は1/144(基の機体が小さい場合は1/100)で、大きなモデルを除けば価格帯は実売価格1000±500円の間のものが大多数です。HGとは「High Grade」のことで、適度な可動域を持ち、パーツが成型色で分けられていて、塗装なしでも違和感のない仕上がりになります。対象年齢は10歳からで、ライトユーザーからモデラーまで、広い客層を持ちます。「見た目の完成度」が最優先されており、逆を言えば見えない部分は作られていません。
MGこと「Master Grade」は1/100縮尺のみで、模型としての完成度の高さを究極目標にしています。したがって、装甲下の内部フレーム再現や多彩なギミックなど、造形物として完成度の高いものとなっています。アニメの中の純粋な設定より、造形して「メカ」になるよう、設定の新しい解釈が行われるのも特徴のひとつです。その分値段は高額で、最近出るものは実売価格3000円代になるのが普通です。組み立てや塗装にも技術を要し、対象年齢は15歳以上です。
PGは「Perfect Grade」で、縮尺は1/60、MGよりさらに詳細に作りこまれたモデルです。価格は万クラスになり、モデルで大きく開きがあります。そしてそれは、BANDAIの持ちうるプラモデル最高技術の結晶と言えるものでした。「でした」なのです。ここ数年の間、PGが発売されることはなく、技術は進んできました。
それが今年になり、PGが再び作られるようになりました。その裏側には何があるのでしょう。
PGの「STRIKE」が出たとき、技術の進化とガンダムモデルファンへの影響は計り知れないものがありました。これで培われた技術により、初期のMGをRefineした「Version 2.0」が出るようになりました。さらに、大河原というガンダムをデザインした人間の手がけた、主人公機としてのデザイン集大成でもあり、彼が与えた他のデザイナーへの影響を振り返る上でも、非常に大きな意味を持っていたのです。
でも同時にそれは、MGで技術が進化していくことになる結果を産み出しました。Version 2.0 での可動技術、「∀」の設計図からモデルを生み出す技術、SEED系MGの伸縮機構、ユニコーンシリーズVer.Kaによる精密成型および複雑なギミック、曲面再現技術など、ストライクの産んだ技術がMG内部で発展して行ったのです。
特に「Unicorn Gundam Ver.Ka」と「Sinanju Ver.Ka」は、PG並みの技術をMGに詰め込んだ、BANDAI技術の最高峰として公開されました。発展を進めるうち、PGでやってきたことがMGに移ってしまったのです。
MGには1/100という決まりがあります。何でもそうですが、技術開発に必要な土台は大きい方が有利です。1/100よりも1/60で作った方が、開発の自由度が高まります。そこで技術発展の場をもう一度再生するべく、今年からPGの開発に再び着手したのだと考えるのです。技術はPGに始まり、MGで大成されていくという形を取り戻そうとしているのではないでしょうか。
数年ぶりに出たPGは「ASTRAY REDFRAME」という、マイナーな機体でした。当初はPGというただでさえ売れないカテゴリーで、なぜマイナーな機体を作るのか理解に困りました。でも、PG「00RAISER」が出ると決まったとき、その理由は技術者養成にあると確信しました。
「ASTRAY REDFRAME」は、基本フレームをストライクとほぼ同一にしています。つまり、PGを数年ぶりに作るにあたり、いきなりゼロから作れというのは大変なので、まずは部分的に作ることを目標にしたのでしょう。表向きは「連合の作り出したGATの技術がASTRAYにどのように組み込まれていったのか、ストーリー上の流れを体感できるモデル」になっています。ストライクを基にASTRAYが作られていったという、ストーリー上の設定をたくみに利用しました。
BANDAI内部では、利益はあまり考えていなかった、むしろ赤字覚悟だったと思います。一応は初回特典やオマケパーツを増やし、多少なりとも購買意欲につながりそうな準備をしっかり行いましたが、それ以上にPGの再生へ重きを置いていたのでしょう。長い目で収益を取り戻すより、初回一発にかけた商品であることに間違いありません。
さらに言えば、特別な技術革新はありませんでした。唯一大きかったのが、色の異なるプラスチックを一体成型する技術でした。
この技術と、MGザクVer.2.0で培われた技術により、ケロプラ「プルル看護長」と「ペラモデル」が完成しました。
2009年11月には、「00RAISER」が発売されます。年内に放送された「00ガンダム」の主人公機です。今度はゼロから作られました。しかし、目に付くような新しい技術はやはりあまりなく、発光ギミックにモーターを仕込んだことや、両腕にクラッチ機構を設けて重いものを持てるようにしたことぐらいでしょう。PGはその大きさゆえ姿勢の保持力が不足がちなので、腕にクラッチ式ロック機構を作ったのはPGゆえの改善点です。MGに縮小して実用ある革新的技術とはあまり思えません。小型のネジを使うので、低年齢をターゲットにした商品にも向きません。
また、小さな販売店でも3割引で売れるように卸値を設定しているようで、初回一発に可能な限り売ってしまおうという意図が感じられます。当然、初回限定が大量についています。前回は価格上乗せだったクリアー装甲パーツ一式も、今回は同価格内で提供されます。
ここで「00RAISER」が選ばれたのは、機械的設定がほとんどないため複雑な機構を必要とせず作りやすいこと、ファンから過度の期待を受けないこと、TVが年内放送だったのでそれなりに知名度があったことでしょう。注目を受けるためには、発売しないモデルをでっちあげるほどの会社です。それが地味に動いていることは、特別な注目点はないと割り切っている態度の表れと考えられます。
言うまでもなくわかることですが、PGを買うのは非常にコアな「ガンダムモデル」ファン層で、アニメを見て、HGを買って満足する一般的ガンダムファンとは一線を画すものです。早い話が、モデラーの間で「00」のシリーズは受けが良くなかったということになります。
「00」シリーズのプラモはそれなりの売り上げを誇ったようですが、実際買っている層をイベントで見た限り、子供とキャラ萌えと思われる腐女子層が多数でした。あまりプラモに慣れてない人々を取り込む意味では成功したようですが、アニメ作品を見ずに立体だけ手に取るようなコアモデラーやガンダムと無縁のモデラーの間では、デザインを問題視する声が多くあり、Hobby Japan では作例で暗にデザインそのものの問題性を指摘するような記述がちらほら見られる結果となりました。メカデザイナーがメカオンチだったことも、電撃Hobby 2008年1月号でわかっています。
注)
なおこの点について、「アニメ映像中では気にならなかった、何が問題なのか」ということを言う人がいますが、平面でパースや角度を自由に調整できる表現と、構造物として全方位から均等に見られるものの表現を混同しないでください。ガンダム作品は平面での映像化とプラモでの立体化を最初から想定しているものであり、その両方を同時にこなせるデザインを作り上げる必要があるのです。また、現状の批判の対象は「かっこ悪い」ではなく、構造物として不自然を感じる点になっています。かっこいい、かっこわるいのような好みによる価値判断は意味を成しません。理由は「情報の理解と自己形成」を参照あれ。こまかいことは、後にコンテンツ運用についての基礎を書く予定でいるので、そのとき再び触れる予定です。
))
加えて、「00」シリーズは材料を削減し、コストを下げる、俗に言う「肉抜き」が1/100サイズでも存在し、足の裏まで肉抜きされたHGが出たのはHG史上初です。そういうことをあまり気にしなくても、安くてアニメの劇中イメージが重ねられればいいという層を狙っている意図を感じます。
さすがにBANDAIとしてもそこは把握しているようで、PGを買うような層に「00RAISER」は受けが悪いことを覚悟の上でしょう。なぜなら、革新的なものがないのに、ファンから極度の期待を受けるような人気機体ではPGの今後にかかわってしまうからです。PGとMGは何が違うのか、そこをはっきりさせていかないと、「FREEDOM」のような歴史的機体を作ることはできないでしょう。あくまでPGは再スタートを切ったばかりで、技術者を育てることこそ第一の目標になっているはずです。
さて、PGは再び最高峰技術の結晶という地位を取り戻すことができるのでしょうか。それともPGはその地位を捨て、新しい方向に向かうのでしょうか。それはまだ誰にもわかりません。しかし、技術を生む新しいPlatformを作るうえで、採算度外視でもPGが欠かせないのは確かです。PGの真価は、そこで生まれた技術が何に活かされるかにかかっています。
量産フィギュアを作る ― 2009/09/04 00:34
キャラホビで思いっきり遊んできただけのようですが、そうでもありません。Max Factory でいろいろな話を聞いてきました。そこでは原型師さん自らが商品体験コーナーにいて、お客さんからの反応を見ています。
以前のワンフェスで同じ試みをやっていました。figmaについて見てきましたが、かつてのワンフェスのときは商品化されたばかりで、会社としても手探り段階でした。しかし今では、figmaはお手軽可動フィギュアとして地位を確立しています。
そこで今回は、figmaが目標とする製品の基準について聞いてきました。商品が多様化してくれば技術も多様化しますが、やはり一定の値段で、なおかつ一定の品質のものを作らなくてはなりません。
話の例に用いられたのは以下の3体です。枠線のあるものはGalleryへのLinkがあります。Galleryを見ながら読むことをお勧めします。
リンク切れ
ひざ関節に隙間ができてしまいますね。本来ならこの隙間はない方が見た目も良いし、逆に曲がるのを防ぐLock機構にもなるのですが、微妙な金型の調整上不可能だそうです。自社工場をもたないため、金型の微調整がそこの職人さんの腕にかかってしまい、理想通りの成型は難しいとのこと。
足首は球体関節が理想だろうとお話したところ、球体はやはり精度の問題で難しいとか。もちろん、部品の共通化による低コスト化も問題になります。
リンク切れ
これについては、刀をさやに納めるギミックが泣き所になったそうです。原型師としては刀の出し入れが自由にできる方が面白いと考えるけれど、量産となれば精度が非常に重要な問題になります。さすがにこれは金型製作にレーザー加工を用いたそうですが、コストも大きくなってしまい、上から苦い顔をされたとか。なお、刀のような薄い部品は成型時のリスクも高く、見た目以上の手間や注意が払われているようです。
リンク切れ
進化の中で出来上がったのがこれ、シャナです。ひざ関節を逆方向へ曲げたときに脚がまっすぐなるよう、原型に調整が加わっています。また、髪は軽量素材でできていて、なおかつ髪の一部が横に稼動するギミックが搭載されており、演出効果と相まって荷重を左右に振り分ける仕組みになっています。元となったのは「鶴屋さん」の髪可動ギミックで、このときは前後の動きが中心だったものの、素材も重くて自立が難しいのが課題だったとのこと。それがシャナになって見直され、この技術は後の製品に利用されているとか。
理想とするものを、大量生産という枠の中でいかに実現していくか、価格、技術、さまざまな工夫が折り合いをつけながら作られていました。そしてできあがってきたノウハウが確実に製品に反映されていました。みんなが楽しめる物を作る、そこには忘れてはならないモノ作りの魂がありました。
以前のワンフェスで同じ試みをやっていました。figmaについて見てきましたが、かつてのワンフェスのときは商品化されたばかりで、会社としても手探り段階でした。しかし今では、figmaはお手軽可動フィギュアとして地位を確立しています。
そこで今回は、figmaが目標とする製品の基準について聞いてきました。商品が多様化してくれば技術も多様化しますが、やはり一定の値段で、なおかつ一定の品質のものを作らなくてはなりません。
話の例に用いられたのは以下の3体です。枠線のあるものはGalleryへのLinkがあります。Galleryを見ながら読むことをお勧めします。
リンク切れ
ひざ関節に隙間ができてしまいますね。本来ならこの隙間はない方が見た目も良いし、逆に曲がるのを防ぐLock機構にもなるのですが、微妙な金型の調整上不可能だそうです。自社工場をもたないため、金型の微調整がそこの職人さんの腕にかかってしまい、理想通りの成型は難しいとのこと。
足首は球体関節が理想だろうとお話したところ、球体はやはり精度の問題で難しいとか。もちろん、部品の共通化による低コスト化も問題になります。
リンク切れ
これについては、刀をさやに納めるギミックが泣き所になったそうです。原型師としては刀の出し入れが自由にできる方が面白いと考えるけれど、量産となれば精度が非常に重要な問題になります。さすがにこれは金型製作にレーザー加工を用いたそうですが、コストも大きくなってしまい、上から苦い顔をされたとか。なお、刀のような薄い部品は成型時のリスクも高く、見た目以上の手間や注意が払われているようです。
リンク切れ
進化の中で出来上がったのがこれ、シャナです。ひざ関節を逆方向へ曲げたときに脚がまっすぐなるよう、原型に調整が加わっています。また、髪は軽量素材でできていて、なおかつ髪の一部が横に稼動するギミックが搭載されており、演出効果と相まって荷重を左右に振り分ける仕組みになっています。元となったのは「鶴屋さん」の髪可動ギミックで、このときは前後の動きが中心だったものの、素材も重くて自立が難しいのが課題だったとのこと。それがシャナになって見直され、この技術は後の製品に利用されているとか。
理想とするものを、大量生産という枠の中でいかに実現していくか、価格、技術、さまざまな工夫が折り合いをつけながら作られていました。そしてできあがってきたノウハウが確実に製品に反映されていました。みんなが楽しめる物を作る、そこには忘れてはならないモノ作りの魂がありました。
造形と認知学 ― 2009/07/30 12:45
造形と認知学がいかなる関係を持っているのか、そもそものきっかけは「GUNDAM.INFO」の中の記事、「これまでの『ガンダムSEED DESTINY』マスターグレードの軌跡」にあった。
上記記事の中で「MG ZGMF-X20A Strike Freedom」 (Webは表示不良)は、「力強さとしなやかさを併せ持った女性アスリート体型にまとめられた」と述べられている。対する「MG ZGMF-X42S Destiny」 は、「デスティニーではより筋肉質な男性アスリート体型が志向されている」となっているのだ。
これだけでは、そうなのか程度で終わってしまうかもしれない。しかし冷静に考えて欲しい。ガンダムは人型兵器で、性別は持っていない。確かに人体的な形状をしているが、明らかに人間とは異なる機械だ。そこになぜ、女性および男性的アスリート体型を造形として反映させられることが出来るのか、そして受け手側もそれを感じることができるのだろうか。よく考えると大変不思議なことなのである。
ひとつ確かなのは、人間の脳内で「性別と身体的特徴」を認識する部分と、「ガンダムである」ことを認識する部分は、別の部分が使われているということだ。そうでなくては機械に人体の性別による特徴を感じることなどできない。
かつて、NHKの「ためしてガッテン」で、似顔絵の描き方を放送したことがある。このとき言われていたのは、人間の脳が「似ている」と感じる部分と「絵としてうまい」と感じる部分は異なるということであった。なので、似顔絵を似ているように描くには、脳が「似ている」と判断する部分に訴えるように描けばよく、それは実物よりも特徴を顕著に表した方がより効果的であるという。
同じようなことが、このガンダムにも言えるのではないだろうか。よって私は、人間の認知と情報処理について、文献調査を行うことにした。少なからず造形や絵に精通した者は、こういったことを無意識で理解している。いや、無意識というより経験的に理解していると言った方がよいだろう。しかし経験的に理解しているものをより客観的に認識すれば、意識的に様々な方法で自分の表現を引き出すことができる。
またそれは、造形の世界で止まらず、より大きな価値観形成に役立つはずだ。例えば、簡単にガンダムと言っているが、歴代のガンダム作品の中には、ガンダムと言われる機体とそうでないものが存在する。仮に新しいガンダム作品を作ったとして、その主役機体がこんな形をしていて、「ザークガンダム」という名前だったとする。
これを見れば視聴者は、「っていうか、ガンダムじゃなくね ?」と言うに違いない。勘違いされては困る、視聴者がこれをザクだと知っているからそう思うのではない。ガンダムと呼ばれる機体には、ガンダムと言われるだけの形状的特徴があるのだ。「形状的」である。「ストーリー的」ではない。
それは頭に目が二つあって、左右に広がったアンテナがついていて、頭頂部が出っ張っている。口にあたる部分に突起がある。なおかつ、非常に人体に近いプロポーションをしている。これが歴代「ガンダム」と言われてきた形状的特徴であり、identity である。
今の時代、ロボットアニメはたくさんある。その中でガンダムがガンダムであるのは、もはやリアルなストーリー、あくまで兵器として存在するロボットなどの内部的な部分ではなく、形状的な部分に依存している。それは既に「Gガンダム」で立証された。実際、ガンダムという作品名を冠しながら、その特徴とも言うべき機体がまったく登場しないとしたら、世の視聴者はガンダムとしてその作品を認めないだろう。もしくはガンダムも他のロボットアニメと何も変わりないと思うようになり、ブランド力を失うだろう。それは懐古主義と思われるかもしれないが、これだけ多様化したガンダム市場の方向性を変えていくというのは、コンテンツ運用の面から見ても良策とは言えない。
この点で言えば、ガンダム00に出した「アルケーガンダム」は最大の失敗と言える。これはストーリーでガンダムだと言い張るからガンダムだが、機体としてはアーマードコアだといわれても仕方がない。ガンダムがガンダム的な形状でなくてもよいとしたら、いまやガンダムがガンダムであり続ける理由は何だろうか。
つまり、人間が特徴とそこに含まれる情報を認知する方法を知ることは、広くはあるものがあるものらしく存在している理由を知ることになる。特徴、人間の中で記号化されて認知されるそれはidentityである。上に述べた例でそれは十分示せたはずだ。
手始めに図書館で認知心理学、人間の認知と情報処理に関する本を借りてきた。合わせて自分の持つ映像心理学の本で、この課題をひとつ突き詰めてみたい。
上記記事の中で「MG ZGMF-X20A Strike Freedom」 (Webは表示不良)は、「力強さとしなやかさを併せ持った女性アスリート体型にまとめられた」と述べられている。対する「MG ZGMF-X42S Destiny」 は、「デスティニーではより筋肉質な男性アスリート体型が志向されている」となっているのだ。
これだけでは、そうなのか程度で終わってしまうかもしれない。しかし冷静に考えて欲しい。ガンダムは人型兵器で、性別は持っていない。確かに人体的な形状をしているが、明らかに人間とは異なる機械だ。そこになぜ、女性および男性的アスリート体型を造形として反映させられることが出来るのか、そして受け手側もそれを感じることができるのだろうか。よく考えると大変不思議なことなのである。
ひとつ確かなのは、人間の脳内で「性別と身体的特徴」を認識する部分と、「ガンダムである」ことを認識する部分は、別の部分が使われているということだ。そうでなくては機械に人体の性別による特徴を感じることなどできない。
かつて、NHKの「ためしてガッテン」で、似顔絵の描き方を放送したことがある。このとき言われていたのは、人間の脳が「似ている」と感じる部分と「絵としてうまい」と感じる部分は異なるということであった。なので、似顔絵を似ているように描くには、脳が「似ている」と判断する部分に訴えるように描けばよく、それは実物よりも特徴を顕著に表した方がより効果的であるという。
同じようなことが、このガンダムにも言えるのではないだろうか。よって私は、人間の認知と情報処理について、文献調査を行うことにした。少なからず造形や絵に精通した者は、こういったことを無意識で理解している。いや、無意識というより経験的に理解していると言った方がよいだろう。しかし経験的に理解しているものをより客観的に認識すれば、意識的に様々な方法で自分の表現を引き出すことができる。
またそれは、造形の世界で止まらず、より大きな価値観形成に役立つはずだ。例えば、簡単にガンダムと言っているが、歴代のガンダム作品の中には、ガンダムと言われる機体とそうでないものが存在する。仮に新しいガンダム作品を作ったとして、その主役機体がこんな形をしていて、「ザークガンダム」という名前だったとする。
これを見れば視聴者は、「っていうか、ガンダムじゃなくね ?」と言うに違いない。勘違いされては困る、視聴者がこれをザクだと知っているからそう思うのではない。ガンダムと呼ばれる機体には、ガンダムと言われるだけの形状的特徴があるのだ。「形状的」である。「ストーリー的」ではない。
それは頭に目が二つあって、左右に広がったアンテナがついていて、頭頂部が出っ張っている。口にあたる部分に突起がある。なおかつ、非常に人体に近いプロポーションをしている。これが歴代「ガンダム」と言われてきた形状的特徴であり、identity である。
今の時代、ロボットアニメはたくさんある。その中でガンダムがガンダムであるのは、もはやリアルなストーリー、あくまで兵器として存在するロボットなどの内部的な部分ではなく、形状的な部分に依存している。それは既に「Gガンダム」で立証された。実際、ガンダムという作品名を冠しながら、その特徴とも言うべき機体がまったく登場しないとしたら、世の視聴者はガンダムとしてその作品を認めないだろう。もしくはガンダムも他のロボットアニメと何も変わりないと思うようになり、ブランド力を失うだろう。それは懐古主義と思われるかもしれないが、これだけ多様化したガンダム市場の方向性を変えていくというのは、コンテンツ運用の面から見ても良策とは言えない。
この点で言えば、ガンダム00に出した「アルケーガンダム」は最大の失敗と言える。これはストーリーでガンダムだと言い張るからガンダムだが、機体としてはアーマードコアだといわれても仕方がない。ガンダムがガンダム的な形状でなくてもよいとしたら、いまやガンダムがガンダムであり続ける理由は何だろうか。
つまり、人間が特徴とそこに含まれる情報を認知する方法を知ることは、広くはあるものがあるものらしく存在している理由を知ることになる。特徴、人間の中で記号化されて認知されるそれはidentityである。上に述べた例でそれは十分示せたはずだ。
手始めに図書館で認知心理学、人間の認知と情報処理に関する本を借りてきた。合わせて自分の持つ映像心理学の本で、この課題をひとつ突き詰めてみたい。
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