絵の具が教えるもの ― 2012/07/18 23:55
ワンフェスからの当日案内が送られてきました。これで場所ははっきりしました。が、場所情報やらは明日以降にお知らせします。
今日の20時20分ごろ、印西より電話がありました。Help Call です、どうも祖母が問題を起こしているようなので、おじさんが対処しきれず、こちらから行くことにしました。たいてい行ったころには問題は解決しているもので、本来は母一人が行くのですが、今日は私も姉も付いていきました。やることはまだ残っているけれど、疲れて気分転換も欲しいし、夏の夜の道は最高です。と、言いながら、私は Hobby Japan を三冊抱えて行くのでした。
帰ってくるときには車の中で話したけれど、私が付いていった目的は気分転換でも夜ドラを楽しむことでもなくて、おじさんの様子が気になったからです。祖母にデイサービスが付いたとはいえ、認知症の人間の相手をするのは疲れます。
この前は買ったPCの使い方を教えたのに、あの時は祖母のリハビリ病院探しやらで忙しく、PCの使い方はすっかりわからなくなり、教えに来て欲しいと頼まれていました。今日私が行って、ついでにPCを簡単にまた教えなおして、最後に Hobby Japan でも置いてくれば、それだけでおじさんには気分転換になるだろうし、その後の気分転換をする方法もできます。ワンフェス終わったらねなんて言っていましたが、今日は祖母の認知症がかなりひどいようで、こういう大変な日もある状況下で気分転換もなしでは、ワンフェスまでって長いなと思ったのです。もっと早く動いて、少しでも印西の生活が回るようにするには、母一人の力だけでなく、私の力も必要です。介護にはいろんな人の力がいります。だから、ワンフェス前で今日もやることが残っていたけど、家庭の事情が何より優先事項ですから、付いていきました。
ちゃんとした理由を印西への行きに話さないのは、母に気を遣われたくなかったからです。本当のことを言えば、忙しいから今日はいいよと言うに決まってます。それが母の性格です。気分転換に夜ドラについていきたいと言えば止めはしません。
印西へ着いたころには祖母も落ち着いたようだけど、どうも今日は妄想がひどいようでした。おじさんに暴力を振るわれると言うんですね、もちろんそれは祖母の妄想なのは明らかなのですが、そう言われるとおじさんが近づけません。たたかれるのは嫌だとか、拒否してしまいます。これじゃあ対処のしようがありませんな。で、母と姉は祖母の相手をし、私はおじさんの相手をして、ちゃんとPCの使い方も重要なところはバッチリ教えてきました。
少し祖母から距離を置いて、介護から開放される時間があれば、かなり楽なはずです。そのまま帰るころには祖母も就寝の時間になり、無事帰ってくることができました。認知症にも波があって、今日は特に悪かったようです。母も途中で、今日はひどいねこりゃと様子を伝えにきました。
帰ってきて、もう時間は遅くなってしまったけど、私は展示ディオラマの台に色付けをしました。いつものアクリル透明水彩で。この絵の具はパン粘土の色付けから、あらゆるシーンで使い、しょうゆもみかんの色もすべてこれで作ります。yellow はすでに底を尽きて、新しいのを買いました。
この絵の具、お金を出しているのは祖母なんです。ずっと昔、もちろん認知症なんて無縁だったころ。
大学入試をすべて終え、早稲田への入学も決まり、浪人と大学生の短い期間でした。あのころ私は本気で漫画家になりたいと思っていて、当時は取手にあった祖母の家へ行ったとき、守谷のJ本へ行って不足していた漫画用品と、新たなステップへ進むための道具を買いました。そのとき買ったもののひとつがアクリル透明水彩8色です。当時はあまりお金を持っていませんでしたが、そのためのお金は準備しておきました。だから自分で払うつもりでいたのに、祖母が払うと言って、お金を出してくれました。私が何のためにそれを買うのかとかは関係なく、孫が欲しいものへお金を出すのが祖母の喜びなんです。だから悪いとは思いつつ、そのときは好意に甘えました。
それなりに絵の具は使ってきましたが、学部にあったPCの端末室でPhotoshop4.0 が使えたことから、PCでの制作も学習し始め、入学した年の11月にはPCを新調し、家でもデジタル制作環境が整いました。家でもPhotoshopを導入しました。やはりこれからはデジタルが主流になるだろうと感じたからです。
デジタルだけできても漫画家にはなれません。でも漫画家になることをあきらめたとき、デジタルは続き、アナログの絵の具は使わなくなってしまいました。高かったのにもったいないとは思ったけど、使う機会もなかなかなくて、しまってしまいました。もちろん、取れない場所にはしまいませんけどね。
買ってもらったときから13年経ったとき、本格的に使う時がきました。それが今の小物生産です。皮肉にもそのとき、祖母は認知症を脳梗塞から発症していました、今ほど進んではいなかったけれど。
この絵の具を使うとき、自分に戒めを感じます。自分が欲しくて、高くても決心して買おうとし、そうしたら思わぬところで祖母がお金を出してくれたもの。使い切って、どんどん新しく買いなおして、それが私なりのお礼になるはずなのに、投げ出して13年も放置していたのです。やっと今になってそれが本当に役に立ち、使い切って買い足すときがきました。
足りなかったのは絵を描く努力でした。本気で絵がうまくなりたかったら、デジタルアナログ関係なく、色んな方法で描き方を模索し、練習し、絵の具を使えたはずです。本気でやりたいと思ったことをやりぬくだけの努力もせず、口先だけで、頭だけでやりすごしてきた自分の結果がこの絵の具にはあります。
悲観もしないし、今こうしてこの絵の具が活躍してくれていることはうれしいけれど、忘れてはいけないものがこの絵の具には詰まっています。ただ、変わり行く祖母を見ていると、こんなところにも詰まっている思い出が、悔しいくらい自分には痛いのです。
私がするべきことは後悔ではなくて、前に進むこと。13年の時間が教えてくれたものを忘れず、今を生きること。あのときの絵の具が、こうして多くの人に喜んでもらえるものに変わっていくなら、また進めるでしょう。
ワンフェスのカタログが発売されて、多くの人目につく前に、ずっと気にかかっていたことを吐いておきました。長く書きすぎだねコレ。
今日の20時20分ごろ、印西より電話がありました。Help Call です、どうも祖母が問題を起こしているようなので、おじさんが対処しきれず、こちらから行くことにしました。たいてい行ったころには問題は解決しているもので、本来は母一人が行くのですが、今日は私も姉も付いていきました。やることはまだ残っているけれど、疲れて気分転換も欲しいし、夏の夜の道は最高です。と、言いながら、私は Hobby Japan を三冊抱えて行くのでした。
帰ってくるときには車の中で話したけれど、私が付いていった目的は気分転換でも夜ドラを楽しむことでもなくて、おじさんの様子が気になったからです。祖母にデイサービスが付いたとはいえ、認知症の人間の相手をするのは疲れます。
この前は買ったPCの使い方を教えたのに、あの時は祖母のリハビリ病院探しやらで忙しく、PCの使い方はすっかりわからなくなり、教えに来て欲しいと頼まれていました。今日私が行って、ついでにPCを簡単にまた教えなおして、最後に Hobby Japan でも置いてくれば、それだけでおじさんには気分転換になるだろうし、その後の気分転換をする方法もできます。ワンフェス終わったらねなんて言っていましたが、今日は祖母の認知症がかなりひどいようで、こういう大変な日もある状況下で気分転換もなしでは、ワンフェスまでって長いなと思ったのです。もっと早く動いて、少しでも印西の生活が回るようにするには、母一人の力だけでなく、私の力も必要です。介護にはいろんな人の力がいります。だから、ワンフェス前で今日もやることが残っていたけど、家庭の事情が何より優先事項ですから、付いていきました。
ちゃんとした理由を印西への行きに話さないのは、母に気を遣われたくなかったからです。本当のことを言えば、忙しいから今日はいいよと言うに決まってます。それが母の性格です。気分転換に夜ドラについていきたいと言えば止めはしません。
印西へ着いたころには祖母も落ち着いたようだけど、どうも今日は妄想がひどいようでした。おじさんに暴力を振るわれると言うんですね、もちろんそれは祖母の妄想なのは明らかなのですが、そう言われるとおじさんが近づけません。たたかれるのは嫌だとか、拒否してしまいます。これじゃあ対処のしようがありませんな。で、母と姉は祖母の相手をし、私はおじさんの相手をして、ちゃんとPCの使い方も重要なところはバッチリ教えてきました。
少し祖母から距離を置いて、介護から開放される時間があれば、かなり楽なはずです。そのまま帰るころには祖母も就寝の時間になり、無事帰ってくることができました。認知症にも波があって、今日は特に悪かったようです。母も途中で、今日はひどいねこりゃと様子を伝えにきました。
帰ってきて、もう時間は遅くなってしまったけど、私は展示ディオラマの台に色付けをしました。いつものアクリル透明水彩で。この絵の具はパン粘土の色付けから、あらゆるシーンで使い、しょうゆもみかんの色もすべてこれで作ります。yellow はすでに底を尽きて、新しいのを買いました。
この絵の具、お金を出しているのは祖母なんです。ずっと昔、もちろん認知症なんて無縁だったころ。
大学入試をすべて終え、早稲田への入学も決まり、浪人と大学生の短い期間でした。あのころ私は本気で漫画家になりたいと思っていて、当時は取手にあった祖母の家へ行ったとき、守谷のJ本へ行って不足していた漫画用品と、新たなステップへ進むための道具を買いました。そのとき買ったもののひとつがアクリル透明水彩8色です。当時はあまりお金を持っていませんでしたが、そのためのお金は準備しておきました。だから自分で払うつもりでいたのに、祖母が払うと言って、お金を出してくれました。私が何のためにそれを買うのかとかは関係なく、孫が欲しいものへお金を出すのが祖母の喜びなんです。だから悪いとは思いつつ、そのときは好意に甘えました。
それなりに絵の具は使ってきましたが、学部にあったPCの端末室でPhotoshop4.0 が使えたことから、PCでの制作も学習し始め、入学した年の11月にはPCを新調し、家でもデジタル制作環境が整いました。家でもPhotoshopを導入しました。やはりこれからはデジタルが主流になるだろうと感じたからです。
デジタルだけできても漫画家にはなれません。でも漫画家になることをあきらめたとき、デジタルは続き、アナログの絵の具は使わなくなってしまいました。高かったのにもったいないとは思ったけど、使う機会もなかなかなくて、しまってしまいました。もちろん、取れない場所にはしまいませんけどね。
買ってもらったときから13年経ったとき、本格的に使う時がきました。それが今の小物生産です。皮肉にもそのとき、祖母は認知症を脳梗塞から発症していました、今ほど進んではいなかったけれど。
この絵の具を使うとき、自分に戒めを感じます。自分が欲しくて、高くても決心して買おうとし、そうしたら思わぬところで祖母がお金を出してくれたもの。使い切って、どんどん新しく買いなおして、それが私なりのお礼になるはずなのに、投げ出して13年も放置していたのです。やっと今になってそれが本当に役に立ち、使い切って買い足すときがきました。
足りなかったのは絵を描く努力でした。本気で絵がうまくなりたかったら、デジタルアナログ関係なく、色んな方法で描き方を模索し、練習し、絵の具を使えたはずです。本気でやりたいと思ったことをやりぬくだけの努力もせず、口先だけで、頭だけでやりすごしてきた自分の結果がこの絵の具にはあります。
悲観もしないし、今こうしてこの絵の具が活躍してくれていることはうれしいけれど、忘れてはいけないものがこの絵の具には詰まっています。ただ、変わり行く祖母を見ていると、こんなところにも詰まっている思い出が、悔しいくらい自分には痛いのです。
私がするべきことは後悔ではなくて、前に進むこと。13年の時間が教えてくれたものを忘れず、今を生きること。あのときの絵の具が、こうして多くの人に喜んでもらえるものに変わっていくなら、また進めるでしょう。
ワンフェスのカタログが発売されて、多くの人目につく前に、ずっと気にかかっていたことを吐いておきました。長く書きすぎだねコレ。
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