突き詰めれば深いけど ― 2010/08/31 23:45
そういえばどうして今回は格ゲーから持ってきたのか、ちゃんとした説明をしていませんでした。GKを作っていくとなると、よほどいいアイディアか能力を持っていないと、オリジナルのものを作っていくのは難しいでしょう。版権物を作るのは、キャラで買ってくれるという、ある種の安全株でもありながら、すでに資料のあるものから作っていけばいいという、二つの利点を持ちます。また、製作する上ではゴールの形が決められますから、原型師が時間不足や面倒で、細部をはしょったなんてことはできません。そういう意味で、学習素材としても最適です。
ところが、世に出回るキャラクターというのは、時の経過と共に魅力が薄れたり、忘れ去られたりするものです。一昔前は「アニメの終わりが作品ブームの終わり」でした。しかし今日でも似たような状況は続いています。新番組が始まれば、前のアニメたちは自然に市場から撤退し、もといた「原作」という巣に帰ることになります。その後、製作会社や出版社がその作品を後支えしてくれるのは、よほどのロングセラーにでもなっていないと無理で、結果的には「息あるうちに多メディア展開」し、そのときの知名度で原作回帰させる顧客を期待しているわけですが、どこまで効果があるのかはわかりません。原作回帰されなかったものは、その人の中で忘れられていくのでしょう。
今放映中のアニメが、その人の心に残って、以後何年も、何十年も心の中で生きていればいいですが、ほとんどがそのときばかりのものになるでしょう。本当にそれが好きなのか、一生の思い出になるほどのものなのか、一時はものすごくいいと思っても、流れに流されていただけというのがほとんどではないでしょうか。
5年前のアニメキャラを持ち出して「今さら」とか「古い」とか言われると、少し悲しくなりますね。例えば私が好きな「舞乙-HiME」なんかは、いまだにCDだって聞くし、携帯電話にも何かいるし、部屋にもフィギュアがあるし、決して過去の遺物ではなく、自分の好きなものとして生きています。しかし、メディア上はある種の過去のものになりつつあります。どんなに私の中で生きていても。
消費者というのは気まぐれで、市場から姿を消すと興味まで失せてしまう、そういうところがあります。だからこそ、市場から姿を消さず、常に新しいことをしていないと、キャラクターは次々に消耗され、死んでいくだけです。
プリキュアシリーズは、シリーズが終わっても前のシリーズが死にませんね。子供たちの間では死ぬかもしれませんが、大人の支持層では死にません。そして、初代のプリキュアを今でも普通にフィギュア化して売っています。キャラクターというのは、こうした版元の努力で、常に新しいものを出していかないと死んできます。たとえ、その人の心の中にずっと残るものだとしても。
アッシュを選んだのは、KOFに出てきたキャラは新旧関係なく生きられるというところからです。他のゲームで生まれたキャラがKOFに参戦となれば、そのキャラは消えずに済みます。使いまわしとも再利用ともいえますが、KOFはキャラの再利用ループの中で、結果的にいろんなキャラを忘れ去られることなく育ててきたゲームです。だから、誰をとっても古さがない。たとえ初登場が2003年だったとしても、今を生きるキャラクターです。いろははまた別ゲームですが、それでも死んでないキャラというのが重要でした。
フィギュアの受け手にとって、アニメの終わりがブームの終わりで、フィギュアの役目を終える、そのような流れに、自分の作品が巻き込まれたくなかったんですね。意外にも、作品に定期的な新しさを入れつつキャラを生かしてくれているのは、そこらのアニメより、格ゲーでした。もちろん、いずれ忘れ去られるのかもしれないですけどね。
話題性やそのときの勢いだけでとびついてしまうと、何でも忘れやすいもの。でもまた、たとえメディアに出ることがなくなってきたものでも、ファンをひきつけたものなら、あるとき忘れ去られたときにぽんと造形されて出てくると、ものすごい魅力と哀愁で人間を引き寄せる。ただ、それができるほど私の実力は育っていません。
つまりまあ、版元がどれだけキャラを大切にしているかを考えたとき、新しいアニメはあやういものが多く、すでに実績あるところから取った方が、自分の作品を買ってくれた人の中でも残っていく可能性が高いと考えたわけです。裏ではコンテンツ運用のあり方や人々の受け入れ方、キャラクターと日本人の関係性など、きっちりみていけばそういうところがあって、私なりの面白い選び方をしたのが今回の選択てなわけです。
ここを突き詰めれば、本当に好きだから見ているのか、限られたものを見せられて好きなような気分にさせられているのか、自分の意思で見るものを選択できる市場なのか、実は自分の意思で情報を取捨選択しているのかという、情報リテラシーの問題がちらほらしています。
放送枠に限りのあるアニメがそれほどの選択肢を提供しているのか、ちょっと冷静になればみんな似たような情報を流して、ひとつの方向に導いてないかという問題になっていきますね。だからアニメが好きだという人、本当にアニメ好きなの ? ていうのを考える機会にもなるわけですが、ひとつのことからそんなところまで思考が行く人なら、他とは違う行動を取っているでしょう、その人はね。
さあ、寝る時間です。なんかですね、少しまじめな話した方がいいかもしんないとか思っていたりします。
ところが、世に出回るキャラクターというのは、時の経過と共に魅力が薄れたり、忘れ去られたりするものです。一昔前は「アニメの終わりが作品ブームの終わり」でした。しかし今日でも似たような状況は続いています。新番組が始まれば、前のアニメたちは自然に市場から撤退し、もといた「原作」という巣に帰ることになります。その後、製作会社や出版社がその作品を後支えしてくれるのは、よほどのロングセラーにでもなっていないと無理で、結果的には「息あるうちに多メディア展開」し、そのときの知名度で原作回帰させる顧客を期待しているわけですが、どこまで効果があるのかはわかりません。原作回帰されなかったものは、その人の中で忘れられていくのでしょう。
今放映中のアニメが、その人の心に残って、以後何年も、何十年も心の中で生きていればいいですが、ほとんどがそのときばかりのものになるでしょう。本当にそれが好きなのか、一生の思い出になるほどのものなのか、一時はものすごくいいと思っても、流れに流されていただけというのがほとんどではないでしょうか。
5年前のアニメキャラを持ち出して「今さら」とか「古い」とか言われると、少し悲しくなりますね。例えば私が好きな「舞乙-HiME」なんかは、いまだにCDだって聞くし、携帯電話にも何かいるし、部屋にもフィギュアがあるし、決して過去の遺物ではなく、自分の好きなものとして生きています。しかし、メディア上はある種の過去のものになりつつあります。どんなに私の中で生きていても。
消費者というのは気まぐれで、市場から姿を消すと興味まで失せてしまう、そういうところがあります。だからこそ、市場から姿を消さず、常に新しいことをしていないと、キャラクターは次々に消耗され、死んでいくだけです。
プリキュアシリーズは、シリーズが終わっても前のシリーズが死にませんね。子供たちの間では死ぬかもしれませんが、大人の支持層では死にません。そして、初代のプリキュアを今でも普通にフィギュア化して売っています。キャラクターというのは、こうした版元の努力で、常に新しいものを出していかないと死んできます。たとえ、その人の心の中にずっと残るものだとしても。
アッシュを選んだのは、KOFに出てきたキャラは新旧関係なく生きられるというところからです。他のゲームで生まれたキャラがKOFに参戦となれば、そのキャラは消えずに済みます。使いまわしとも再利用ともいえますが、KOFはキャラの再利用ループの中で、結果的にいろんなキャラを忘れ去られることなく育ててきたゲームです。だから、誰をとっても古さがない。たとえ初登場が2003年だったとしても、今を生きるキャラクターです。いろははまた別ゲームですが、それでも死んでないキャラというのが重要でした。
フィギュアの受け手にとって、アニメの終わりがブームの終わりで、フィギュアの役目を終える、そのような流れに、自分の作品が巻き込まれたくなかったんですね。意外にも、作品に定期的な新しさを入れつつキャラを生かしてくれているのは、そこらのアニメより、格ゲーでした。もちろん、いずれ忘れ去られるのかもしれないですけどね。
話題性やそのときの勢いだけでとびついてしまうと、何でも忘れやすいもの。でもまた、たとえメディアに出ることがなくなってきたものでも、ファンをひきつけたものなら、あるとき忘れ去られたときにぽんと造形されて出てくると、ものすごい魅力と哀愁で人間を引き寄せる。ただ、それができるほど私の実力は育っていません。
つまりまあ、版元がどれだけキャラを大切にしているかを考えたとき、新しいアニメはあやういものが多く、すでに実績あるところから取った方が、自分の作品を買ってくれた人の中でも残っていく可能性が高いと考えたわけです。裏ではコンテンツ運用のあり方や人々の受け入れ方、キャラクターと日本人の関係性など、きっちりみていけばそういうところがあって、私なりの面白い選び方をしたのが今回の選択てなわけです。
ここを突き詰めれば、本当に好きだから見ているのか、限られたものを見せられて好きなような気分にさせられているのか、自分の意思で見るものを選択できる市場なのか、実は自分の意思で情報を取捨選択しているのかという、情報リテラシーの問題がちらほらしています。
放送枠に限りのあるアニメがそれほどの選択肢を提供しているのか、ちょっと冷静になればみんな似たような情報を流して、ひとつの方向に導いてないかという問題になっていきますね。だからアニメが好きだという人、本当にアニメ好きなの ? ていうのを考える機会にもなるわけですが、ひとつのことからそんなところまで思考が行く人なら、他とは違う行動を取っているでしょう、その人はね。
さあ、寝る時間です。なんかですね、少しまじめな話した方がいいかもしんないとか思っていたりします。
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