神話は作られるもの ― 2011/03/18 22:52
世間では言うまでもなく福島原発の問題がさわがれています。人によってどの程度認識しているかわかりませんが、この問題はすでに地球規模になっています。で、日本の安全性の高い原発がこのような事態になると、あらゆる原発の安全性を抜本から見直すべきだという意見があらゆる国で現れ始めました。
いや、それはいいとして、私なりには少しひっかかります。日本の原発は安全だと言われていたけど、それはたまたま大きな事故が起きていなかっただけで、そもそも安全性は十分確保されていなかったんじゃないかと思うのです。
それが緊急時の体制です。地震が発生して電力供給が停止した場合、非常電源が発動して原子炉を冷却することになっている。・・・どういうことだかわかりますか ? つまり、原発の非常時の体制というのは、図書館とかの蔵書DBの非常時体制よりも膜が薄いってことです。情報通信の世界で言えば、重要なDataのBackupをひとつしか持っていないのと同じです。
DBの規模によって違うけれど、普通安全対策というものは、二重三重をもってするものです。例えば早稲田大学図書館には、蔵書目録が何百万件という数、DBになって保存されていて、常時利用され、適宜書き換えられています。これだけの量のDBはすべて人の手によって作られますから、ちょっとした時間で作られたものではありません。長い年月をかけて作られ、システム変更を受けながら維持されてきました。仮にそれが事故で吹き飛んだ場合、図書館の機能はマヒし、復旧には莫大な金額と年月がかかります。横断検索もできなくなるほか、論文の情報収集も困難になって、研究機関としての大学は成立しなくなるでしょう。ある意味、早稲田大学の最後がやってきます。
なのでそうならないために、何重にも安全策が張られます。もちろん、停電、震災、火災など、災害対策も含め、機器の故障、システム異常、あらゆる事態に対応するべく、Dataの保持に努めています。具体的なことは内部事情なので言いませんが、私も一部はどんな方法でDBのBackupをとっていたか知っています。少なくとも、Backupがひとつということはありませんでした。二重三重、それ以上のBackupがとられていました。
ところが、もしものことがあれば日本の一帯が住めなくなり、海を越えた地域にまで被害を与えるほどの危険性を持った技術で、安全対策はこの程度なのかと思わざるを得ません。実際今、原子炉を冷却しているのは消防車です。緊急の対策ではありますが、逆を言えば消防車でも何とか大事故を防ぐことはできるということです。なぜに、「もし非常発電機も動かなくなったとき」が想定されていなかったのか、不思議です。本当にこれが「想定外」なんでしょうか。
愚直な例えですが、「仮に非常電源が起動しなかった場合、ポンプ車を利用して外部からの出力で冷却水を注入する。それが不可能な場合、原子炉を放射性物質が漏れる前に外部から冷却を行う。その場合は原子炉そのものの継続利用はできないものとし、外壁を取り除く。」みたいな感じで、次へ次への対策はできたと思います。安全対策に絶対はありません。だから、可能な限り次へ次への用意をしておき、実現可能な限界までを示しておくべきでしょう。同時にこれは、事故の状況を的確に捉え、正確な情報を外部に公開する基準にもなります。今どの程度の対策までが講じられたのか、その先想定されうる周辺地域や住民への対応は何なのか。
安全神話とは、これがあれば絶対安全という考え方に基づいています。しかし、絶対安全というものは存在しません。存在しないからこそ、人は知恵を出し、考えます。少なくとも福島原発ではその行動が怠られていました。福島原発だけではありません。今稼働しているすべての原発は、福島原発と同じだけのリスクを抱えています。
綿密な安全策は、電力会社にも国にも面倒をもたらします。危険性を公開すれば地域住民の反発は必至で、安全対策を周知し、その元で電力会社、国、地域が一体となって発電所を運用していくには、維持に莫大なコストがかかります。非常に希少な確率で起こりうる事故のための膨大なコストと、その代わりに確保される安全性。結果は、危険性を持っていても運用コストが少ない方向が採用され、それを隠すために作られたのが安全神話。そんなシナリオが見え隠れしています。
一方で、これだけの危険性を押し付けているのは、大量の電気を使う現在の生活スタイルであり、人間でした。ここから見える課題は、地球規模で考えられるべき問題でもあります。
いや、それはいいとして、私なりには少しひっかかります。日本の原発は安全だと言われていたけど、それはたまたま大きな事故が起きていなかっただけで、そもそも安全性は十分確保されていなかったんじゃないかと思うのです。
それが緊急時の体制です。地震が発生して電力供給が停止した場合、非常電源が発動して原子炉を冷却することになっている。・・・どういうことだかわかりますか ? つまり、原発の非常時の体制というのは、図書館とかの蔵書DBの非常時体制よりも膜が薄いってことです。情報通信の世界で言えば、重要なDataのBackupをひとつしか持っていないのと同じです。
DBの規模によって違うけれど、普通安全対策というものは、二重三重をもってするものです。例えば早稲田大学図書館には、蔵書目録が何百万件という数、DBになって保存されていて、常時利用され、適宜書き換えられています。これだけの量のDBはすべて人の手によって作られますから、ちょっとした時間で作られたものではありません。長い年月をかけて作られ、システム変更を受けながら維持されてきました。仮にそれが事故で吹き飛んだ場合、図書館の機能はマヒし、復旧には莫大な金額と年月がかかります。横断検索もできなくなるほか、論文の情報収集も困難になって、研究機関としての大学は成立しなくなるでしょう。ある意味、早稲田大学の最後がやってきます。
なのでそうならないために、何重にも安全策が張られます。もちろん、停電、震災、火災など、災害対策も含め、機器の故障、システム異常、あらゆる事態に対応するべく、Dataの保持に努めています。具体的なことは内部事情なので言いませんが、私も一部はどんな方法でDBのBackupをとっていたか知っています。少なくとも、Backupがひとつということはありませんでした。二重三重、それ以上のBackupがとられていました。
ところが、もしものことがあれば日本の一帯が住めなくなり、海を越えた地域にまで被害を与えるほどの危険性を持った技術で、安全対策はこの程度なのかと思わざるを得ません。実際今、原子炉を冷却しているのは消防車です。緊急の対策ではありますが、逆を言えば消防車でも何とか大事故を防ぐことはできるということです。なぜに、「もし非常発電機も動かなくなったとき」が想定されていなかったのか、不思議です。本当にこれが「想定外」なんでしょうか。
愚直な例えですが、「仮に非常電源が起動しなかった場合、ポンプ車を利用して外部からの出力で冷却水を注入する。それが不可能な場合、原子炉を放射性物質が漏れる前に外部から冷却を行う。その場合は原子炉そのものの継続利用はできないものとし、外壁を取り除く。」みたいな感じで、次へ次への対策はできたと思います。安全対策に絶対はありません。だから、可能な限り次へ次への用意をしておき、実現可能な限界までを示しておくべきでしょう。同時にこれは、事故の状況を的確に捉え、正確な情報を外部に公開する基準にもなります。今どの程度の対策までが講じられたのか、その先想定されうる周辺地域や住民への対応は何なのか。
安全神話とは、これがあれば絶対安全という考え方に基づいています。しかし、絶対安全というものは存在しません。存在しないからこそ、人は知恵を出し、考えます。少なくとも福島原発ではその行動が怠られていました。福島原発だけではありません。今稼働しているすべての原発は、福島原発と同じだけのリスクを抱えています。
綿密な安全策は、電力会社にも国にも面倒をもたらします。危険性を公開すれば地域住民の反発は必至で、安全対策を周知し、その元で電力会社、国、地域が一体となって発電所を運用していくには、維持に莫大なコストがかかります。非常に希少な確率で起こりうる事故のための膨大なコストと、その代わりに確保される安全性。結果は、危険性を持っていても運用コストが少ない方向が採用され、それを隠すために作られたのが安全神話。そんなシナリオが見え隠れしています。
一方で、これだけの危険性を押し付けているのは、大量の電気を使う現在の生活スタイルであり、人間でした。ここから見える課題は、地球規模で考えられるべき問題でもあります。
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