モノクロ絵をやりながら2021/04/15 22:15

18時間睡眠になってしまい、ぐったりです。純粋に疲れた。食事を準備する気力こそあれ、それ以外はちょっと疲れてしまいました。絵でもやることにしましょう。
SSへ投稿ね・・・とも考えます。問題は一発投稿することより、継続的に投稿できる絵を描けるかどうかです。カラーで描くならいつもの絵質よりさらに簡素化してものでやりたいし、メインはSSの後ろの方にあるコーナーでしょう。とりあえず、絵とモノローグをつけて投稿する白黒用の絵を描くことにします。文字を入れた方が私はデザインしやすいと思う派なのです。基本がWebデザインにあるためです。
載る大きさは小さいのですが、絵はA4に描きます。小さく描くのが苦手でして、大きく描くとやりやすくなります。ペンタッチの解像度を上げるために、大きくするのもあります。どんなものを描くべきか考えながら、最初は自分らしい標準のものを描くことにしました。一番得意なものでないと、最初はうまくバランスも取れないと思うのです。
体のラインを強調するために、水着にしてしまおうかとも考えました。私の描くのっぺりボディは自分の売りでもあるのです。が、最初ですし、ここはクールなスタイルでいこうかと。ペン入れもアナログでやり、いつものデジタル仕上げにはしません。いつもは線画がない状態でのデジタル作業ですが、小さく掲載される以上、そこまできれいな線である必要もないのです。
描きつつ、今後も描いていけるかを考えます。自分にとって得られる物は何か。面倒になることは何か。SSは年齢層も幅広いし、オリジナルのものしか出せないから、描ける幅は広いのです。一方で年4回の発行を考えると、それがモチベになるのか。エモクリで駄作シーンでも上げている方がよほど刺激になるような気もするし、エモクリに絵師の感覚は求められません。
SSを見ていてわかったのが、部品を作るのは割と誰でもできるということです。これはエモクリも似ているので、創作の難しさです。漫画家は絵が描ければなれると思っている間違いに似ています。エモクリも漫画も似ていて、キャラを作る、設定を作る、世界観を作る、物語を作る、それを形にするの工程があり、漫画家はこれが全部できないといけません。で、やろうと思えば実はみんながやれることです。ただし、それぞれに5段階評価があるとすれば、オール5になれる人はなかなかいないでしょう。キャラは突飛な設定ができるもので、SSを見ていると魔法だの特殊能力など、いろいろ詰め込んでいる人が多いです。じゃあ、それが生まれることになったきっかけは設定ですし、設定を使うのは物語で、本当に話に組み込んで話になるのか、やっていておかしなことが出てこないかは、SSのような投稿の段階ではわかりません。見ていると、このキャラは動かせないなと思えるものが結構あるんですね。
自分がやりたいものは、絵だけでは実らないし、エモクリだけでも実らない微妙なところなのです。それゆえに迷うんですが。時間を使うのだし、無意味に終わらせたくはないのでした。

今年一年は2021/01/01 17:10

毎年は初詣に行きますが、12月31日に24時間起きて生活調整という異例の事態になったことから、普通に寝て起きる日になりました。そして脱力。両脚、両腕の自由がほぼなくなりました。腕は上に持ち上げなければそこそこ動けます。でも、おせちをまともに食べることはできませんでした。
ひとまず元日ですので、日記より目標を。といっても、目標の立てようがありません。疫病でイベントがどこまで制限されるのか。アキバの委託を再開する目処が立つのかどうか。常に短期的状況を見て考える必要があり、一か月で事態が急変する日常ですから、今のうちはレギュラー品を製作して在庫を作っておくことを目標にします。
毎度は委託に合わせてレギュラー品も作り、在庫を確保してきました。委託の残りを少量でもイベント売りに持って来ることができたので、数が少なくても種類は保てていました。委託がなくなって在庫の確保ができておらず、以前のように地道に作りためる必要が出てきます。でも売れる場所がないから強制力もなく、今月中にこれを何が何でも仕上げるみたいな、自分を持ち上げる力が出ません。無理ならやらなくていいよね、という空気が蔓延し、確実に気が緩んでいます。昨年はこれにエモクリが加わって、エモクリさえできていれば創造意欲がほとんど満たされてしまう日常に落ち着いていました。それはそれで、今後仕事にも活かせる重要なことが手に入っているので、悪くなかったとは思います。あまりに時間泥棒なエモクリですが。
エモクリをやってひとつ思ったことが、計画性を持った制作をすることの大切さと、人に見てもらうためにする工夫の再認識です。長らくイベントに出続けていれば、当日はある程度流れに任せてやれてしまいます。もちろん、流れに合わせるのは非常に大変なことで、当日それが恐ろしく神経を使うことでもあるのですが、慣れてきます。毎度同じになりがちで、新しいものが出てくる気質も失われてきます。新商品を考えるのも、割と固定的なものから考えるようになってきて、いろんなものを摂取しなくなります。それで成り立ちもします。でも、仕事が減ってゲームに回すようなことが出ても、やればやるなりにアイディアが見つかったり、方法が見つかるもので、そういうのができる時間がたまたまあったのは、悪いことではありません。
イベントも委託もなくても、エモクリがあったのが逆によかったのかなと。少し製作状況を見直すきっかけにもなりました。エモクリをやって、自分が今までやってきたことがそのまま使えることも分かった一方で、最初のうちから洗練したものを作れませんでした。あくまで自己満足の延長でしかなく、そもそも公開するものを作る気もなかったために、適当でした。公開するようになって、また新しい見方が必要になって、洗練された作りを考えるようになりました。結局、今の方法論さえあれば何をやってもうまくいくような気分になっていましたが、そうではありませんでした。過信です。
これからものを作っていく上で、常に初心者の気持ちを忘れてはならないと思いました。もちろん、ミニチュアを作っていれば、こういうものは売れるとか売れないとかがわかってきますが、油断せずにやっていくことが大事です。イベントで数多くのものを売ってくると、売れないものも出てきます。失敗に慣れていて、失敗から学び取ることが少なくなっていたように思います。でも、自分が自信をもって勧められるものでなければ売る意味なんてない世界だから、常に自信を持つことも大切だし、このバランスは難しいです。下出に出つつ、自信は持つこと。
当面は在庫を確保する目的意識を持ちながら、ものを作っていける体制を整えることが目標です。手が休まらなければそれで大丈夫です。

学ぶこと多き一年2020/12/31 20:04

24時間起きている計画の最中ですが、とりあえず今年一年を振り返って。うーん、やっぱりエモクリが一番大きくて、ワンフェスが開催されない代わりを果たしつつ、新しい感性が磨かれました。物事、やってみないとわからない。
当初のエモクリは、作りたいようにただ作って、公開する気もなければただ普通にいつも行っていた創作のツールを変えただけでした。だから人の作ったものを見ようとも思わなかったし、シーンの公開もしませんでした。そこから少し変わり始めて、シーンを公開してこそわかることもあると思うようになり、公開できるシーン制作を始めました。
ところが公開するにはある程度の完成度、長さなど様々な要素が絡み合い、ぬるい計画で作ったものは長すぎたり行き詰まったりで、公開用には至れません。公開するシーンは厳選して、作り出したら一直線に作らないと公開まで至れないのです。そういうことも学びましたね。発売すぐに買った人から比べると10か月遅れの参入でしたから、技術面も遅れました。最初から公開する気で学んでいれば違ったものの、自分だけで適当にやっていると本当に伸びしろは少なく、ただの趣味ツールに終わります。根本的に変わったのは、勝手にULを使い出してからでした。
他の人が何を考えて作ったのか知りたい、他の人と技術的な交流をしたいところから始めて、人に見せて感想をもらうところまで考えて作るようになりました。やっとエモクリでも仕事並みの意識が持てるようになりました。作ったからどうなの ? ではなくて、自分の中にある様々な表現手法が洗練されたように思います。表現することは自分に何でもプラスになります。ひたすらイケメンを作っていた時は、イケメンイラストの研究をしながら、どうすれば乙女ちっくな表現になるかも研究しました。以前より理屈で考え、整理することがうまくなりました。
一方、勝手にULを使うまで、やや周りを見ていなかった部分もあります。人とのやり取りが発生するし、その上で自分を信じなければならないので、自分を信じすぎれば自己顕示欲にかられてしまうし、信じなければ公開する勇気が踏み切れません。ある時から、やる以上はこの世界でも個性を発揮しなければ意味がないと思うようになって、自分の作りたいものを追い求めました。結局、エモクリでそれなりのものが作れない感性では、仕事で発揮するものは伸びないという結論に至りました。人に物を見せるテクニックは、どの世界でもあまり変わらないように思います。いや、それがわかったというのが正解かな。何ができる、何が面白いかを考えながら作っていくことは、何を作るでも役に立ってくれます。よくわかりました。
別のことでは、QMA対策を今までより本格的にしたことで、知的な余裕が生まれてきました。知的好奇心を常に磨けるし、いろんな分野を勉強するとそれぞれがうまくつながってくれます。同じ勉強をしていても、高校生の時にやるのと今やるのは、また変わってきます。それが少しわかってきました。まだまだ始まったばかりですが、続けていけると思います。これも大きな収穫でした。
しかし健康面では課題が残りまして、おなかはまだ治らないし、緊張に対する耐性も圧倒的に弱まってしまったように思います。ゲームすらやりこなすことができず、落ち着いたゲームしかできなく なりました。カフェインに対しても弱さが目立つようになり、年齢と共に病気に対する抵抗力が下がっているのがはっきりわかります。コントロールがシビアになってしまいました。多分、委託やワンフェスで維持してきたものが抜けているのも大きいと思います。まぁ、何かに集中していれば集中力は維持できるので、集中の緩急をどうつけるかなんでしょう。
仕事はあまり進まない一年でしたが、エモクリによって得られたものが大きく、それは今後様々な面で役に立っていくはずです。学ぶことの多い一年でした。

出直し日本史2020/08/01 22:16

四街道へ戻るのは明日にします。エモクリでタイトルイメージの変更を昨日行ってきて、当面は流れにまかせます。さて、明日は帰るというのに、問題が起きました。硬直です。脚がやられている。脚を引きずるようになり、自由に動かすことが困難です。また来たか。
こうなると、いろいろ生活に困難が出ますゆえに、今日は家からもう出ないで、昨日買ってきた問題集と合わせて、日本史の勉強をすることにしました。
どうやって勉強を組み立てていくかですが、歴史は流れが重要です。流れがよくわかっているのは戦国から江戸初期にかけてなので、そこから前に戻る方法で進めることにしました。乱世の発生を決定づけた応仁の乱は何が起きて、何が原因だったのか、そこに至るには何が原因なのかと、逆流をしていきます。
問題集は問題集だから、答えは書いてありません。問題を見て、わからない部分があれば、そこを高校用日本史資料でしっかり読みます。流れをつかむには、問題集が簡潔でわかりやすいです。なんせ中学生用ですからね。最初に特定の区分の流れをつかみ、後から細かく入れることを繰り返し、たまには飛び地のように別の時代の流れだけをつかむようにやりつつ、一日中向かいました。
気が付くと6時間くらい続けていました。今になって学習するのと、当時学習するのでは、全然印象が違いました。社会のこと、現在の仕組みがわかってきてから歴史を見れば、歴史に新たな意味を見出せます。QMAのためのただの暗記じゃやってられませんが、そこから自分の見識を深め、様々な分野につなげたいと思うと、やる気が出ます。この調子で進めていけば、日本史だけなら大学入試でも通用するところまで、そう時間もかからずにいけるでしょう。
日本史だけやっているわけにはいきませんが、勉強の方法をつかめると、日々の付き合い方がわかってきます。それが重要でしょうね。私は歴史を忘れていることに、長年問題を感じてきました。でもそれは、今でも解決することができます。問題意識を持って、自分で解決しようと努力すれば、解決できる余地はまだまだあるのです。
あきらめなくてよかったと思いました。QMAで大きな結果を出せるには時間がかかりそうですが、好きなように進めようと思います。