正月大冒険2020/01/01 20:48

年が明ける前にココスを撤収してきました。ほんの少し前に。しかし、どこかでこう、正月らしい何かをやっていないものでしょうか。佐倉ならいろいろあります。印西はその辺の公園で何かやらんのかね・・・と期待して周囲の公園を回るも、どこもやっていません。八千代でも昔は友達みんなで神社めぐりをして、おでんやらみかんやら食べました。
ただの住宅街でしかないこの辺では、静まり返り、ただ暗いだけの正月です。このままでは面白くありません。新興住宅地だからいけないんだな。古い方へ行けばあるかもしれない。無料で配られている、るるぶ印西と、印西商工会の地図を元に、神社を探します。不本意でもこうなれば、どこかの寺で除夜の鐘でも突くとか。寺は何もないので、基本面白くないですが、なぜか人が来る場合もあります。そこそこいい場所を見つけました。
重いPCを置いて、地図とカメラだけ持って出かけます。年は明けてまだ10分程度、多分何か見つかれば期待してもいいでしょう。
自転車のライトが暗くて、相変わらず苦労します。だいぶ電池もくたびれてきたかな。ある程度進んで、小川のある道を左右どちらに進んでも何かしらあるはずなのですが、暗くて小川がわからない。それっぽい場所に来ても、川は見えずに、先に進むと、いつものゴルフ場の交差点まで来てしまいました。通り過ぎています。どうしよう・・・。ここまで来れば、印西名物けちえん寺までさほど遠くありません。ここなら人はいるかもしれない、行ってみる価値はある。
地図は合っていました。でも・・・自転車のライトはほぼ消えているほどまで出力が落ち、途中からは街灯がない森の道になりました。小枝らしいものを踏みます。強風で落ちたのでしょう。それすら見えない。左側が墓であることくらいはわかりました。うーん、夜中で街頭なし、手元の明かり、月明かりもなし、左はうっすら見える墓。道がどこまであるのかわからず、道を外すと墓に突っ込むか、右側にもしかしたら段差はあるのか。
この先を進み、突き当たったところで右折と言われても、道が見えなければ右折もできないわけでございまして、ここで進むのを断念しました。仮に今ここを通れても、帰りも通るわけです。それは不可能ですよ。
仕方ない、見つけるのは他の神社にします。地図上では神社の名前があっても、実際は四畳半程度の広さしかない社が建っているだけのパターンもあります。地図上から、どうも運命の分かれ道を見つけました。小川が見えなくても、ここです。まずはるるぶに出ている寺の方へ行きます。すぐの場所です。
真っ暗やん・・・。鐘を突く音すら聞こえず、あえて近くの建物に乗り込む必要も感じませんでした。もはや暗すぎて、住宅なのか寺なのかすら見当もつきません。だめだ、地図上ではここなのに。180度方向転換をして進みます。そこを進めば、神社がふたつ、寺がひとつあります。まぁまぁ期待できるかも。いやいや、その前に道が暗くて、人の気配もないし、本当にあるんかいな。
田んぼの横の道で、街灯はぼちぼちあります。ない場所は怖すぎるため、自転車を降りて転がしました。こんな夜に田んぼに落ちても誰も助けは来ないのです。しばらく進むと、5人ほどの家族と思われる人とすれ違いました。期待できる ! これは間違いなく初詣ですよ。地図でももう少しです。
ほどなく、神社の鳥居のある階段が見えてきました。あった、しかも鳥居に明かりが灯されております。もしかして、人がいて何か出しているかな・・・。自転車では階段を登れません。横に坂道があり、そこを進みました。途中で横に入ると、神社発見、地図上の神社と名前も一致します。
期待するだけ無駄でしたね。明かりがあるだけ、他は何もなし。火を焚いていることもなければ、甘酒をふるまうこともなし。もう詣でる気力もねぇや。自転車を置いて、鳥居の向こうを見ても、暗くてなーんにも見えません。ムードがあるとかより、ここをまた帰るのかという、脱力が圧倒的でした。
自転車を置いている間にも人は来て、ご近所さんは来るようです。神頼みなんて興味はないの。食べたいだけなの。何にも出してくれない場所は、いるだけ時間の無駄なの。はいはい、引き揚げますよ。
近くに寺があります。自転車で入ってきた横道のちょうど裏側のようですが、先は真っ暗で、ただ墓地だけがありました。怖いな、ここを先に進む気にはなれんぞ。先へ進んで明かりがあれば別です。地図上ではすぐそこなのに、明かりがないなら期待はできません。ここはなかったことにして、道もう一本離れた別の神社に向かうことにします。
ああ、明かりもなければ人の気配もなく、街灯すらない場所へまた来てしまいました。ここに神社があったとしても、何もやっていないこと確定です。残念でした。これで行ける範囲は網羅しました。こんなものですよ。
ぼちぼちある街灯を頼りに、地図を確認して戻ります。この辺りまで来れば、家の周囲が見えています。逆に異様です。この辺りは農家や一軒家が密度も低く広がっているのに、畑の先には高層マンションが見えるのです。帰り道はただの直線で、元来た道へ戻りました。何、この安心感は・・・。
家に戻ると1時半近くでした。自転車のライトが働いてくれればまだしも、ただでさえ暗いライトが電池切れときて、光を失ったのは最悪でした。走った距離を合わせると、千葉NTまで行けるくらい動いていました。正月早々、何も得られないいい運動をしてしまいました。帰ってきて第一の仕事は、自転車から電池を外して充電することでした。補助でもう一つライトをつければ、暗い夜道も安心して走れるんですがねぇ。
でも、おかげでぐっすり眠れましたよ。けちえん寺には昼間行ってみないとダメだとわかりました。あんまし寺には興味ないんですけどね。その途中の、山林の景色を楽しむのもよいようです。夜にはスリル満点の道でした。墓場まであって、もう最高。

セールを求める2020/01/02 22:45

だいたいどこでも二日から売り出しは始まります。といっても、特に広告も入らないこちらでは、どこで何を売っているのか、よくわかりません。昨日はスーパーへ行ったけど、いつも通りでした。
電話で、ウニクロがセールをしているとの情報を手にしました。私がたとえ定価で買ったとしても価値があるとしている、HTのタートルネックです。これを家でも外でも、トップスの下に着ます。下着を除けばインナーです。HTで温かく、私はタートルネック派です。とにかく毎日着る、外出でも着ることから、この前一枚買いました。それが半額です。もう一枚買うことにしました。
すごい人です。まずは目標のものを確保します。色は赤にしました。なるべく、様々色に合わせられるようにします。これで三枚目でして、今まで持っていないものを手に入れました。さて、他に面白いものはあるでしょうか。
サンキで発熱タイプの下着が今年は高く、900円くらいしています。ウニクロのセールでは690円でした。しかも、こちらもタートルネックがあります。これのタートルネックは、よほど売れている店舗か、オンラインの店でないと置いてありません。見つけること自体が困難で、確保しました。サンプルを見ると、灰色がよさげでした。
セールコーナーも回り、店をくまなく見ます。キッズ用の、首に巻くとあったかいものを見つけました。これもHTです。HTは見た目に寄らず温かく、薄くても十分機能します。キッズ用ながら、首に巻くのにキッズも何もあるのか ? と思いまして、買うことにしました。190円ですし。頭に巻いたりもできるらしく、それには小さいかもしれません。利用は家でして、外出用は別のものをもう持っています。それがないとこの季節は自転車も乗れません。
この三点を買うことにしました。それにしても、レジの行列がすごく、なるべく列が少ないタイミングを見計らって並びました。並ぶのは好きではありません。並ぶくらいなら、少し店内を見て待ちます。おかげで190円も見つけられたわけですし。
ここまで来たなら、J肉を見ます。見切りでレタス100円を見つけました。表面は傷んでいますが、100円なら十分です。あとはパスタを買っておきます。レタス一個で並ぶのもあれでして。このところ食料品はしっかり買ってあり、あまり買うものはありませんでした。ウニクロの荷物もあって、持ち運べる量もありません。これが限界でしょう。
サンキにも足を運びます。年中セールのこの店に、正月は特にありませんでした。この前買った発熱タイプの靴下が、うさん臭いと思いきやちゃんと温かく、値段も安いために、こちらは今度また来て買うことにします。在庫限りですので、印西サンキは売れるのが早いですから、あなどらずに来ます。
帰りがてら、宮脇でドールの本を見ました。ドール成分が不足していて、ドールの本が欲しいです。買ってしまおうか、2000円・・・。でもね、AZONEでカタログをもらってきていると、ほとんどそれの集合になってしまうし、あとはドールショウで見つけたいい服とかなんですよね。じゃあ、AZONEカタログ見ろよ、と言われると終わります。とりあえずあきらめました。
最後はゲーセンです。本年初プレイをしておきます。EXVS2で、味方を回避にしてコースをクリアすると背景が金になるのは、またひとつ増やせました。これ、最大の敵は時間で、なおかつ、ある程度の点数以上を出さないと金にならないようで、難しいです。戦い方に少々工夫をして、一個つぶしました。
対戦は10戦7勝と、好スタートです。ついに少尉3になりました。ある段階から戦い方を見直して、それからは勝ちが乗っています。このまま永遠に少尉でいいと思いつつ、ゆるく上がるのを楽しんでいます。
今日はおなかもそんなに悪くなく、移動ができました。このところいいですね。この調子でいいと、みかん製作などもできます。毎日こうでないのが難点です。正月の買い物は十分に楽しめました。

少し下がった2020/01/03 22:42

そんなに良い状態が長く続くものではないのでして・・・。胃が悪いです。あと、腸が異常運動を起こしています。最近は下ることがやっとなくなって安定してきました。いい兆候です。でも、腸の異常運動が収まりません。これでは下っているのとあまり変わらない感覚を受けるため、非常に苦労します。
それでも、今日は明日のためのネット接続に出たいし、余裕があればサンキに行きたいし、夕食の準備を早めにしておきたいと思いました。おなかが悪い中、無理に動いて夕食の準備もしました。結構大変です。
出かけるつもりが、だるさも出てくったりしてしまい、まずは休むことにしました。出かけるならそろそろ出かけないと、夕食などが面倒になってきます。体がそれでも動かないため、おとなしくベッドに横になりました。すると電話が。家からだ、タイミングが悪い。
取手の家を確認してきたので、帰りに印西に寄りたいけどいいか、でした。うーむ、こちらはできればそろそろ出かけたいところだし、面倒なんだよなぁ。というか、まずは少し休みたい。非常に中途半端で困り、出かけてしまうと話をしました。
その実、体はきつくて横になり、30分くらい寝てしまいました。電話で目が覚めます。そうしたら、こちらへ来るそうですよ。特にお土産はなく、年賀状だけ持ってきてもらいました。三枚届いておりました。三枚ね、それでも優秀ですよ。交流が少なければこんなものです。
適当に話して、こちらは夕食後にネット接続へ出ることにし、皆さんには帰っていただきました。夕食の準備は、あと火を通すだけにしてあります。きのこのクリームパスタ。いいもの食べてんなと言われます。いいものを食べているんですよ、食材こそ半額以下で手に入れていますがね。
食事をすると、あんまりおなかがよくありません。少し横になって休み、苦しいながらもそろそろ出るかと、ゲーセンに向かいました。22時前でしたが、ほぼ22時です。
ゲーセンの無料Wi-fiは安定しています。相変わらず、戦場の絆の後ろのテーブルに陣を取って、明日ある食事会の予定を確認します。特に新しいこともなく、私は現地集合です。座っているのはそんなに楽ではなくとも、適当にネットを使えると、何となく時間がつぶせるために、家にいるよりいいと、個人的に思っています。
Twitterではうちの服やアイテムを使ってお正月を彩ってくださっている方々がいまして、そちらの対応をしておきました。自分の新年発言は特にないのに、人の上げてくれたもので始まるという。何か書くにも、何のネタもなければ、何の準備もありません。こういうもんですな。
少しゲームをしていこうと思ったら、今日は並んでやっております。世間一般的にはまだまだ休みです。混みますよね。私はすいている時にやればいいんですよ。並ぶのは嫌いです。またテーブルに戻り、ネット接続の方をしていました。
閉店30分前、もう一度ゲームを見ると、相変わらずグループでやっており、今日はあきらめて帰ることにしました。明日は食事会イベントです。適当に引き上げるのがよいでしょう。

四街道部会印西編2020/01/04 21:35

今日は四街道部会の食事会があります。今までは四街道のJで開催していたのですが、私が印西へ移動してしまい、おまけに四街道へ戻る予定が今のところない上に、交通手段が自転車のみという状態でして、開催場所を印西にしていただきました。ありがたいことです。体の調整をするためには、印西の環境は欠かせないのでありました。
12時半にココス直接集合約束で、行くとちょうど車と行き会いました。これで三人はそろったけれど、一人足りない・・・。うーむ、行くべきココスを間違えていたようで、木下付近のココスへ行ってしまったようです。TwitterではJ本のとなりと合わせておいたのですが、Twitterをやっていなければどうしようもなく。それでも揃ったから大丈夫ですよ。
会はぶっ通しで夜の23時まで行われました。私は昼食を食べてから行って、まずはデザで始めまして、夜は食事です。ただ、いかんせん胃の調子が悪かったもので、それだけがちょっとつらい時間でした。席はVIP席と呼ばれる、円形の席で、四人でわいわいやるにはいい場所でした。
栗ちゃんが春からいよいよ大学院生となります。卒業研究の提出は1月で、直前のほぼ完成稿を見せてもらいました。私は全部に目を通しました。実験方法の詳細まではさすがに専門家でないためわからないものの、理屈はわかります。
かつて栗ちゃん用に買ってきた、生物系同人誌で、分子系統学での論文の書き方で、重要になる点は何なのかの解説がありました。塩基配列だけ調べて、こうなったからこんな系統樹ができます、ではダメで、なぜそんな系統になっていったのか、生物学的別のアプローチ方法と、実際の分子系統樹の結果が同じになっていることで、初めて意味を成すと知りました。
それのおかげで、論文を理解する基本的な知識がありました。細かい系統樹の作り方や分析のやり方はわかりません。でも、そうなる結果を生物地理学の観点から考えている流れはわかります。生物地理学は、地学的変化が生物の系統変化に影響を与えることを考える学問です。
例えば、大陸は移動して、海の形も変化してきました。今までつながっていた海が陸地で遮られるようになったところに、魚の個体群がいて、陸地を境にふたつに分かれてしまったとします。長い年月が経過し、その個体群同士が交わることなく生活しているうち、別の種になってしまったと、こんな感じです。
そして、栗ちゃんのカレイの研究は、分子系統樹を作っていき、そうなった理由を生物地理学で考えるものでした。そのために化石を調べたり、様々な場所で取れるサンプル集めも重要です。卒業研究の段階では、まずデータを取るためだけでかなりの労力が割かれていました。生物地理学からの裏付けはまだ完成しておらず、更なる研究を必要とするところで終わっていますが、何を調べていくのか、どんな課題があるのかは見えています。
なるほど、と思わせるところがたくさんあり、研究が未完成なところは、大学院で進めればよいでしょう。大学院での進行状況にもよりますが、博士まで進んで、博士号と取るところまで行くべきではと、私は思いました。それで将来何になるというのは別問題です。やってきたことを終わらせて、形に残せれば、それだけでも人生の実績となります。
一方で、ひとつのものだけに集中しているとつぶしがきかないのも事実で、どこかで別の保険も作っておきます。だいたい、学問の世界で、それをやったから何になるなんて考えていてはいけません。結果、金にならないことは価値がないとか、生きていくために必要ないとか、厭世的価値観に陥っては、人は知も学問も必要としないまま退化していきます。
大事なことは、自分のやっていることを人に伝えることでしょう。まずは自分の探求を突き詰める。それをただの自己満足で終わりにしては、これもある種の厭世観です。何のためになるなんて考えても意味ないから、好きなことだけやればいい。それでは、知はいつまでたっても人類のものになりません。学者は論文がすべてと考えるでしょう。そりゃ学者だからです。学者にとっては論文の数、評価が自身の評価につながります。いわば、成績、お金。
私が中学生のころは、成績だけよければそれでいいなんて、考えたことはありませんでした。成績がよいのは美徳のひとつ、努力のひとつ。でも成績がいいだけの生徒に誰も魅力なんて感じてくれなくて、運動ができる、ピアノができる、音楽に広い理解がある、絵が描ける。そうやって魅力を磨いていき、生徒会をやってみるとか、付加価値がついていきます。
いい歳した人間になっても、お金さえあれば幸せでしょうか。そういうのと同じで、論文で評価されれば一流の学者なのか、と私は常々思います。その世界だけの評価以外に価値を見出せなくなったら、社会から隔絶されているのと同じです。私みたいに、自ら進んで社会からの隔絶を選んでいる人間ですら、そんな風に考えませんよ。
栗ちゃんが保険を作るのは、多分そのうち自分で身に着けていくでしょうから、特に心配もしていません。私にできることは、背中を押すことですかね。あとは、その世界だけに閉じこもる人間になってほしくないこと。
私はかつて、同じ分野にしがみつく人間たちに、ハブにされた経験を持ちます。この分野でもこうした考え方は必要、今自分たちが研究を進めていられるのは、研究を進められる仕組みが「旧式」だったからで、その根底が覆れば、自分たちは同じ場所に同じようにいられなくなる。その仕組みは情報通信によって壊されつつある。だから、別の分野や視点から、自分たちのやっていることを見てみよう。時に、自己否定してみよう。そんな提唱をした結果、相手にしてもらえなくなり、他の場所へ行くように言われました。
でも10年しないうち、社会的需要が彼らの旧体制を許してくれなくなり、最終的には学部再編というところまで行ってしまいました。その時、彼らの言った言葉は、私がかつて言っていたこととほぼ同じでした。相手が一人の学生だったから、簡単に殺せたんです。ところが、私の言っていたことが事実として認識され始め、大学全体として今のままでいかがなものかと動いたときに、学部が大学全体の意向を無視することはできませんでした。なんせ、学生が集まらなければ大学は行き詰りますから。
私が自分を文学部として認めたくないのは、これが最大の理由です。恩恵もあるけど、恨みの方が大きいからです。自分たちのやっていることをわかりやすく多くの人にわかってもらおう、伝えていこうという考え方は、学問は開かれたものでなければならないという考えからでした。自分たちの満足のためにやっていて、みんなが相手を知らないようでは、学問はいずれ止まってしまうでしょう。わかりやすく伝えることは、自分たちのやっていることを客観的に見ること、実社会から見ることそのものです。
常々、研究することと、それを人にわかりやすく説明して伝えることは、セットであるべきと思うのです。それが研究者自身を守ることにもなります。あの人たちはああいうことのために一生懸命なんだと、わかってもらえると、思わぬところで味方ができるかもしれません。専門家でしかわからないことを人に伝えるために、何をすればよいのか考えると、その結果、次世代の人が興味を持ち、その道に進んでくれるかもしれません。
松本城を見た時に書きました。松本城の石垣の石ひとつを誰が運んだかはわからない。でも、誰がやったかわからないことが形を成し、城となって残り、町の人のシンボルとなり、歴史の証拠になる。
私は、名も残さず石垣を積んだことで満足できる人です。一方、世には、私が建てたのだと、名前を残したい人もいます。歴史に名を刻むのは名誉なことでしょう。そうしたい人は、そうすればいいんです。
私は名誉も学籍も研究職もないけれど、学問を捨てようとは思いませんね。意味がないとも思いませんね。だから、栗ちゃんが持ってきた論文を読むし、意見もします。これを支えてくれているのは、サイエンスコンダクターとしてコミケで地味に活動している人々でもあるんですよ。

他にいろいろ話はあったんですがまぁ、まず面白かったのはこれかな。悲しい話題もいくつかありました。楽しい話題もありました。それはそれで、書き残しておこうと思ったのはこのことでした。