4年の時は癒すか2017/06/15 23:07

一日たちまして、昨日はおじさんが亡くなってちょうど4年です。腹調子に苦しむ私には、お墓参りに行く余裕などありませんでした。っていうか、みんな忘れてるだろ・・・、と思って、誰も口にしないことを言うと、忘れられていました。ああそうだったじゃないでしょ、みんな墓参り行こうよ。
4年たっても違和感に苦しみます。夢で出会うこともあります。でもその時、いないのにどうしているの ? という感覚に悩み、自分の中で死んだことにしようと必死になるのです。それだけ、この人はもういないんだと、自分に言い聞かせなければならないほど、いない感覚が不自然でもあります。時が癒してくれる部分はあるけど、代わりになれる人がいないから、その分の穴が開いたまま時間だけ過ぎてきました。
今度のゲームレジェンドの新刊で、ゲーマー魂とは別の、レトロゲームに関するいろいろな話題をひとつにした本を出す予定です。その中に、ファミコンと私とおじさんのことを記事にしようと決めました。実はもう書いてあります。記事を書いて気付いたことは、私の攻略肌はおじさんとよく似ていることがわかりました。親譲りではないです。よーく考えると、周囲に似ている人はおじさんがいました。私が小学生のころのファミコンを通じての話などを書いています。本にすることで、あまりばらせませんが、こうした体験談は意外と面白い話です。もちろん楽しめるように書いています。ゲームに関する客観的資料は世の中たくさんあり、それはそれでよいものです。一方で体験に基づく話は、ブームと言われるものが実際どのようなものであったのか、その時代はどんな時代だったのかを直接知る資料となり、下手に自己顕示を主張しないものであれば、十分楽しめます。ただ、この手のものはただの文章になりがちで、そこをなるべく実感持って楽しんでもらえるための工夫は、文章だけでは無理でしょう。よく考えます。
故人を思い出しつつ生産的な人生を送るために、私はただ書くのでした。