ゲーセンがなくなる2017/05/08 23:39

ええ、みなさんにはほとんど関係ないことですが、とても残念なお知らせがあります。四街道のゲーセン、ラッキー四街道エスタシオンが今月末をもって閉店することになりました。私が足しげく通う金曜日のゲーセンサークル活動の場でもあります。・・・もう、これがどれくらいの悲劇なのか、想像もつかないでしょう。
ゲーセンそのものの歴史は長くありません。元はスーパーサカイという、普通のスーパーでした。そこがなくなった跡地にゲーセンは作られました。私が行くようになったのは、そこにDBACが入ってからです。グループに西千葉店があり、筐体はそこからの移動でした。それまでは稲毛の長沼まで出なければできなかったため、四街道に来ると知って、入ってすぐやりにいきました。
当初100円1クレだったのに、なぜか途中から200円1クレに変わりました。その当時、200円でプレイさせているような店はすでになく、時代遅れの設定に嫌気がさし、しばらく行くのをやめました。ある日また戻ってみると、100円になっていました。それから私の四街道DBACライフが始まります。

まだまだ私が初心者だったころ、CGL をまともにクリアできないような時代、練習で CGL を乗り付けない Next でやっていたら、あとで見ている人から声をかけられました。それが FACENAO さんでした。せっかくだからと、二人でやりました。私はその日、病院へ行った帰りで、特に金曜日である意味はありませんでした。
ゲーセンには行っていたものの、FACENAO さんに会うことはありませんでしたが、ある日の金曜日の夜にまた会いました。FACENAO さんは子供の英語塾の送迎のために来ていて、子供が塾へ行っている間にゲーセンで待っているというスタイルだったのです。それからは金曜日の夜に私も合わせて行くようになり、二人だけの小さなサークル活動がスタートしました。
その当時はクロニクルモードにほとんど手を出しておらず、四街道のクロニクル開放率は1桁でした。たまに FACENAO さんと二人でやったりする程度です。そのころの私はすべての機体に乗ることができず、クロニクルのボスにもまったく対応できていない時代です。そんなころの連休中、四街道で古くからプレイする ASR さんという人が来て、プレイするのを FACENAO さんが見たそうです。ジュクンシ星系チョヨウをミス無くプレイする様子を見せられ、我々がまだ対処もできないGTVを倒し、難しいエリアを開けてくれました。それに感銘を受けた FACENAO さんは、ASR さんが残した点数を超えようと、チョヨウのスコアタを始めました。やがて私も少しずつ、クロニクルモードに中心を移していきます。

その当時はイベントが開催され、それはボスを速攻で被弾せずに倒すタイムアタックイベントが中心でした。四街道でも記録を残すべくがんばっていました。すると、我々以外にも数人、やっているところを見るようになりました。やがて、知らぬうちに FACENAO さんが声をかけ、仲間は増えていきます。それが MUCK さんと Luft さんです。二人の勢いはすさまじく、クロニクルの解放を次々進めていきました。最終的に私が開放したエリアは全体の10%にも足りません。この二人の功績は大きいです。4人が金曜日にそろうようになると、多人数エリアの解放も進みました。
あるときから、また仲間が増えます。それがぶちょーです。当時は高校生の若き戦士で、飲み込みが早く、多様な状況に素早く対応できるプレイヤーです。5人体勢で次々とクロニクル解放を進め、ついには100%を達成しました。この5人の集まりはサークル活動となっていて、100%到達の後も、末尾9消しという目標を持ちながら続いていきます。

ゲーセンで集まるだけでなく、食事会やゲームレジェンドに一緒に行ったり、FACENAO さんの家へ遊びに行ったり、四街道での友達同士になりました。さらに、津田沼のゲーセンでの解放会に参加して、このゲームを元に人のつながりが生まれてきました。Twitter もその関係でつながることが増えました。四街道の熱心ぶりが響いたのか、千葉においてあった台も四街道にある日合流し、四街道は今も二台体制です。昨年の3月に、二台の筐体の末尾9消しという目標を達成し、全国に置いてある筐体の中ではかなりレアな台となりました。WTS も取りました。
あまり過激にならずに、毎週来て楽しみながら、昔刻んだ点数を伸ばしていくスタイルで今も活動が続いています。集まってゲームをするだけでなく、話をするのも大切です。今は、Luftさんが仕事時間の関係で抜けており、ぶちょーも網走に行ってしまい、三人でやっています。とにかく集まる、お金を入れて動かす。こうして筐体維持をしてきました。ここのゲーセンはプレイヤーをすごく大切にしてくれるらしく、我々の活動もしかり、その裏にあるバーチャロン4も、一部のプレイヤーのために置いていてくれます。バーチャロンのことは最近書きました。固定でやってくれる人がいるなら場所を作ってくれるゲーセンでした。

先月末、ガンダムEXVSの台が、全部で10台体制だったものが、6台減らされました。稼ぎ頭なのに不思議な光景です。その後も台は入らず、今はベンチです。サービスが終了したぷよぷよも撤去され、ゲーセン二階は空き地が増えました。そう、閉店はある日突然決まり、それは移動の準備だったと思われます。
私がアイスを買ったり、ガンダムをやったりしていたのは、ゲーセンになるべくお金を落とすためです。各地でゲーセンの閉店が相次ぐ中、プレイヤーを大切にしてくれるゲーセンをなくしたくないと、できることをしてきました。が、それもむなしく、5月31日閉店ということを今日知りました。
まずは長くやってきたサークル活動、これをどうするかです。サークルは筐体維持のためにやってきました。一方でこの関係は友人関係でもあり、例えば14日にはゲームレジェンドに一緒に行くのです。どうやってこの関係を維持していけるのか、その場所はどうすればいいのか。突然のことで何も考えられません。
次に、我々の使ってきた筐体はどこへ行くのか。筐体はデータごと移動して、他のゲーセンで稼動し続けることもあります。データごと消されることもあります。筐体だけなくなり、データは残ることもあります。何年にも渡って関わって、育ててきたデータです。ここに台が入ってからのみんなのセーブデータなのです。消えて欲しくありません。でも、データだけ残っても、台がなくなれば、そのデータはもう最後です。

我々にゲーセンの経営状態はわかりません。たとえ黒字でも、収益が小さいから、その力を他のゲーセンにまわすことも考えられます。だから我々にできるただひとつのことは、とにかくお金を入れることだけなのです。それでもなくなるのだから、どうしようもできません。ここで育んできたものをこれからどう活かすのか、そういう岐路に立たされているのです。