消えない入学式2017/04/01 23:51

毎年4月1日になると同じようなことを書いてしまいますが、1998年のこの日は大学の入学式でした。ちょうど4月1日に入学式というのも珍しいパターンで、他に人生でこの日にこれ以外何か特別なことがあったわけでもないため、年度初めというのもあり、昔を思い出します。とても大切な日でした。浪人の一年間の苦労を超え、やっとたどりついた自由な日々でした。もちろん、大学でのその先は前途多難だったわけですが、この日は喜べる時間だったのです。
ただ、とても面倒な日にもなりました。入学式の後、科目登録などの書類をもらわねばならず、これは大きな荷物になると大学から予告が出ていて、ちゃんと運べるよう準備を整えておくようお達しが来ていました。そして、うちの家族の者は、4月1日の17時の飛行機で香港に旅行へ行くことになっていました。なぜこうなったか、これは懸賞に当たったのです。で、私は入学式ですから当然残ります。当たったのも2人で、当時親は単身赴任をしておりましたから、母と姉は浮かれて海外旅行なのでした。家には私一人でして、その間取手の祖母の家に行くよう手配が進んだのです。ただ、私はこれに反対でした。科目登録の荷物が多くなると言われていたのに、祖母の家への宿泊荷物まで持っていったら、当日身動きできないほどの荷物になることが予想されました。なので祖母とおじさんに来てもらうことを要求しましたが、母の謎の意図で、私が行くことになりました。祖母とおじさんは来ようと言ったのですが、来なくていいと一蹴されました。
・・・が、予想は想像以上になりました。科目登録の資料は本の塊で、それだけでひとつのバッグを持ち、加えて宿泊道具を持ち、荷物を一度に一人で運べるような量ではなくなり、両手両肩ふさがり、駅の階段は一度に荷物を持ちきれず、荷物を置いて往復することになりました。本当は入学式の後サークル勧誘などの見学もしたかったのですが、動けないほどの荷物にあきらめました。
取手の家に着くと、祖母とおじさんは大怒りでした。自分は海外旅行に出かけ、息子にこんな大荷物を背負わせて、何を考えているんだと、特別な入学式なのに信じられない、ひどすぎると怒りました。こんなことになるならこちらから行くべきだったと嘆かれまして、私もそうしたかったけど、そうするなと断固言われた話をして、そりゃもう、祖母とおじさんの怒り具合は大変なものでした。母としては、自分の子のために二人を動かすことを拒否したつもりだったのでしょうが、こうなることはわかっていました。祖母もおじさんも、懸賞で当たったとはいえ入学式の日に海外旅行に行ってしまうことを良く思っていませんでしたから、ここは二人の意志を尊重して、来てもらう方を取るべきでした。私にはわかっていたんですがね。結局、一生物の判断ミスになりました。
次の日は学部入学式があり、おじさんが一緒に来てくれました。おじさんもカメラを持ち出して、記念撮影をしてくれました。サークルの勧誘は、時間もかかるだろうし、自由に好きなだけ見てきなさいと、おじさんは先に帰ることにして、おかげで気遣い無くゆっくり見られました。
私の入学式は、おじさんと祖母が支えてくれ、祝ってくれました。母と姉は海外旅行で浮かれて帰ってきて、何だか私の入学式もどこ吹く風ってな感じでした。だいたいの家なら親が祝ってくれるものですが、大学の時だけは違いました。残念ながら、こうして一緒に祝ってくれたおじさんは今ではもういないし、祖母も会話はできず、どこまで記憶があるのか、私のことを認識しているのかすらわからなくなってしまいました。もうあの時のことをわかっているのは私自身だけなのです。それがね、本当にそのことだけが、今になって胸に詰まります。
私にとって大学での生活は特別なものでした。卒業しても、母校を愛する精神は廃れません。恨みもあるけど、感謝もあります。ひとつの人生の規範です。早稲田人として生きること、その精神を忘れないこと。それが今でも支えです。まぁ、今となっては人生で積み上げてきたことをリセットして生きているのではありますが、早稲田の心は死んでないのですよ。だから、あの4月1日のことはいつまでたっても大事な記念の日で、今でも忘れることはないのです。今に続く魂は、高校のときより大学のときにできあがったものです。
さて、大学との人脈をどう活かすかについてはまだ具体的な策略がありません。稲門会に入っても、ただの飲みサークルでしょうなぁ・・・。昨年の Home Comming Day で年次の会とは少しつながりができたけれど、結局あれも飲み会ばかりです。飲まない人間にとって、そのたび酒代払わされるのは面白くありません。私には学問的分野でつながりを活かしたいと思います。それにはまだ私に活動が足りません。焦る必要もないと思います。必要なとき、必要に応じて立ち回る。今はこれで十分です。

本質的なことを言うと、やっぱりおじさんがいないことかな。その穴が今でも埋まらないことですかね。どうすれば埋まるんですか ?? 時に癒される部分もありました。今じゃ泣かなくなりました。でもね、あの時の大事な時間を支えてくれた人がいないのは、そんな簡単に吸収できるものじゃないんですよ。あの日を懐かしんで語れる人がいないんですから。あの時ありがとうとも言えないんですから。こんな気持ちを整理するため、入学式のことを書いてみました。

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