7対3の割合2016/05/03 23:59

5月3日は、タスンサルククエストという名前で、DBAC交流会がありました。昨日詳しいことを書いていますが、和光DBAC倶楽部で主催してやる、飲み会とプレイ会が一体となった飲み会です。和光では名を変え品は変わらずで長年やってきておりますが、私は今回初めての参加です。会場は池袋ですが、まずは和光のタイステもしくは高田馬場ゲーセンミカドに一度集合してから合流します。なので、私はミカドに行くことを選んだのですが、馬場に行くならそうそう機会もないので、早稲田に行こうと思いました。休みで閉まっていることは覚悟でしたが、大学を思い出したいと思ったのです。早稲田というのは大学と町が一体化しているため、大学や町に思い入れが湧きます。帰属意識が強く、それは他の大学ではなかなかないものではと思っています。卒業生を校友と言いますが、学生から校友まで、つながりを意識した大学が早稲田です。
私も例にもれず、どれだけおちぶれても早稲田魂は枯れないと言うほどの愛校心の持ち主ですから、母校帰りをしたいと思っていました。毎年校友のために大学がそういう日を設けているのですが、ここ近年は学園祭の日に重ねてくるので、それは正直勘弁してよと思っています。なんでそんな騒がしいときに行かないといけないんですか。帰るなら日常的な時がいいし、懐かしい所で食べたいと思っていますから、連休中では少し日常から外れるけど、まぁまぁいいかと考えたのでした。

私の中では、最終的に早稲田で7割、飲み会で3割になりました。久しぶりに大学を見るのがものすごく楽しみになって、それに合わせて行動して、その日の最後に飲み会という流れです。交流会のことは、まぁ、それはそれで楽しかったんですけれど、中身の話は関係ない人にはわからないだろうし、詳しく書くのも難しいので、後日のネタにとっておきます。なので、大学に行ったことを数回に分けて書こうと思います。今日は案内ではなく、私の大学話です。
私が大学の話を書くということは、すなわち私が普通に生きていた時代と関係します。今から10年前の5月の連休、当時私は大学院の博士課程前期2年でした。一般には修士と言いますが、うちの大学院では博士課程前期と言っていました。大学院生をしながら大学図書館で仕事をし、充実しているように見えていました。でも一方で、ほころびにも気付いていました。しかし、そんなほころびを重要視しなくても、生活はまわっていたのです。その連休中、私は風邪をひきました。A先生と友人Sと共に、14号沿いのGへ食事に行きましたが、私はおなかの調子が悪く、注文したハンバーグが食べきれなかったので、友人Sに食べてもらったほどです。ただの風邪でしたが、それが私の人生を大きく分ける境界線になってしまいました。あれから10年。大学へ帰ってみて思ったことは、自分の中に早稲田の血が流れていることが、陰ながら自分を支えていることに気付きました。
よくある質問で、もしもう一度やれるなら、あなたは人生のどの時代をやりたいですかという質問に対し、私は大学時代と答えます。やり直せるなら、ではありません。もう一度追体験するという意味です。小学生はいやです。学校がつまらないからです。中学生もいやです。受験があるからです。高校生もいやです。受験があるからです。大学時代は世界が広くて、やりたいことは何でもできました。勉強も一生懸命やりました。こと三年になってからは、自分の学部だけの学問に限界を感じ、学部でできないことの勉強を自習することに時間を費やしました。大学でやっていたアルバイトがサークルがわりになってくれて、それもいい経験になりました。やっぱりそういうことは、最後に人生の支えになります。
大学を歩くとそんな時間が思い出されて、少し忘れかけていたこともたくさん思い出しました。思わず写真もたくさん撮ってきてしまいました。思い出話も含めつつ、今日のことを書いていこうと思っています。今日はとてもよい日になりました。こんなことも、今後の支えになるでしょう。

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