印西へ通うわけ2015/10/15 23:26

今日は印西へ行ってきました。やることはいつもだいたい同じですが、今日はお昼を久しぶりに Green's K でとりました。久しぶりです。Green's K は、つらい時期によく行きました。そういう意味で、過去を清算してきた感じはあります。非常によいのですが、どうしてこう、適度に食べ抑えることができないんでしょうか。吐く寸前まで食べて、夕飯も入らないスタイルから抜けることができません。
帰ってくると、できあがった本が届いているじゃありませんか。さっそく開けてみるの図。あえて完成した本は今日見せないのでした。で、完成記念に、夕食も入らないけど J に行きます。J では飲み物でしばらく粘り、途中で軽食をとりました。さすがに何も食べないと、夜遅くなってからおなかすきそうで、少しだけ食べておきました。
本のことは今日はもうやめておきます。私はなぜ印西に、祖母に会いに行くのか。それは、できるときにできることをやらないで後悔したくないからです。ちょっと前までは、孫として少しでも施設生活に笑顔をと思っていました。でも、おそらく最近の祖母は、我々のことすらよくわかってないかもしれません。わかっていても、反応する方法がわからないかもしれません。反応が以前に比べて、ほとんどなくなっていることがよくわかります。認知症を越え、脳そのものがあまり機能しなくなっている感じがします。会いに行っても、一方的に話しかけ、どうしようもなく終わります。それでも、現在の健康状態においては最良の状態であれば、安心して帰ってきます。この最良の状態が、少しずつ低下しているということです。これで本当に祖母は幸せなのかと聞かれたら、幸せかはわからないけど、やっぱり最良だと思います。祖母は極端に死ぬことを恐れる性格でした。なので、生きられる可能性を最大限に使い、そこについていくことが、最良の選択であると考えています。でも、今の状態であと何年生きられるかを思えば、残念ながら決して長くないでしょう。例外的に長生きできればそれもよいですが、あまり楽観的過ぎるのもよくないと思います。そんな祖母の残された時間に、手を添えることなく過ぎ去ることは、共に生きてきた者としてしたくありません。毎日一緒とはいかないけれど、行ける時に行くこと。これが、自分を裏切らないための最低限の行動だと思います。

後悔先に立たず。だから、後悔しない方法を選びます。